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case:1
訪ねてきたのは、隣町にある私立女子高の学生と、その母親だった。
「今日はどうされましたか?」
蔵居無先生が白髪頭を掻きながら尋ねる。
椅子に腰かけた娘が何か言おうとして口を開きかけたのだが、それを遮るように後ろの母親が甲高い声で言った。
「娘の集中力が続かないんです。先生、これは病気でしょうか? もうすぐお受験だっていうのに、どうしましょう。今からお薬を処方してもらって間に合うのでしょうか!」
「お母さん、落ち着いてください」
それから蔵居無先生がいくつか質問をして、娘の心身の状態を確認した。ちなみにその質問の半分以上は母親が答えていた。
その後先生は、聴診器を当ててみたり、手を見たり、喉や鼻を診たりしていた。
結果、娘の状態は至って普通だった。
身体の異常が全く無い。
心の方は、母親曰く「勉強していても十分おきに集中力が切れて音楽を流し始めてしまうから、もしかしたら何か異常があるのかもしれない」とのことだが、そんなことは誰にでもあることだ。
現に僕は今、母親の金切り声を聞き流しながら、最近寒くなってきたから帰ったら一人鍋でもやって酒でも飲もう、と考えていたところだ。
しかし蔵居無先生は、穏やかながらも少し高めの声で
「それは大変ですねぇ」
とつぶやいた。
そして診察室の奥の部屋に一人で籠ると、大切そうに両手で薬袋を持って現れた。
お目当ての品を目にして、思わず母娘ともに前のめりになった。
「それが、例の万能薬ですの?」
先生は高級デスクチェアーに腰を下ろしながら「はい」と答える。
「これを飲めば、娘さんの症状は良くなりますよ」
「まあ! これで受験勉強もバッチリね」
先生は人差し指を立てる。
「しかし、用法用量は守ってください。一日一錠。どうしても集中したい時に飲んでください。一錠飲むだけでも十分効果のある強い薬ですから、濫用は控えてください」
「分かりました。はあ、これで安心できます! ありがとうございます!」
「お大事になさってください」
お会計後、目をぎらつかせた母親は娘の手を引いて帰っていった。
その後ろ姿を見ながら僕は、むしろ母親の方が病気なのではないか、と思った。
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