灯る精

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 遠くで飛んでいる海鳥と目が合った気がした。  翼を広げ、旋回しながら海面に近づいていく。空中で巻く渦が低くなり、波が生まれた地点へと突き刺さる。少し離れたところで顔を出した海鳥のくちばしには魚がくたりとぶら下がっていた。  腹を割って灯を取り出した日、海鳥の死骸は海に流した。風のない、歩けるくらいのっぺりと海が凪いだ時を狙い、灯の生まれた場所へと捕食者を返した。  もうとっくに、魚たちに砕かれてこの世に存在していないだろう。  一羽の海鳥が身を崩し、骨だけになり、いつしかそれも無くなった海へ、そっくりな姿の海鳥が魚を求めて突撃していく。  サコは自分が射て殺した鳥が血を流し、その赤が燃えていく様を思い描いた。それを糧に、自分の灯は灯り続けているのだと、とりとめのないことも考えた。  かまどの火を育てながら、背後の夕日を振り返る。この世からの抜け道のように開かれた太陽よりも、明暗を併せ持って輝く海の方がずっと眩しかった。砂浜の砂が海にも散っているかのようにあちこちできらきら光る。美しかった。  この世には光が満ち溢れている。サコは突然気付いた。  そしてそれらのほとんどは太陽と月と炎と、それらの照り返しで出来ている。  三つの光源の偉大さを知りながら、同時にそれらしかないことに心許ない気もしてくる。  気持ちが強まるごとに、サコは目の前の火でも背後の夕日でもなく、戸口に浮かぶ得体のしれない光にすがりたくなる。  早く夕日が沈んでほしい。早くノウタに灯を見せたい。  壁の内側から妹のはしゃぐ声が聞こえてくる。今日はご機嫌だ。ノウタが来ればもっと喜ぶだろう。  干していた洗濯物を回収し、腕に抱えながら家の中へ向かう。昼間に陽光を吸い込み、洗濯ものは温かかった。顔を埋め、太陽の芳香を吸い込んでから、鼻に当たっていたものが妹のおしめだと気付き、慌てて顔を離しながらサコは一人笑った。  それから自分の小袖と父の袴が切れて穴が開いているのを見つけ、後で繕わなければと思ったとき、足がもつれて転んでしまった。再び妹のおしめに顔が埋める羽目になってしまった。擦りむいた腕をかばいながら身を起こし、自分の小袖に空いた穴がさらに広がっているのを目にしてげんなりした。できる限り土を払い落とし、ひとまず家に入った。  母は怒らなかった。水で傷口を洗うように言い、無事な洗濯物と汚れた洗濯物とを分け始める。  「わたし、今から洗い直すよ」  「もう夕飯ですよ」  「そんなら、食べてからやる」  「その頃には暗くなってるよ。ノウタも来るんでしょ?」  土のついた母の小袖と前掛けの上で寝転ぼうとする妹を牽制しながら、サコは平気よ、と言い返す。  「ノウタが帰った後でもできるよ。灯があるもの。戸口で洗えばいいじゃない? おっかあは寝ててよ」  「夜じゃあ、乾かないわよ」  「それなら明日洗うから、夜のうちに穴空いたところを縫うよ」  サコは自分が洗濯物を汚してしまったことへの尻拭いというよりは、灯が夜になって本領を発揮する様を見たい、そしてその明かりを頼りに何かをしたいという気持ちのほうが強かった。灯があるのに寝ていてばかりでは意味がないではないかと改めて感じていた。  母はそれでも取り合わず、「急ぎでもないんだから、ノウタに見せた後は寝ましょうよ」とサコを封じ込めた。夜に寝床から出て、娘が風邪を引くのを懸念しているのだろうが、サコは少し不満だった。  それでも、ノウタに灯を見せるときには夜になっている。太陽も月と交代して休憩に入っているだろうと思うと、サコは上機嫌になった。人に見せるという行為、何より友人が家に来るまでの間に灯が場所を示す印となることが楽しみでならなかった。やっと出番が来たんだと、灯に親愛の視線を注いだ。  太陽が下へ潜るとともに滲むように強くなってくる戸口の明かりが、サコの心の声に呼応するかのように、一瞬揺らいだ。  サコは、おやと思った。  風でも吹いたか、いや、今まで風が吹いても灯に影響はなかった。では、今のは何だったのだろう。  外に出てみてもわからなかった。灯はもう動くことなく浮いている。見えない手で持たれているかのように、家が建つ前からそこにあったかのように、それは揺るがない。  サコは灯に触れてみようとしたが、その前に内側から母の呼ぶ声がした。  夕飯を食べた後は、ノウタが来る前に妹を寝かしつける試みをしなければならない。少年が来れば興奮して目が覚めるはずだが、寝かせる努力だけはしなければならない。  サコは冷たくなってきた風に押されるように家の中へ入った。
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