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座敷にて
都内某所にありながら、華やかな都会の喧騒とは切り離された場所がある。
料亭、花霧。
一見さんお断りを掲げているがゆえ、一般人が足を踏み入れることが難しく、顧客の名前には政財界の大物がずらりと並ぶ。
そのため、ここが密談の場に使われていた事も多く、政治が大きく動くのはここから…と、まことしやかに囁かれる、知る人ぞ知る名店である。
ちょろちょろちょろ……カコーーーーーーーン……
風流な鹿威しの音色が響き渡る。
細部まで職人の手入れが行き届いた日本庭園は夜の今、所々煩くならない程度に灯りが配置され、しっとりとした落ち着いた雰囲気を醸し出していた。
そんな日本庭園を独り占めにしている本日の座敷の主人が、酒の入った杯を傾ける。
肩までの白髪。和装の背中からは年齢を感じさせない覇気が漂う。顎が張った顔には深い皺が刻まれているが、今は夜の庭へと向けられている眼光は鋭く、まともに目を合わせられる者はごく一部しかいない。
鬼龍院虎三郎。
戦後急成長を遂げたこの日本だが、光が当たる場所があれば、そこには必ず影ができるもの…そんな影の部分で生き抜くため、時には己の手を汚す事も厭わず、数々の修羅場をくぐり抜け、なりふり構わずのし上がってきた男である。
今では、数々の企業をまとめ上げ、巨万の富を手にし、その力は政界にまで影響を及ぼすほど…そのため政治家ですら無視出来ない存在。それが今の虎三郎だ。
「ほう…このわしに楯突くか」
虎三郎は、片頬を不敵にあげる。
「はい、そのようです」
虎三郎の後方、襖に近い位置に背筋をすっと伸ばし、正座をしている男が一人。歳の頃は三十代後半だろうか…一見してオーダーメイドと分かるスーツに身を包み、きっちりと髪を後方に流し、かけたメガネの奥には冷えた双眸が光る…。
若いながら、どんな残酷な事でも眉ひとつ動かさずに遂行できる冷徹さと、どんな情報でも仕入れてくる事ができる情報収集能力。そして、切れすぎるほど切れる頭を見込まれ、虎三郎の第一秘書…右腕として動いている、碓氷静である。
「どうやら、民活党の若手議員である畑山聡が、クリーンな政治改革を掲げ政界の膿を出す…そんな、薄っぺらい正義を振りかざして、重鎮である真明党の神月正親氏と総帥の関係を、週刊誌にリークしようとしていたようです。そちらは出る前に握りつぶしておきました」
「ふん…わしも甘く見られたものだな。そういう輩には…」
ちょろちょろちょろ……
「お薬を据えねばな!」
カコーーーーーーーーーーーーン……
「かしこまりました」
ちょろちょろちょろ……
「お灸を据える策を練って参ります!」
カコーーーーーーーーーーーーーーーーーーン……
「……うむ。任せたぞ」
「はい。それでは私は失礼いたします」
碓氷は、一礼すると襖を開けて座敷を後にした…。
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