60人が本棚に入れています
本棚に追加
11.母娘
特捜の管理官から、達哉が動いたと連絡が入った。
そのまま撒かれないように慎重に尾行を頼んだものの、まんまと地下鉄で撒かれてしまったと、若手からの報告が入った。
逸彦は直接丸川の自宅を強襲すべく、豊洲を目指していた。
元々丸川家は板橋に一軒家を所有していたが、娘の結花が結婚し、豊洲に愛の巣であるマンションを購入した際、その一軒家を売って、同じ棟内に越したのだという。若夫婦の洲崎家は10階、丸川家は9階。長男の達哉は、新宿の賃貸マンションで暮らしている。
ジャックと豆の木を彷彿とさせるような高層マンションのアプローチエリアに立ち、逸彦は首が痛くなるほどに見上げた。
こんな高いところに住んで、よく怖くないものだと。
その間にも、密かにサイバー犯罪対策課の後輩に頼み、新宿の瀬古のダミー会社の登記を調べてもらっていた。
「二つ目のダミー会社の方は、つい2日前に名義変更されていますね。代表者は、紀藤佳代子、です。住所は、長野県北佐久郡軽井沢町……人物、追っときます」
「頼む」
「高くつきますヨォ」
「はいはい、穂高亭の焼肉定食ね」
「シクヨロー」
おまえ幾つだよ、と毒づきながら通話を切った。
紀藤佳代子……極妻か、愛人か、はたまた……誰だ。
まずは若夫婦の部屋を訪ねた。
いや、中に入れてもらえるまで大変な押し問答であった。拒んだのは結花の母、花代である。執拗に拒む母の横から結花が画面を覗き、手帳を示しているのがかなりのイケメンであることに気を良くし、勝手にロックを開錠した、のが顛末である。
「どうぞ」
憮然とした表情で、花代が茶を出した。
一瞬、丸川家と間違えたかと焦ったが、家具の上に飾られている写真は、洲崎夫婦のものに違いない。ただ、母である花代があまりにも自宅然として振る舞うので、混乱してしまいそうになった。
「今日は、祐一さんは」
「ホテルに泊まっているようです。妻を置いて、何て無責任な」
結花が口を開く前に、花代が吐き捨てるように答えた。
逸彦は二人の姿を観察した。
洲崎祐一の妻であり、丸川達夫の娘である結花。一見フェミニンな雰囲気の美人なのだが、その目の奥に燻るマグマのようなものを感じる。30になろうというのに、下着が見えそうなフレアタイプのミニワンピースに身を包んでいる独特の違和感は、あの現場の近くで出会った女と、そして久紀が見せた画像の女と、逸彦の中で完全に一致していた。
結花が、瀬古の女に間違いない。
他方、60に手が届こうという花代も、ボディラインがはっきりと出るタイトなミニ丈のワンピースを着ており、独特の違和感を放っている。どちらも、渋谷で十代の少女たちが小遣いを貯めて買うようなブランドの服だ。
年齢のことを言うと多岐絵に怒られそうだが、多岐絵は、たとえミニ丈のワンピースを着るとしても、もっと年齢的な魅力を引き立てるデザインで、縫製も良質なものを着るだろう。想像するだけでゾクゾクする程に魅力を引き立てる筈だ。
「この前も、同じブランドの服を着ていましたね、お気に入り? 」
本筋をわざと去なすようにして逸彦が雑談を向けると、やはり花代が割り込んできた。
「この子はこればかりなんです。でもこのブランドのピンクって発色が綺麗でしょ、娘にはよく似合うと思って。私もピンクは好きなので」
「洋服は、自分で買うの? 」
「私と一緒に買いに行くんです。祐一さんはまだ若くてお給金も少ないから、お小遣いを結花ちゃんに十分持たせてくれないんですよ。だから、母としては娘にみすぼらしい姿はさせたくありませんから」
逸彦も流石に苛立ってきた。これは、入り婿でもなんでもない祐一には苦痛な筈だ。その間、結花は当然とばかりにニコニコしたまま何も答えない。
「お母さん、すみませんが後でお伺いしますので、ご自宅にお戻りいただけますか」
「ちょっと、失礼じゃありません。ここは娘の家です、母親がいて何がおかしいと言うんですか」
ヘリコプターペアレント……そんな言葉が頭をよぎった。いや、問題は母だけではない、この母娘は共依存の関係なのではないか。
「結花さん、僕とお茶しに行きません? 」
多岐絵には悪いが、逸彦は渾身の笑顔で結花を誘った。
「はい、行きます!! 」
「ちょっと、結花ちゃん」
じゃ、と立ち上がる逸彦に、結花は何の躊躇もなく腕を絡めてきた。この距離感、やはり何かおかしい。
結花がコートを取りに行っている間に、逸彦はラインで安居係長に連絡を取り、生活安全課の女性刑事の手配を依頼した。二人は既にマンション付近を聞き込みに回っていて、すぐに合流できるとの返事が来た。
騒ぐ花代の腕を振り切り、逸彦はマンションの共有スペース内にあるカフェに誘った。
一瞬つまらなそうな顔をした結花だった
が、窓からベイエリアを眺めることのできるボックス席に無邪気に座った。フカフカとした座面に腰が沈むと、自然に結花の下着が丸見えになる。
全く御構い無しではしゃぐ結花から視線を外し、逸彦は視界の端の壁際に稲田が席に着いたのを確認した。
まるで世間話をしているカップルのように、柔和な表情のまま逸彦は切り込んだ。
「君、シャブ、やってるよね。しかもポンプで」
単刀直入に聞かれ、結花は思わず右手で左腕を掴んだ。
「結婚前から? さっきから君は僕の前でも無防備で、危なっかしくて仕方がない。ホストには、いつからハマってたの」
フン、と鼻を鳴らすようにして結花が窓の外に顔を向けた。そんなやさぐれた表情もするのだと横目で観察する逸彦に、結花は忌々しそうに脚を組んだ。
最初のコメントを投稿しよう!