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 すっかり温かい日が続くようになり、診療所の駐車場の桜が咲き始めた。  今日も診療所は大繁盛だった。  ようやく書類関係の処理が終わって診療所の戸締まりをしていたところ、一人の男性が訪ねて来た。 「今日の診療は終わり──、あっ!」  追い返そうとして気付いた。  以前ストレス性の腹痛で来院した、あの中年サラリーマンだったのだ。  以前とは顔つきがまるで違って見えたので、一瞬新規の患者さんかと思ってしまった。  彼はいきなり僕の手を握った。 「この前はありがとうございました! もう何とお礼を言ったらいいか……」 「えっと待ってください、いきなりどうされたんですか?」 「治ったんですよ腹痛が! だから今日はお礼に参りました。ありがとうございました!」 「いえいえ僕は何も。そんな握手なんて──」 「そんなそんな! あなたにもお世話になりましたから」  僕たちの話し声が聞こえていたのか、先生が診察室から出てきた。  その瞬間、男性はまるで神を崇める信者のように手を合わせた。 「先生! 本当にありがとうございました! おかげで腹痛が治ったどころか、社長に気に入られましたし、給料も上がりました。娘が今年から大学生になるので学費の心配もあったのですが、これで心配無さそうです。本当にありがとうございました!」 「それはあなたの頑張りがあったからこそですよ」  男性は「いえいえ」と言いながら頭をペコペコ下げる。 「それを言うなら先生だって。あんな万能薬を開発されるなんて、本当に凄いですよ。実は今回、私にこの診療所を紹介してくれたのは娘なんです。娘の友達がこの診療所にかかったそうなのですが、なんでも、元々人見知りだったのが万能薬を飲んだおかげで、すっかり社交的になってしまったらしいのです。私が腹痛で悩まされているとき、娘がその事を思い出してこの診療所を勧めてくれたんです。『何でも治す、凄腕のお医者さんがいる』って」  僕と先生は思わず顔を見合わせた。  人見知りを治す目的で薬を処方したのは、受験生だった彼女しかいない。  克服できたことを知って、僕は嬉しくなった。  男性はリュック型のビジネスバッグからいそいそと何かを取り出した。  手の平サイズの小箱。開くと、デフォルメされた龍の可愛らしい置物が入っていた。 「大した物じゃありませんが。この前家族で旅行に行ったときに買ってきたんです。置いておくと様々なご利益があるみたいですので、よかったら」 「わあ、嬉しいです。ありがとうございます」  先生は早速、受付窓口にそれを飾った。 「では、夜分遅くに失礼しました。今後とも、よろしくお願いしますね」  男性は深々と頭を下げると、まるで子供みたいに弾むような足取りで帰っていった。  先生は目を細めて、彼の後ろ姿を見ていた。  彼が車に乗って駐車場を出て行くのを見届けると、先生は僕の顔を見た。 「今日はなんだか気分がいいや」 「先生、僕もです」 「お、ってことは、久しぶりに飲みにでも行くか?」 「ぜひ!」  そして先生は静かに言った。 「君に言っておかなきゃいけない事もあるからな」 「……え?」
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