灯る精

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 ねえねえ。りすが跳ねるような響きで、妹が胸に手を置いた。  よじ登ろうとしてくる赤ん坊から遠ざけるため、サコは(ともり)を持った手を高くあげた。  母に助けを求めようとしたが、かまどの火の面倒を見ているので、それができなかった。  海から芽生えて、海鳥の腹から取り出した灯は、ほのかな熱を感じるような、その一方でただの思い込みで温度などないような、微妙な玉だった。感触も重さもないのに、確かに手の中にあるのがわかる。いや、もしかしたらそれもただの思い込みなのかもしれない。  ただ、一つ確実なのは、それが光っているということだ。火が曖昧な玉の形をして、天井や壁をほんのりと照らしている。家の隅々まで照らすような明るさはなく、サコの手から顔までを黄色っぽく浮かび上がらせ、あとは海水が浜を湿らすように、床や天井にじわりと伸びている程度だ。  ものを燃やす能力のない、触れる火。  まさに、照らすためだけの火だ。  灯、とそれは呼ばれている。  だが、サコは灯について詳しく知らないため、床に置いたり家族の手に触れたりして万が一のことがあったらと考えて、ずっと自分で持ち続けている。  ねえねえ。妹は灯が気になるようで、ついに脚まで使って登山を始めた。小さな体が膝から転げ落ちないように、サコは背中をのけぞらせる。意図せず登りやすくなった姉の体を、妹は嬉々として這い上がってくる。  「やめてったら……おっかあ!」  外から「何よお」という母の返事がする。空いている方の腕を妹に巻きつけながら、これは駄目だとサコはひとりごちた。  「何でもなーい」と言葉を投げて、サコは灯を床に置くことにした。床へと進路を変えた小さな背中を捕まえ、背中に回し、紐で自身の背中に縛りつけた。案の定ぐずりだしたが、降ろすつもりはない。  上下に揺すってあやしながら、サコは外の色を確認した。空はやっと紅色に染まりだしたころだった。(からす)が群れを成して飛んでいくのが見えた。紅に黒点。赤ら顔にほくろ。海に出ている父は血色の良い人で、梅干しのような顔にほくろがいくつか散っている。そろそろ帰ってくるはずだ。  (ざる)の中の野菜を分けて一部を切りながら、サコの頭の中で夕日と烏の色が反転していく。紅に黒点、黒に紅点。暗い夜に浮かぶ、小さな炎。早く夜が来てほしい。  父が母に帰ったことを告げるのと、サコが必要な分の野菜を切り終わるのは、ほぼ同時だった。父が家のなかに入ってくるのとすれ違い、母に野菜を届けに外へ出る。妹はまだぶうぶう口を鳴らしていた。かっさらうように父が妹を預かる。  「帰ったぞお。いい子にしてたか? ええ?」  「してたよね?」  妹が脚を振り回しても、体格のいい父には効果がない。サコは安心して肩をぐるりと回した。小袖の(あわせ)から灯を取り出す。  「それ、もう浮かばせるの?」  ふいごで火を煽っていた母が聞いた。切った野菜を渡し、「まだ。見てただけ」と答える。  一緒に夕飯の準備をしながら、母と灯について話した。  「最近は色んな村や町で見つかるって聞くけど、この辺りではサコが一番ね」  「浜辺の人たちから見えるかな」  「見えるわよ。ここは丘の上なんだから」  かまどの火が盛っている。サコの懐も熱くなった気がしたが、気のせいに過ぎなかった。  「この村の家全部に灯があればいいのに」  「それは便利ねえ。夜でも出歩けるかもしれないわね」  便利か。確かにそうだろう。だがサコは別のことばかり想像していて、灯があれば闇夜でも少しは見えるようになって便利だということは考えていなかった。  サコが思い描くのは、夜に咲く橙色の滲んだ花だった。  丘の上から海を見守るように咲く、一輪の明かり。  いずれ咲き乱れるかもしれない、海辺の村の夜の花畑。  想像するだけでも心地良い浮遊感に包まれる。サコの胸を爽やかな夜風が吹き抜け、虫の歌が耳の奥で奏でられる。  夕飯のしたくができて、母と家に入るとき、もう一度海へ振り向く。太陽は全身を晒しており、それでも先ほどよりは海へ浸かろうとしていた。  懐をそっと撫でる。  家の中では父が妹を天井高くまで上げ、妹のはしゃぐ声がしていた。
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