灯る精

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 妹の鹿のような瞳と見つめ合いながら、サコはあくびを一つ宙に放った。  昼間に寝すぎたせいか、夜が深くなっても妹は寝付きそうにない。サコのまぶたが重くなるほど、妹の目は爛々と輝く。寝床から抱き上げ、膝の上で揺すってみる。赤ん坊はまだ姉を見つめている。  開け放された戸口から薄い風が吹き込み、二人を優しく撫でる。床には戸の形に切り取られた月光が落ちている。今日は太陽も月も強い。  サコの頭は昼間見た玉のことを考えていた。  その玉の正体には見当がついている。それを獲物と間違えて飲み込んだ海鳥の末路はわからない。  欲しかったな。サコは思ったが、落胆するほどではなかったし、初めてそれをみることができたことの喜びのほうが勝っていた。  月光に背を向けて、膝の妹の背中をトントンと叩き、軽く揺すりながら、眠れ眠れと小声で唱える。妹はサコの小袖の袷に小さな指でしがみつき、まどろみ始めた。  「サコ」  家の奥で母が呼んだ。その奥に父の図体の影が横になっている。  「代わるから、お眠りな」  妹を母に託し、サコは戸口から外へ出た。交代のときに妹が目を覚まし、もぞもぞうねりだしたのがなんとなく想像できる。  頭を包んでいた布を取り払い、こぼれた髪を夜風に流す。自分は妹と連動しているのだろうか、妹が起きているときは眠かったのに、妹が母に抱かれて眠り始めると、とたんに目が冴えた。  満月が黒い海面に光の一本道を渡していた。昼間に玉が発生した場所に重ねるように、月の道しるべがサコの正面に伸びている。  海から視線を外し、丘の下を眺めると、今夜はほんの少しだが家々の形を見ることができた。サコの暮らしている苫屋(とまや)と何ら変わらない建物が点々とする様子は、巨人が背筋を曲げることなく胸の高さから岩をばらまいたかのように見える。人の少ない、小さな海の村だ。  ふと、今見渡している村や背後の自分の家を照らしているのが月明かりただ一つだけだということに思い当たり、サコは何とも不思議だと感じた。  多くの人は寝静まっているが、起きている者は月だけを頼りにものを見なければいけない。そうでなければ耳と鼻、手触りにすべてをゆだねることしかできない。それがとてつもない不安に思えた。  昼はいい。全体が明るいのだから。だけど夜は違う。辛うじて月光が当たる場所をけち臭くほじくりながらものを見なければいけない。夜になると鳴きだす梟、家の前まで歩いてくる狸、穴熊、猪、得体の知れない何か。暗い夜だからこそ自分の目でその姿たちを確認して安心したいのに、夜だからこそそれができない。人々が夜になったら寝静まるのはこれのせいだろうか。  目を閉じる。それだけで耳が敏感になり、横手の藪から何かが這う音がする。今まで気づかなかったのに。多分蛇だろう。  海上の道をもう一度眺める。昼間の玉を、海鳥をもう一度思い出す。  あの玉と同じものを持っている者はこの一帯にはいない。サコはそれを一度も見たことがない。海を挟んだ対岸の村で一つ発見されたとか、もっと栄えた町では持っている世帯が少なからずあるとか、そういった話をたまに聞くくらいだ。  私はあれが欲しいのか。サコは自身に問いかけた。  家の後ろの森からバサリと音がする。何の動物か、そもそも動物であるかもわからないまま、それでもサコは驚くことも怯えることもなく家に入った。  ずっと太陽と月と炊事の火だけで生きてきたのに、今さらこの程度の夜に怯えるものか。  あの玉は、私には必要ではない。  けれど、欲しいか欲しくないかでは、欲しいなと思った。  家の奥では、母と妹の影が溶け合っていて、サコはその横で眠った。
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