休日の騒音

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休日の騒音

 それからしばらく経ったある日。俺は前日の作業が予定より早く終わり、その日に予定していた作業も前日の空いた時間に終わるという順調ぶりで、久しぶりに何もない休日が出来た。諒から家にいくという連絡もなく、俺は頭が痛くなるほど眠ってやろうと意気込んでいた。  しかし午前中から、何やら外が騒がしい。  一時的なものだろうとそのまま無視して寝なおそうとしたが、なかなか鳴りやまない物音が気になって、ついに瞼を開いてしまった。  一体何事だとドアを少しだけあけて外の様子を見ると、どうやら隣に誰かが引っ越してきたようだ。部屋に荷物を運びこむ人が数人、忙しなく動いている。隣の部屋は数年前からずっと空いていた。隣に人がいないのは静かで気も使わなくて良かったが、こればかりは仕方がない。そもそもわりと条件のいい角部屋だ。今まで埋まらなかったのが不思議である。  俺は越してきた人が静かなことを願い、そっとドアを閉めようとした。しかし閉まりかけたドアを、誰かの手がとめて強引にドアをこじ開ける。  不審に思ってドアの隙間を睨みつけると、ドアの向こうからのんきな声が聞こえてきた。 「セノ、起きてたんだ。おはよー」  こじ開けたドアから顔を出した諒が、よいしょ、と中へ入り込む。 「まだ朝だろ。頼むから普通に遊びに来てくれ」 「もう十時だよ。それに今日は遊びに来たわけじゃないから」  ――遊びに来たわけじゃない?  まだ半分寝ぼけているせいか全く理解が追い付かず、きっと不審な目で諒を見ていたのだろう。諒が隣の部屋を指差す。 「引っ越し」 「あぁ……お隣さん、諒の知り合いだったのか」 「違う。セノって本当鈍いな。俺の引っ越し」  鳩が豆鉄砲を食ったような、まさにそんな表情をしていたのだろう。俺の反応に今度は満足そうに笑った諒は、そのまま言葉を続けた。 「もう電気ガス水道、全部通ってるから、後で一緒に飯食おう。それじゃあ俺は片付けがあるから」  ひらひらと手を振り、言いたいことだけを言って去っていった諒の背中を見て、俺は数日前のやり取りを思い出した。 「諒、あのさ」 「何?」 「家に来るのは構わないけど、仕事中は離れてくれるか」 「気にしないで」  自分の仕事が休みだからと遊びに来た諒が、俺が作業をする椅子に一緒座って背中にくっつきながら小さく笑う。 「はっきり言わない俺が悪かった。邪魔だ。どいてくれ」  諒の態度に盛大にため息をつきながら俺が語気を強めると、諒は不服そうな顔をしながら椅子を降りた。正直、ここ最近忙しくて、家に来てくれても一緒にいるだけしかできない日が続いていたから、諒の行動を責めるような事はしたくなかった。しかしその作業も後少しで終わりそうで、尚更手を早く動かしたかった。  しばらく静かになって仕事に集中し始めた頃、諒の言葉がまた俺の集中力をかっさらう。 「……セノ、やっぱり一緒に住もう」  突然の話にキーボードを打つ指の一瞬動きを止めてしまったが、きっと冗談だろうとパソコンからは意識を離さないまま返事をした。 「いきなり何の話だよ」 「だってセノ、人間の暮らししていないじゃん。また痩せたし、やつれてるし」 「……意外と食ってるし、大げさ。問題ないです」 「最近、インスタントやカップ麺以外、何食べた? さっき氷借りようと思って冷蔵庫見たら保冷剤しか入ってなかったけど。今、体調崩して外に出れなくなったら死ぬよ?」  まさに、そんなものしか食べていなかった。返す言葉もないので無言で聞かなかった振りをしていたが、諒は勝手に話し続ける。 「大の大人がその生活はどうかと思うよ。会いに来たらセノが倒れている未来が簡単に想像出来る」  諒は俺の乱れた生活が気になって仕方がないのだろう。心配してくれているのもわかる。ただ俺も簡単に今の状況を変えられるかといえば、そうもいかない。一度仕事の手を止めて椅子ごと諒の方を向いた。 「気にかけてくれるのは有難いし、心配かけて悪いとも思ってる。ただ、一応、会社兼自宅だから、引っ越しは手続きとか……なんか色々手間がかかるからしたくない。俺以外が住める家の状態を持続するのも無理だと思う」 「まぁ、それもわかるから悩むんだよね。俺もこの部屋に住むのは……とてもじゃないけど無理だし」  諒はうーんと唸りながらため息をつく。  はっきり言ってくれるな。『セノがいれば居心地なんて関係ない』って言ったのは誰だ。  しかし実際のところ、諒の家は綺麗だから文句は言えない。俺だって出来ることなら綺麗を保ちたいが、もう、諦めの境地だ。別の家に引っ越して一度は綺麗になったとしても、再び今と同じ状態になる気しかしない。  それから諒はスマホに集中しはじめて静かになった。話し続ける声が聞こえないと寂しいが、さっきまでの会話を考えると今の静けさは少し不気味だ。  しかし早く仕事を終わらせたかった俺は、そのまま手を動かし続けた。 「あ」 「? どうした」  突然、諒が何かをひらめいたように声を漏らした。俺はパソコンを見たまま何事かと聞いてみるが、返事はない。一切話さず黙々とスマホを操作している諒をたまに横目で見ていると、何回目かで視線に気がついたのか顔を上げてこっちを見た。  しかし「こっちの話だから」と、手をひらひらとさせる。そんな動作で返されるともう何も聞けない。  あの時は、諒の中でさっきの話題は終わっていて、何か他に興味があるものでも見つけたのだろうと、深く考えずに俺も仕事に意識を戻した。  しかしその後迎えたのが今日の引っ越しである。  諒はあの時、物件を調べていたのだろう。確かにこれなら、俺がこの部屋にいたまま同棲に近い環境を作れる。お互いのプライバシーも保てるし何も文句はない。諒の行動の速さに驚いた。  ふと、自分も引っ越しのかたづけを手伝うべきかと悩んだが、今いる部屋の惨状を目にしてすぐにその考えは捨てた。きっと俺に出来る手伝いは何もない。  突然驚くようなことが起こると妙に疲れる。俺は部屋に戻って、元の予定通り眠る事にした。
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