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16.応酬
丸川達夫は六曜興業の本家事務所にいた。
広域指定暴力団の関東支部ビルは黒御影石の外壁で威容を示し、四谷署管内の荒木町に鎮座していた。
社長という名の組長室で、丸川は四方から銃口を向けられたまま涼しい顔をして座っていた。
悪趣味な部屋を見回しながら、初めて霧生久紀をヤクザの巣窟に連れて行った時のことを思い出していた。役者のような甘ちゃんの男前に精一杯の虚勢を貼り付けて、歯を食いしばって座っていた新米刑事の久紀。
ヤクザの生態を一から叩き込み、この手で育てた男だ。実の子供は育てそこなったが、刑事を育てる手腕は中々のものだったと、今の久紀を見て胸を張れる。あの男が唯一、自分の刑事人生で実を結んだ存在と言っていいだろう。
ダブルのスーツを着た巨漢が、ドスをテーブルに突き立てたまま、身を乗り出すようにして丸川を睨みつけている。組長の高柳寛治だ。まだ50代の武闘派で、肌ツヤが良い。脂ぎったドングリ眼が、しっかり丸川を捉えて微動だに揺れない。だが、それで動揺する丸川ではない。
「旦那ぁ、ウチは金庫番の菅原をやられちまってね、ヤクザとしちゃ落とし前つけない訳にいかねぇんだよ」
「まぁ、建前はな。あんたは、金回りが良くなって幅を利かせ始めた菅原を苦々しく思っていただろ。瀬古は瀬古で、自分がせっせと稼いだ金を女に貢いで上納金を欠けさせて成田の組長にどやされる金井に、とうの昔に愛想が尽きていた。あんたは、菅原を消して、瀬古共々大きなシノギを独り占めにしたくなった。勿論、金井も手放す気は無ぇときた。だから俺が仲立ちをしてやったんだ。瀬古は菅原を女で骨抜きにして、金輪会のシマを大成会に取らせてやった。シノギがデカくなった菅原の大成会を丸呑みにし、あんたは瀬古と盃を交す約束をした」
「土産をたんと貰ったしなぁ……菅原を殺ったのは、テメェじゃ無ぇのか」
「頭沸いてんのか? いいか、そもそも瀬古をやったのは金井の手下だ。あれは生粋のバカだからな。上納金を自分で使い込んで瀬古に泣きを入れたが、瀬古はもう愛想が尽きていた。盃も返す肚だったからな。で、菅原とのウラの繋がりがバレたところで瀬古は金井の鉄砲玉に殺された。で、報復に金井らをブチ殺したのは、瀬古の舎弟どもだ、簡単だろ」
金輪会はもうジリ貧だったことは誰もが知っている。体ばかりの極道はこの歌舞伎町では生き延びることはできない。もう少し瀬古の言うことを聞いていればよかったのだ……そう付け加える丸川の言葉を、組長が精査するように押し黙った。
もうひと押しだ。
「そして菅原を弾いたのは、いつの間にか自分達のシマを乗っ取られて窮乏した金井の残党だ。今は成田組に匿われている。つまり、成田組の鉄砲玉ってことにもなるな。お宅は野上会と手打ちが効いている今、成田と事を構えたらマズイのじゃないか? 」
一応刑事だ、抑えようとする言葉を吐いておこう……そして、
「ウチの薬物銃器係が掴んだネタだが、成田の連中は、上海からかなり大量に武器を買い付けるって情報だ。こりゃ、うかうかしてられないよなぁ」
高柳の顔が真っ赤に染まっていく……そうだ、殺し合え、勝手に殺し合って自滅するがいい。
「自重しろよ、一応、言っとくぜ」
頰に張り付く銃口を笑いながら指で避け、丸川は悠々とビルを出た。
「あ、蟹谷か、俺だ……霧生と桔梗原はどうしてる……戻ってない? あれから二日だぞ、連絡もないのか……わかった。冬村には接触した……引き続き、霧生達の動向に目を配ってくれ……ああ、頼む」
また、夜だ……。丸川は目玉が崩れて落ちていくかのような疲労感に苛まれ、思わず電柱に縋った。
高柳に吐いた言葉は殆どが嘘だ。瀬古を殺ったのはバカ息子だし、シャブ食らって菅原を呼び寄せる餌になっていたのはクソ娘だ。
そして瀬古の舎弟を煽って金輪会にカチコミをかけさせ、金輪会の生き残りに菅原の悪事を吹き込んで弾かせたのは、この自分だ。
自分のDNAがとことんクソ過ぎて笑えてくる。
どこで間違えた、どこで……この街を浄化するつもりで刑事になったはずなのに、どこで間違えた?
達哉も、結花も、どうしてああなった、花代は……全部俺のせいなのか。
いや、自分の母親が達哉を取り上げたことから始まっている。あの教育鬼ババアめ……軽井沢の義母以外、誰にも懐かなくなった達哉は、溺愛されている結花を憎み、罠に嵌めて壊した。
壊れた結花を見て、丸川は息子が許せなくなった。
そのせいで生き甲斐だと思っていた刑事という仕事に泥を塗った。
マル暴の本質である清濁の濁を、丸呑みしなくてはならなくなった。
いや、奴らの為なんかじゃない、自衛だ。
そうだ、全て自衛だ。子供への情なんかであるものか……。
しかしその綻びを、インテリヤクザの瀬古の嗅覚に察知されてしまった。元々壊れていた娘をご丁寧にドラッグに漬け込んで、人質にされた。その為に、他人顔でエリート街道を歩いていた息子を取り込んだ。父であるこの手で、たっぷりと泥を食わせてやったのだ。あのクソ息子……。
最低だ……自分の母親に家庭を蹂躙されても見向きもせず、妻に子供達を壊されても救う手立てを全く考えなかった。愛情がどんなものかも覚えていない。家族サービスなど、したこともない。
そもそも家庭など、ハナから持たなければ良かったとさえ思っていた。
花代に惚れられて、そんな人生もありなのかと、温かな家庭を持つことに淡い期待を抱いたあの頃の自分を、今ならチーフスペシャルで撃ち殺してやる。
「くそ……」
ヤクザがピラニアのように、丸川を食らい尽くそうと全身に手を伸ばしかけてきているのを感じる。
奴らは容赦という言葉を知らない。加減という言葉も知らない。ただただ、自分の欲を満たす為に暴力を振るい尽くすのだ。
もう、時間の問題だ……俺は、食われる。
あの鼻持ちならない深海が、どこまで何を掴んでいるか、誰からも情報が上がってこない。いや、深海だけが遊軍として自由に泳がされているのは何故か。或いはもう、全て分かっているのか、あのインテリ坊やめが。
頰を叩き、丸川は重い足を引きずるようにして歌舞伎町へと向かった。
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