0人が本棚に入れています
本棚に追加
鍵穴に鉛色の鍵を差し込んで回す。カチャリとかんぬきの外れる音がして、家に帰ってきたのだと実感する。築五十年のアパートのドアはくすんだ木の色をしていて、シワだらけの私と同じようにくたびれた様相をしていた。ドア枠に当てないよう、草色のハンドバッグを引き寄せて玄関をくぐる。二週間もの間、閉ざされたままだった部屋からは、染みついた私のにおいとむあっとした埃のにおいがした。
「どっこいせ」
靴を脱ごうとして無意識に出た掛け声に、ああすっかり歳を取ったのだと思い知らされる。うっすら埃のつもった廊下を抜け、ちゃぶ台の置かれた居間に来て、ハンドバッグを開けた。
白い薬袋を三つ取り出す。レジ袋が有料になったので、五円をけちってハンドバッグにそのまま入れていた。とにかく急いで帰ることばかりを考えていたから、端がくちゃっと折れてしまっていた。
二週間前、私はこの家で倒れた。
久々に娘が来てくれて、いそいそとお茶を用意していた時、急に胸が痛くなってそのまま意識を失った。異変に気づいた娘がすぐに救急車を呼んで緊急手術に、気がついた時には私は白いベッドの上にいて、胸に痛々しい手術痕が残っていた。心筋梗塞だったらしい。七十歳を超えたのならそういうことにもなるかと妙な納得感があった一方で、子供の頃から健康だけが取り柄だと思っていたためショックが大きかった。特に心に来たのが、心筋梗塞の再発予防のために処方された薬の数々を見た時。私は生涯薬を飲まなければならない体になったのだと悟って、急にふけこんだ気がした。この体はもう、完璧な状態ではなくなってしまった。
薬袋を手に取り、一粒ずつ薬を銀のパウチから取り出していく。
もし薬を飲まなければ、私はあの締めつけるような胸の痛みに襲われて今度こそ死んでしまうのだろうか? ならばこの薬は私の命そのものと言えるのかもしれない。錠剤とカプセルを手のひらに乗せ、大豆にも満たないほどちっぽけな大きさを再確認する。
「やだ、お母さん鍵かけ忘れてる……。私、夏美。入るよー」
玄関から間延びした声が聞こえてくる。思わぬ来客に急いで薬を豆皿に置く。薬袋と一緒に豆皿を、タンスの上に雑然と置かれた小物類の中に隠し、玄関まで迎えに行った。
最初のコメントを投稿しよう!