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比奈森さんが朝から登校していた、5月最後の水曜日。その日もやっぱりプラントには元気がなくて、2時間目の体育から教室に戻る廊下で、思い切って声をかけてみた。
「ひっ、比奈森さん」
「ん-?なぁに?」
ポニーテールにした髪を揺らして振り向いた比奈森さんは、SNSの写真と同じ笑顔だ。ミズキちゃんやハナちゃんの時とは違って、表情だけ見たら誰も落ち込んでるなんて思わないだろう。
わたしは体操着のシャツの裾を指先で握って、そこから勇気を絞り出したみたいに質問を口に出す。
「あの…何か困ってることとか、あったりしない…かな」
じっと目を見て訊ねたら、大きな瞳が一瞬だけ震えるように動いて、すぐに笑みの形に戻る。頭の上のプラントは、泳がない目の代わりに小刻みに動いている。動揺するとプラントの葉っぱや茎が震えるのかもしれない。
右足を半分引いて体ごと振り返ってから、比奈森さんは答えた。
「んー、特にないかなぁ。お仕事も楽しいし?」
立てた人差し指を顎先に当てて首を傾げる姿は、まるで雑誌の1ページだ。プラントは今も震えているのに、指先も瞳も全く動いていない。こんなにも表情とプラントが一致していない人を見るのは初めてだ。ドラマに出ている俳優さんでも、泣いたり怒るお芝居をしている時にはプラントがその感情に合わせて変わるのに、比奈森さんにはそれがないみたいだった。
彼女に何があったのか、ますます心配になって、どうにか会話を続ける。
「が、学校は?何か悩んでることない?」
「んーん、全然!来るのイヤだから休みがちなんじゃないし、メグ平気だよ?」
「でも、その…」
比奈森さんがいつもの笑顔で答えると、答えた分だけ青い蕾がしぼんでいく。ちらちらと上に向く視線を怪しまれないように顔を俯かせるけど、葉っぱが今にも変色してしまうんじゃないかと思うと落ち着かない。
本当に何も悩んでないの?でも、だったらプラントが萎れていくのはなんで?何かあるなら、どうやって聞き出そうーーー。
双葉の生えた頭でぐるぐると巡らせていたら、
「それにさ」
と明るい声が言った。顔を上げると、雑誌の中の笑顔と目が合った。
「もしメグに何かあっても、それって薪野さんには関係ないんじゃないかな?」
満面の笑みで告げられた言葉が、わたしの目の前に透明で分厚い壁を落とした。手を伸ばせば届く距離にいる比奈森さんが、もっとずっと遠くに立っているように感じる。
わたしは喉に何かが張り付いたみたいに何も言えなくなってしまって、おでこが重力に引っ張られたように顔が下を向く。青い蕾が今どうなっているのか気になったけど、確認することもできない。
体操着の裾を強く握り締めたら、ようやく小さな声が出た。
「……そう…だね。…ごめんね」
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