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ハッと顔を持ち上げた女性は、エルシーが今まで出会った人のなかで一番にうつくしかった。
陶器の肌が日にさらされて、玲瓏としている。ラベンダーの花ばたけを思いださせるむらさきの瞳は、この世のものとは思えなくてエルシーは少しぞくぞくっとした。しかしそのラベンダー色の瞳が涙にぬれていることに気づき、すぐにかなしさがまさる。
女性は口をつぐんだまま瞳をふせ、両手をエルシーのほうへ差し出した。のぞきこむと、手のひらにはブローチがのっている。
トンボの形を模したブローチ。褐色の銅を土台とし、虹をくだいて閉じこめたかのようなふしぎな色合いの宝石が羽の部分にはめこまれていて、エルシーはたまらず、わあ、と感嘆の声をあげた。けれど、よくよく見れば四枚の羽のうち一枚が折れてしまっている。涙の理由はどうやらこの壊れたブローチらしい。
しかれども、腕のよい金細工職人がこの田舎町にいるはずもない。どれだけ考えても女性の力になれそうもなく、今度はエルシーが肩をおとす。
どうしよう、いったいどうすればこの女の人は元気になってくれるだろうと、一生懸命に考えをめぐらせ、はたとした。
手に持っているみずみずしいバラのブーケ。
このバラは、エルシーがこの町のなかできれいだと思うもののひとつだ。
エルシーは手元のバラを見つめ、きゅっと、くちびるを結んだ。
──……おばあちゃん、ゆるしてくれるよね。明日はいっぱいもっていくからね。
「よければこれ、どうぞ」
エルシーがブーケを差し出すと、女性はおどろいた顔をしてブーケとエルシーを交互に見やる。やがて、ためらいがちに受けとると、そっとブーケへ顔を近づけた。バラのふくいくになぐさめられたのか、涙にぬれたほおをふっくらとさせ穏やかなほほえみを浮かべた女性を見て、エルシーは胸があたたかくなった。
「この町、けっこうきれいなものにあふれているんです。そのブローチの代わりにはならないかもしれないけれど……楽しんでくれたらうれしいです」
旅の人なのだろうと思ったエルシーは、そう言葉をかける。女性は目を瞬いたのちに、にっこりと笑うとエルシーを指さした。その行動の意味が分からずエルシーはしばらく首をかしげていたが、もしや『この町のきれいなもの』にエルシーが含まれているという意味なのかもと気づき、照れくささにほおが熱くなる。勘違いだったらとてつもなく恥ずかしいので、何も言わずにいたけれど。
女性は大切そうにブーケをかかえて立ち上がると、ポケットへブローチをしまい、代わりに何か取りだした。
現れたのは大きい純白の一枚羽だ。羽弁の部分はふわふわとした本物の羽のようだが羽軸は黄金で、手に馴染む太めの羽柄は見たこともない独特な模様が彫られ、きらきらとした小さな石が散りばめられている。羽根ペンのようにも見えるけれど、ペン先はない。
女性はそれをエルシーの目交いへ差しだした。優しげにすがめられたラベンダー色の瞳が受けとってほしいと語っている。
エルシーはびっくりして、うけとれないです、と首をふったけれど、女性はかたくななエルシーを宥めるみたいにその羽でエルシーの鼻先を撫でてみせ、もう一度差し出してくる。にこにことしている女性に気圧され、エルシーはおずおずと受けとった。
しぶっていたものの、実際に受けとるとエルシーの瞳はたちまち輝く。
魔法道具のような美しい羽根に心がおどった。振りかざせば魔法がつかえそう。きりかぶの上に立って、本で読んだ魔法使いのまじないの言葉を唱えてみたい。むずむずする気持ちを、エルシーはぎゅっとこらえた。
「あの、ありがとうございま……」
お礼を口にしようとしたとき、突然ひときわ大きな風が吹く。エルシーはたまらず目を閉じて、自らのスカートを抑えこんだ。何もかもをさらっていく暴風というよりは、エルシーと戯れようと身体をいたずらに撫でていくようなとぐろを巻く風で、少しくすぐったい。
やがて風の音が過ぎ去り、ゆっくりとまぶたを持ち上げると──なんと、女性は姿を消していた。
エルシーはおどろいて、あたりを見回す。しかし小川のせせらぎが響くばかりで、まるで最初からいなかったみたいに、どこにも彼女の気配は感じられなかったのだ。
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