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1.義母
大崎に本社のある商社のサラリーマンといえば、然程収入は悪くない。新卒時代など、合コンに行けば間違いなくモテた。
長身だし、両親は遠方だから嫁姑問題もない。だから、妻の結花も自分に一も二もなく惚れ込み、結婚は早いと大反対していた両親を説き伏せるようにして結婚したのではないか。
30歳になった今、洲崎祐一は毎日のようにあの時の自分の稚拙な判断を呪っていた。
カードキーを差し込み、祐一はドアノブを握りしめたまま大きくため息をついた。また、中から人が動き回る気配がする。
この豊洲のマンションは、結婚した時に結花の両親が頭金を少し出して購入したのだ。勿論、ローンは祐一が組んで払っているが。知り合った時、祐一は28歳、結花は27歳で、可愛らしい受付嬢だった。小さな丸顔にクリッとした大きな瞳が印象的で、ぽってりした唇がちょっと色っぽい。何より細身ながらも肉感的な曲線のあのスタイル。誰もが彼女を狙っていた。
しかし、実家住まいの入社5年目だと言うのに、結花の貯金は皆無に等しかった。それどころか、翌年の結婚を機に何の了解もなしに仕事をさっさと辞めてしまったのである。
「ただいま……」
「祐一さん、お帰りなさい」
出迎えたのは妻ではなく、義母の丸川花代、つまり妻・結花の母である。
「また来てたんですか」
「また、だなんて。母親なんだから当たり前じゃないの」
「結花はもういい大人です、僕の妻です。ここは二人の家ですから、僕のいない間に頻繁に来られるのは心外です」
花代は眉を顰めた。結婚から2年、結花がまともに家事をやれた試しはない。子供もいない。いや、結花が望んでいないのか、半年前、結花の鏡台の引き出しからピルを見つけてしまった。
いい加減子離れして、結花をまともな妻に仕込めと、怒鳴りたい気持ちを抑えながら、それでも毎日こんな嫌味を花代にぶつけてきた。
花代がブリーフケースを受け取ろうとするが、祐一はそれを拒んだ。
「あなたは妻じゃない。お義父さんにして差し上げたら如何です」
義父は丸川達夫、警視庁新宿東署組織犯罪対策課いわゆるマル暴の刑事。多忙なのはわかるが、女房の手綱くらいしっかり握っとけと、祐一は舌打ちを抑えることができなかった。
着替えに寝室に入ると、気持ち悪いほどに整っている。昨日はここで久しぶりに結花と愛し合ったが、朝、乱れたままだったベッドを、あの妻が綺麗にするわけがない。
義母はきっと、ここで情事があったことをシーツの汚れで気付きながら、夫婦が仲良くやっているとでもほくそ笑んでベッドメイキングをしたのだろう。
「反吐が出る……」
これだけ時間が経っても、結花は声ひとつ掛けてこない。
祐一はスマートフォンを取り出した。先月、浪費の激しい結花に業を煮やし、妻のスマホにGPSを仕掛けた。居場所は……新宿、歌舞伎町。
ホストか、わかりやすい。
祐一はボストンバッグに数日分の着替えと、パソコンや充電器など、仕事で使う最低限のものを詰め込んだ。
「あら、ご飯は」
ノックもなしに入ってきた花代を突き飛ばすようにして、祐一は部屋を出た。
「祐一さん、折角作ったのよ」
「私はあなたの手料理を食べるために結花と結婚したのではない。いい加減、理解してくれませんか」
なんでこのババァがいる、一見若作りだが全く世間知らずで娘しか見えていなくて、人の迷惑を全く顧みない。どこかおかしい。服装も、娘と平気で同じものを着ようとする、59だぞ、60手前だぞ!! いや、管理職にはそのくらいの年齢の女性もいるが、もっと輝いているし、知性に見合った似合う服装をしている。こんな、下着が見えそうな真ピンクのニットのワンピなど……まさか、娘の代わりに夜の相手も代わるつもりだったのか?
「気持ち悪いんだよっ!! ここは俺の家なんだ、何が悲しくて金払って俺がビジホに行かなくちゃならないんだ!! 合鍵返してとっとと出て行ってくれ!! 」
ボストンバッグを玄関に叩きつけ、祐一は荒れ狂ったように叫んだ。
「でも、結花ちゃん、まだ帰ってこないし」
だめだこりゃ……。
「じゃ……」
祐一は再び重たいバッグを持ち上げて、マンションを出たのだった。
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