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「那月、大丈夫?」
「え、なにが?」
「なんか、まだ引きずってるのかなって」
千尋が心配しているのは私の元彼のことだろう。二年間同棲していた彼とは、つい二週間前に別れたばかり。
「大丈夫大丈夫。全然、のーぷろぶろむだよ」
「言えてないし」
「ははは」
千尋は優しい。学生時代から私のことを誰よりも見てくれている。私の些細な表情の変化も見逃さない。だからこそ、私は彼女に頼ってしまう。
たぶん、今年のフェスも彼と行きたかったはずだ。毎年彼と一緒に行っていると話していたし、仲がいいのも知っている。でも千尋はその彼に断りを入れてまでも私を優先してくれた。
「彼氏も連れて来ればよかったのに」
私がそう言うと、「いいのいいの。久しぶりに那月と二人で夏フェス行きたかったし」と声を返してくれた。その優しさが胸に染みる。
「……ありがとう」
「いいえ、どういたしまして」
「うふふふ」
二十分ほどバスが走り、会場へと到着した。
「お忘れ物のないようにお気をつけください」
運転手さんの低い声が聞こえ、順番にバスを降りていく。ここから会場まではまだまだ距離がある。フェスってほんと歩いてばっか。砂利道を一歩一歩進む。汚れてもいいスニーカーは、去年も履いていたやつだ。
「まずどうする? 最初のアーティストでも十時からでしょ? オープニングアクト観る?」
千尋が尋ねてくる。
「どうしようかなって。あんまり知らない人ばっかだしさ。メインは午後と夕方と夜でしょ? まあ適当に、休みながらみたいな」
「だね」
フェスのいいところは、まったく知らないアーティストを観てどハマりすることがあるというところだ。去年のオープニングアクトで観たあのバンドは今も私のお気に入りとなっている。あいつはあんまり好きじゃなかったみたいだけど。
駐車場を出て、ひたすら歩いていくと遠くの方にメインステージのセットが見えてきた。だだっ広いエリアには二万人以上の人が入る。始まった。夏フェスが。
私たちはお互いに顔を見合って笑った。テンションは自然と上がっていく。
「グッズどうする? たぶん長蛇の列だと思うけど」
「私はやっぱりいいや。買えるやつはネットで買うよ」
「だね。じゃあとりあえずオアシスエリア行ってみようか」
千尋の提案でまずは飲食ブースへと向かう。お腹はそれほど減ってはいないけど、とにかく暑い。喉の渇きは常にあって、冷たい飲み物を欲していた。
人の流れに沿って『oasis』という青い看板が示す方へ歩いていく。入り口付近には霧状の水が頭上から降り注いでいて、一瞬だけ冷たさを感じた。前を歩く子どもが何度も何度も飛び跳ねてそれを浴びる姿が可愛かった。
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