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私のOL時代、同僚に麻美さんという女性がいた。彼女は占いや前世などスピリチュアルなことが大好きで、いつも怪しげな高い水を持ち歩いてそれしか飲まなかった。それだけならいいが、ワクチンや薬は毒だの、添加物は波動が下がるだのと何かと押し付けてくる人だった。そして、私達の誰かが不運や不幸に見舞われると、前世の業だとか言ってきた。
ある日、職場の休憩室で私達が休んでいると、点けていたテレビからニュースが流れてきた。小さな子供が、酷い虐待で命を落としたというニュースだった。皆お喋りをやめ、お菓子を摘む手を止めた。私は当時違ったが、同僚達には子供のいる母親が多かった為、この手のニュースには余計に他人事ではいられない。
「可哀想……」
誰かが呟いた。それを皮切りに、皆が思い思いに喋る。
本当に可哀想、男が出来たとか、こんな身勝手な理由で子供を殺すなんて、母親許せない、いや悪いのは母親だけなのか、父親は、児相は何をやっているのか。
「あらぁ、可哀想なんかじゃないわよ」
いつの間にか休憩室に麻美さんが入ってきた。お菓子を波動が下がるとか言って近付かなかったのに。
「だって、その子供は前世で悪事を働いたのよ。だから、その報いが来たのよ。それだけよ」
そのあんまりな言い分に私達は呆気に取られた。そんな私達に、麻美さんはまるで幼い子に説明するような態度で続ける。
「前世で虐待をしたから、今度は虐待される側を体験しに産まれたの。そういうことをされたいと望んで産まれたの。全ては因果応報。可哀想なことなんて一つもないのよ」
得意げな態度の麻美さんに誰も何も言えなかったが、賛同している人などいないことはすぐにわかった。その時だった。
「……ざけんな」
柚子さんという名前の大人しい同僚の一人が、そのドスの効いた声を出したことに皆が驚いた。柚子さんはそのまま、麻美さんに殴りかかる。
「ふざけんな!! お前のこれも、これも前世の報いだよな!! 因果応報だよな!!」
そう叫んで何度も麻美さんの顔を殴りつける柚子さんを、誰も止めることはできなかった。
「いやぁぁっ、痛いっ!! な、何するの! やめなさい!」
「痛いだぁ? やめろ? これはお前が前世で望んだことなんだぞ。甘んじて受けろ!!」
殴り続ける柚子さんに反撃して、麻美さんも柚子さんの髪の毛を引っ張り出した。そのまま二人は大乱闘に発展した。響き渡る二人の悲鳴に騒音。
「私は虐待を望んでなんかない!! あんな家望んでなんかなかった!! これも前世の報いなの!?」
という柚子さんの叫びが、途切れ途切れに聞こえた。
物音を聞きつけて上司が飛んできて、やっと二人は引き離された。
その後柚子さんは退職。麻美さんも私達の冷たい視線に耐えられなかったのか、すぐに退職していった。
「その柚子って人は虐待を受けてたんだなー」
「うん。後になって、麻美さんの考えは割とスピリチュアル方面ではメジャーな考えだと知ったの。でも、やっぱり私には受け入れられない」
凛太を授かった今、余計にそう思う。
「公正世界仮説みたいなものなのかね。酷い目にあった人間は、悪いことをしたに違いない、というやつ」
「そう思いたい気持ちはわかるけどね……でも、冷たい考え方だよね」
「パパ」
寝たはずの凛太が後ろに立って話しかけてきたことに、私達はびっくりした。
「どうした凛太、いい子になるんだろ! 早く寝なきゃ」
「パパ、本当に悪いことしたら虫になるの? じゃあ虫は、悪いことをした人達だったの?」
私達は顔を見合わせる。これが気になって起きてきたのか。やっぱり夫と凛太は似たもの親子だ。
しかし考えてみれば、悪いことをしたら虫に生まれ変わるという教えも、麻美さんが信じていた「虐待を受けるのは前世の業」というスピリチュアルと変わらないのではないか。
「すまん、本当は嘘だ。虫さんは何も悪いことをしていない。大変な中、一生懸命に生きているだけだ」
夫がそう言うと、凛太の顔は明るくなった。
「良かった!」
「そうか、早く寝なさい」
「悪いことして、虫に生まれ変わらないなら、どうなるの?」
「お尻ぺんぺんされるのよ! 早く寝なさい!」
「はーい!」
悪いことをしたらお尻ぺんぺんされる。即ち人に罰せられる。実際はそんなものなのかもしれなかった。
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