晩年のアディショナルタイム

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「お母さん、私、離婚したの」 「あら、どうして?」 「ずっと前から決めてた。あの人と死ぬまで生涯をともにするのは無理だなって思って。龍紀が就職するまでは我慢してたんだけど」 「そうなの。龍紀は? 納得してるの?」 「納得してるを通り越してたよ。離婚の話を切り出したら、龍紀なんて言ったと思う? もう僕は大人なんだから、お母さんはお母さんをやめてもいいんだよって。私びっくりしちゃった。ついこの間まで抱っこをせがんでたような子が、私よりも背が高くなって、大人みたいな顔して言うんだもん。成長は嬉しいけど、私はもうこの子の人生に必要ないんだって思ったら、寂しくなっちゃった」 「寂しいけれど、それが普通なのよ。子供の頃は自分達が世界の主役で、子供を産んだ時にそのバトンは子供達に渡して支援者になる。共働きが当たり前になった今は少し感覚が違うのかもしれないけど、少なくともお母さんの時代はそうだった。そしてその子供が大人になって、次の世代にバトンを渡したら、ひっそりと死んでいく。そうして命が繰り返されていく」 「でもやっぱり寂しいよ。子供を育てたらお役御免だなんて。今は人生百年時代だよ? 昔とは命の時間が違うの」  口に入れた麺を呑み込み、ティッシュを手に取って鼻をかむ。なんとなしに私の目は豆皿の薬に向けられていた。 「薬のお陰で、人間の寿命は大きく伸びたものね」  どうして処方された薬を見た時に心が重くなったのか、生きるために飲み続けなければならないと思った時に違和感を覚えたのか、今わかった気がする。結局のところ、薬を飲んで生きるというのは自然の摂理からしてみれば(いびつ)なのだ。あの日、締めつけられるような胸の痛みとともに私の人生は終わりを迎えるはずだった。私は、薬がなければ生きられないこの体は、本当はもうこの世に存在してはいけない。 「それで、子育てを終えて夫からも自由になったあなたはどうするの? 新しい人を探すの?」 「……わからない。まだそういう気持ちにはなれない」 「まだ人生を閉ざすには早すぎるんだから、次を考えてもいいと思うわ。今の時代、再婚なんて珍しい話じゃないもの。一人で家にいるのは寂しいものよ」 「お母さんだって一人のくせに」 「だからこそ言ってるの。あなたは一人暮らしの経験がない。本当の孤独というのを知らない」 「母親面するつもり? 私だって大人なのに」 「さっきは娘アピールをしてたと思ったけど?」 「うるさいなぁ。色々複雑なお年頃なの」 「大人の思春期?」 「そんなところ」  夏美は麺を最後まで食べ、どんぶりを持って汁を飲む。どうしてこんなにお行儀が悪いのか、頭が痛くなる。小さい頃に甘やかしすぎただろうか、けれど向こうもいい大人なんだから指摘してもしょうがない。私も最後の一口を食べ終えて、両手を合わせた。
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