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「じゃあ、そろそろ行くね。ばあちゃん」
荷物でパンパンになったリュックを背負い、ぼくは振り返った。じんわりと熱くなった目に映るのは、見送りに来てくれた村の人たちと生まれた時から十四年間過ごしたわが家だ。
ずっとずっと昔にひいじいちゃんが建てた木造の一軒家は、天気の悪い日に雨宿りができるようにと大きな屋根が張り出している。やさしさのいっぱい詰まったぼくらの家は、町にたった一つの薬屋としてだれからも愛されてきた。
だけど今日、ぼくはこの家を出る。
「気を付けていくのよ。どんなに貴重な薬草が生えていても、危険な場所には近づかないで。元気で帰ってくるのよ」
「うん、だいじょうぶ。約束するよ」
右手の小指を差し出すと、ばあちゃんは両手でぼくの手を握りしめた。
本当は行かないでほしいって思っていることを、ぼくは知っている。
だけど、決めたんだ。母さんのような薬師になるために、修行の旅に出るって。
ばあちゃんの後ろで、風に吹かれた下げ看板が揺れる。
“あなたに合ったお薬を調合します”
朝日に照らされた母さんの文字も、ぼくを応援してくれるようだ。
「ごめんね。ばあちゃんが奇跡のおくすりを調合できたらよかったのに」
深緑色のばあちゃんの目に、大きな涙と後悔がにじむ。
代々薬師をしているぼくの一族には、当代だけが作ることができる特別な薬がある。どんな薬も治療も効かない患者さんにだけ処方する、奇跡のおくすりだ。
門外不出のそれは、長年受け継がれてきた薬帳にも名前と材料しか記されていない。
先代は母さん、先々代はじいちゃんだったから、ばあちゃんは奇跡のおくすりの作り方を知らない。だけど、ばあちゃんがそれを知っていたとしても、ぼくはこうして修行の旅に出たはずだ。
「母さん言ってじゃない。奇跡のおくすりの作り方は自分で見つけるものだって。母さんも、じいちゃんから教えてもらってないんだよ。修行しながら、自分で見つけなきゃいけないんだ。
だから、ばあちゃんのせいなんかじゃないよ」
ぎゅっと手を握り返すと、ばあちゃんは顔をくしゃくしゃにして笑った。
「その表情、本当に母さんにそっくりだよ。まだこんなに小さいのに、大丈夫だって思わされてしまう」
「薬師にとって大切なことだからね」
「そうだね。その笑顔でたくさんの人たちを助けておいで。丹々が帰ってくるまで、薬屋はばあちゃんが守るから」
「よろしくね。ばあちゃん。みなさん、ばあちゃんとこの薬屋を、よろしくお願いします」
たくさんの人たちに見守られながら、ぼくは村を後にした。
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