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父ふたりと共に来た下見の際に見ていたから、登山の前に登山届を書いて出さなければならないことを野々歌はちゃんと知っていた。登山道の入口、無人の木箱の中に、きちんと記入した登山届を放り入れる。
登山といっても、小学校低学年の朔斗を連れて登れるような規模の山だ。地元の小学生が遠足で登ったりもするらしい。スマートフォンの電波だって、圏外にはなっていない。なだらかな登山道をのんびり歩いて、野々歌は再び、あの血染め地蔵を見つけた。
「ほとんど一年振りくらいだっけ? 約束通り、ペンキ、拭きにきてあげたからね」
それにしても、ペンキをかけられて何年くらい経ったのだろう? 朔斗がこの地蔵を見つけてからだってもう、四年くらいは経っているはずなのに、誰も処置してあげないものなんだなぁ。野々歌は汚れた地蔵に同情しながら、背負ったリュックサックから塗装落としの道具を出して作業を始める。
元々は父と一緒に作業するはずだったのだから、きちんと調べた上で道具を購入してあった。プロ用という名前ながら一般に市販されていた、ペンキ、塗料落としの溶剤。子供が触っても、そして自然にも害がないよう作られた、環境配慮商品だ。とはいえ、もちろん、子供だけで使わせないでくださいと注意書きはあるのだが。
スマホでインターネット検索をして、「コンクリート壁の落書きの消し方」というページを開いて参考にしながら、野々歌は地蔵のペンキ汚れ落としを試みる。ところが……。
「なんでよぉ……ぜんっぜん、落ちないじゃん……」
ペンキをかけられた直後ならまだしも、数年前からこびりついた汚れだ。小学生の女の子の腕力では、どんなに力を入れて頑張っても汚れはなかなか落ちてはくれない。持参したタオルにはほんのりと、黒と赤の汚れが滲みてきているから、全く落ちていないわけではないのだろうが。野々歌が参照しているwebページにだって、「頑固すぎる汚れはお金を払ってプロに任せましょう」と最後に記載されている。身も蓋もない。
やがて、日が傾き始めているのを野々歌は察して、立ち上がった。確かに、汚れを完全に落とすことは出来なかった。でも、朔斗の一周忌であるこの日、ここを訪れて、約束を果たす努力はした。彼に対する弔いとしては、これだけだってじゅうぶんだ。野々歌はそう判断する。
「落としきれなくてごめんだけど、今度はお父さんも連れてきてリベンジしてあげるから。もうちょっとだけ待っててよね」
赤いペンキのこびりついた地蔵の頭をふんわり撫でてから、野々歌は下山を開始する。
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