灯る精

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 足の裏に痛みが走った。  反射的に足を上げると、自身の肌の色に似た砂がポロポロと落ちていく。  片足で立ちながら足を半ば裏返すと、小さな巻貝の先端が刺さっていて、サコが見た瞬間、巻貝は逃げるように地面へ落下した。刺さった穴から血が肌を伝う。  草履を履いて、サコは浜辺を歩き続けた。一歩ごとに足が砂に沈み、指の間を埋める。  海では全裸の男衆が舟を浜へ引き揚げたり、逆に水底へと潜っていったりしていた。今日は波は穏やかだ。  海と反対側の丘の上では一軒の苫屋が地平線と対峙するように、あるいは丘の下の村を見守るように建っていた。ちらりと何かが動いた気がするが、母だろう。特に変わったことはない、いつもの光景だった。  サコはまだ歩き続ける。目的はなかった。強いて言えば落ちている流木や海藻を探しているくらいだった。妹は家で眠っているので背中は静かで、暇すぎるくらいだ。  「サコ」  海から声がした。  顔を向ければ一瞬男の全裸が目に映り、次いで灰色の小袖を羽織った体に変化する。  手早く帯を締めた小柄な少年がサコの前まで歩いてくる。手には貝をいくつか握り、それらが擦れ合ってギコギコと鳴っていた。  少年とサコの身長はほぼ同じで、目を合わせれば相手の瞳の中に入れそうな気分になる。彼と話すとき、サコは彼の中に入って意志を汲み取るように言葉を紡ぎ、耳を澄ませる。  少年もまた、侵入してくるサコがこぼれないよう、まぶたを心持ち狭める。少女が入るための取っ掛かりを作るかのように。  「何してんの」  「何もー」  少年――ノウタは貝を三つ、サコにくれた。背丈の割に手が大きく、一度に数個の貝を片手に握ってしまう。  「ありがとう」  袂に貝をしまい、砂浜の外側に点在する家々を振り返る。その中にノウタの家もあるが、どれも似たり寄ったりだった。  「今から帰るの?」  「うん。おとうが先に帰れって」  並んで歩き出す。さっき怪我したばかりだからか、サコはノウタの裸足を気にしながら歩いた。手と揃って大きな足だ。  「あれ、何」ノウタがふいに聞いてきた。  「あれって?」  「ちょっと前からサコの家で何か光ってるだろ」  二人同時にサコの家を見上げるが、この位置からでは戸口は見えづらい。見えたところで、晴天の下では見たいものは見られないだろう。  「灯だよ」  「トモリ? 何それ」  「光のこと、かな。火じゃないんだけど、火みたいに光ってるの。熱くないんだけどね、その」  初めて気づいたが、サコは灯についてよく知らない。こうして説明を求められてもうまく話すことができなかった。  わかっているのは、戸口の上に浮かばせることができること、触っても感触がないし熱くもないこと、暗い夜には月明りよりも自分に寄り添ってくれるような明るさだということくらいだろうか。  考えてみれば、得体の知れないものをサコは手に入れ、大事にしているのだった。  ノウタはまだサコの家を見上げている。彼は外の村や町での噂を聞いたことがないのだろうか。  「見たい?」  「いいのか?」  ノウタの表情を窺うと、彼は嬉しそうでもなく嫌そうでもない顔をしていた。  気になるけどよ、と呟いてそれきり黙ってしまう。  「どうしたの?」  「……その灯ってやつ、どんなの?」  「それを見に来ないかって聞いてるのに」  「そうだけどさ、よくわからないんだよ。火みたいな火じゃないやつってどういうことだ?」  わからないよ、とサコはノウタの瞳の内側に入り込み、そこから耳へ伝わるように答えた。そうすれば一緒に灯について考えてくれるような気がしたからだ。  ノウタが両手をすり合わせて呻った。手に挟まれた貝が歯ぎしりのような音をたてる。  「夜にサコの家を見るとさ、燃えてるだろ。燃えてるように見えるんだよ。初めて灯とやらを見たとき、火事かと思ったもん」  おとうとおっかあを起こしちゃった、と笑うのに対し、サコは少なからず衝撃を受けた。  海辺の村から、自分の家はそんな風に見えていたのか。  家が炎と同じ色に照らされていたら、誰に言わせても火事だと答えるはずだ。だが、その内側に住んでいるサコからすると、それは考えてもみなかったことだった。  「夜に、月以外の明かりがあれば、みんな心強く思うかもしれないって、そう思ってた」  「あー、おとうたちは最初びっくりしてたけど、灯のこと知ってるみたいだったぜ。ありがたいことだねって言ってた」  「本当?」  大人たちは灯について多少知っているのか。  サコの両親も珍しがりはしても、特別驚いていたわけではない。  自分やノウタは知らないだけで、灯の何たるかを大人たちはよく知っているのかもしれない。知っていて当たり前だからこそ、詳しく語らないのかもしれない。  帰ったら母に聞いてみよう。  ノウタとは今夜灯を見せると約束し、サコは丘の上に向かって歩き出した。袂の中で貝がカラカラと音を奏でた。
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