夏の終わり

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 ここはどこだろう。  懐かしい匂いと、懐かしい声。  セミの鳴き声が、うるさいほど響いている。  キーンコーンカーンコーン……  鐘の音が響き渡る。  そうだ、ここ。  遠くまで続く廊下と、規則的に並ぶドアは、僕の記憶の奥底に残っている風景。  あぁ、僕が通っていた小学校だ。  なぜ、ここにいるのか分からないまま、ふらふらと廊下を進む。  数人の生徒とすれ違うが、みんな僕のことが見えていないのか、ただ気にしていないだけのか、誰一人僕に視線を向けることはなかった。  毎日誰かの視線を気にして、誰かの機嫌を取っていて、それがとてつもなく嫌なくせに、誰も見てくれないのは不快、だなんて、なんとも都合の良い頭だ。  僕はどこを目指して、歩いているのだろう。  すると、前から知っている顔が歩いて来た。  あ、えっと、確か……  そう考えているうちに、その女性は僕の隣をすっと通り過ぎる。  僕は、振り返った。 「先生。田中先生……ですよね?」  田中先生は足を止め、僕の方を振り返る。 「そうですが……卒業生の方?」 「え……」  僕は愕然とした。  田中先生は、『卒業した生徒の顔は絶対忘れない』、そう卒業式の日、僕に言ってくれた。  『だから、いつでもなにかあったら頼ってね』  その言葉が、どんな「がんばれ」より背中を押してくれた。  帰ってもいい、頼ってもいい場所がある。  たったそれだけで、人は安心して、新しい場所でも頑張れる。  つらいことがあっても、先生の言葉が、支えだった。   「ぼ……僕です。坂田です。あの、3年前に卒業して、先生のクラスで……」  田中先生は僕の言葉に、眉を寄せ、少し考えているようだ。  考えないと分からない?  あんなに毎日、話を聞いてくれたのに?  特別だと思っていたのは僕だけ? 「せ……先生?」 「あ、あぁ。ごめんなさいね。坂田くん、坂田くんね。確か、サッカー部の……」  僕は視界が真っ暗になった。  サッカー部?  誰と間違えてるんだろう。  僕は、踵を返し、来た道を戻った。  僕は、帰る場所を一つ失った。  本当に帰りたかったわけじゃない。  心の拠り所のような、そんな場所。
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