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高校
アイは高校に入って、初めて選択科目というものに出会った。
アイの入った高校は普通高校だが、進学組と就職組が2年生から主要5教科が別授業になる。それは知っていたのだが、芸術科目が選択制だとは知らなかった。
アイは元々音楽が大好きだったし、普通に音楽の授業があるのかと思っていたが、芸術科目は、音楽、美術、書道の3択制だった。
アイはもちろん音楽。小さい頃からピアノを習っていたし、歌も好きだった。
美術にも興味はあった。油絵の具を使って絵を描いたりするというから。水彩画の風景画は結構得で小学校の時にも、中学校の時にも賞を貰ったことがある。とはいえ、静物画は大の苦手で、リンゴが丸く描けないのだった。
書道は小さい頃に習っていたけど、高校生になったアイにはさほど興味はなかった。
やっぱりせっかくやるなら音楽。そう決めて初めての選択授業に行った。
音楽の先生はアイには初めての男の先生だった。
中学校の時にも男の音楽の先生はいたけど、アイは教わらなかった。
音楽の教室を見回すと、コーラス部の子は勿論音楽を選択していた。
元々、中学校でも音楽が好きなアイとは気の合う子達だった。
アイは、家の事情もあって、運動部に所属していたので、コーラス部の子達と一緒に音楽の授業を受けられるのは嬉しかった。歌の精度がぐっと増す。
男子はいないのかと思っていたが、3分の一は男子だった。これは、美術も書道も無理~という男子達だった。音楽なら何となく単位がもらえそうという感じで授業を選択したようだ。
音楽の先生はK先生と言った。ご面相は鬼瓦みたいだけど、声はバリトンで素敵な良い声だった。声楽科を卒業したらしい。
でも、ピアノは全く弾けなかった。
アイは驚いたが、芸術大学で音楽を専攻しても他に何か一つ選択して受かればなんとかなるものらしい。
いちおうその先生もピアノは練習したらしいが、結局は油絵を台に選択科目にしたらしく、音楽準備室にはいつも油絵の具の匂いがしていて、描きかけの絵があった。
先生は普通の音楽の教科書の他に、自分で選んだ歌の教科書も準備していた。元々イタリア語の歌が好きだったらしく、アイたちは半年もするとイタリア語で歌を歌わされることになった。
もちろん、読めるわけがないので、先生が言語の下にカナをふらせてそれを読みながら歌った。
ダラダラした男子生徒たちも初めてのイタリア語についてくるため、まじめ手に授業に参加して、最初の15分は毎回そのイタリア語の歌を歌った。
後は、普通の教科書で授業を進めて行った。
半年も同じ歌を歌うとイタリア語もだんだんわかってきて、感情を込めて歌えるようになった。
アイは運動部が嫌で嫌で仕方がなかったので時間の許す限り、音楽室に入り浸った。そうでもしないと、『ワ~ッ』と叫んで学校からも家からも飛び出してしまいそうな気分だった。
幸い、同じクラスに、小学校からずっと同じクラスになっているコーラス部のナオを誘い音楽室に行った。
少しの時間ができるとアイはナオの机に行って音楽の教科書の歌をハモったりして、気を紛らわせた。その間に少しでも時間が空くとどちらともなく言うのだった。
「そうだ。音楽室に行こう!」
そうして、二人で歌の本を持って音楽準備室に行く。
音楽のK先生はいついっても、音楽準備室にいる。この先生も人との付き合いが苦手で、職員室にも自分の席はあるのに、いつも音楽準備室にいた。
だから自分を訪ねてきてくれる、音楽を愛するこの二人の生徒には、嫌な顔をせず、時間がある時にはアイにピアノを弾かせて美声を披露してくれたりもした。
ナオも教室内で普通の友達ができにくいタイプで、アイが放課後運動部に行ってしまうので、アイと一緒に行かれる、授業時間中の音楽室行きをとても楽しみにしていた。
アイにもナオにもK先生にも貴重な授業時間内だけの音楽の時間。
アイたちは今日も声を掛け合う。
「そうだ!音楽室に行こう。歌を歌おう。先生がいたら、先生も誘ってみよう。」
それぞれの学校での寂しさを3年間そうやって、音楽室で紛らわせて、3人で精神の均衡を保って過ごしていった。
高校の3年間は短いものでやがてはこの関係も無くなってしまうけれど、この貴重なほんの短い時間のことを、3人は決して忘れる事はないだろう。
音楽準備室に漂う油絵の具の匂い、薄暗い準備室の雰囲気。
授業中ではないので、外からの明かりだけで、音楽室で引くピアノ。K先生の歌声。ナオと一緒にハモる音楽の教科書の歌。どれも忘れがたい思い出になる。
長い人生の中のほんの短い時間。
けれど、一番大切な思い出として、心の奥の消えないな場所にしまって生きて行くのだ。
【了】
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