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17.そして、新宿
軽井沢から覆面パトカーで達哉を護送し、夜の8時近くになって漸く、車は新宿東署に着いた。
「北野くん、運転お疲れ様」
新宿東署の若手刑事である北野が運転席から降りると、後部座席から降りた逸彦は彼を労うようにして肩を叩き、達哉の手を引いた。反対側を守っていた稲田も車から降り、両脇を抱えて達哉を署内の取調室に連行しようと、車寄せから建物の入り口に歩を進めた時だった。
ダッフルコートを着た少年が、青白い顔をして近寄ってきた。何となく違和感を感じた逸彦が達哉の前に出た時、少年の手に握られていたナイフが車のライトに反射した。
「ナイフだ!! 」
逸彦が達哉と稲田を建物に押しやり、少年の手首を掴んだ。捻り上げるといとも簡単に少年の体はバランスを崩し、ちょっと足を掛けただけで転がってしまった。
「何!! 」
「離せ、そいつが煜を、煜を殺したんだろ⁉︎ 」
「煜……瀬古のこと? 」
若手の北野が、すかさず少年の持ち物を調べた。
持っていたリュックの中から、私立の中高一貫校の生徒手帳が出てきた。
「森永佑磨……高校2年生ですね」
佑磨……逸彦に足で抑えられているナイフを悔しそうに見つめる佑磨の顔を、逸彦が顎を掴んで上げさせた。
「君が……ユウマ、か」
確か結花が、瀬古には愛しく思っている相手がいると言っていた事を思い出した。
おそらくこんな感じの、線の細い、儚げな美少年……。
わらわらと、騒ぎを聞きつけた特捜本部の刑事たちが飛び出してきた。ゴリラのようなむくつけき軍団に迫られ、佑磨が怯えたように身を縮ませた。逸彦は手を上げて、取り囲もうとする刑事達を制した。
「佑磨くん、話を聞かせてもらえるね」
ゴリラ軍団と逸彦を何度も見比べ、佑磨は逸彦に向かって頷いた。
知らせを受けて駆けつけてきたのは、母親ではなく父親であった。まだ下の子は小学校低学年で、連れては来られないからだという。
「東京都庁土木整備課課長・森永佑介さん、ですね」
切りつけようとした息子より、駆けつけてきた父親の方が、余程オドオドしている。
東署の取調官に親子同席で事情を聞いてもらいながら、逸彦と安居はマジックミラー越しの隣室から親子の様子を見ていた。
「瀬古ってのは鬼畜だね。あんな幼気な子まで取り込んで……」
「父親の携帯を提出してもらって、佑磨と瀬古が写っている画像があるのを確認しました」
「結花の時みたいにヤバイやつ? 」
「それが……夢の国で被り物して並んで写っているやつ」
安居が目を剥き、無言で逸彦に向き直った。
「それでも父親は、いつでも息子を殺せるぞくらいの警告には受け取ったでしょうね。まんまと菅原と一緒にゴースト会社に入っていくのを現認していますから。土地開発の何らかの情報は、森永から瀬古に流れていた筈です」
「瀬古は、結花のように佑磨を粗略にはしなかったんだね。まさか、本気だった? 」
「さぁ……でも、決別させた方が、いいですよね」
「私が母親なら、そうしてくれって言うね」
リアルに2児の母親である安居の言葉は重い。
「達哉は順調にウタってますか? 」
「既に二課の聴取に入ってるよ。瀬古殺しについては全面自供。ま、取調官は菅八っつぁんだもん、間違いない」
「ベルトのことは、何か言ってました? 」
「それがさ……」
瀬古は、結花に致死量に近いシャブを打たれて朦朧としているところを、後から部屋に来た達哉にまんまとベルトを抜かれて首を絞められたのだ。
「殺す気はなかったって。たまたま朦朧としていたから、首絞めたんだって、咄嗟に瀬古のベルト外して。自分のでやるのは気持ち悪かったから、ってさ」
「結花も、たまたまパケがそこにあったから腹いせにシャブを瀬古に打ったと。達哉も殺す気はなかったけど、たまたま瀬古が朦朧としていたから、殺してしまった……か」
「クソヤクザだけど、殺したことには向き合わせないと。二人共まるで人のせいね。丸さん、何やってたのかな、子供二人ともヤクザに食われるだなんて。マル暴なら、市民も大事だけど、まずは子供をヤクザから守んなきゃダメよ」
ですね、と頷き、逸彦は部屋を後にした。
森永はこの後も聴取をされることとなる。任意ではあるが、森永は既に腹を括っている様子で、素直に応じていた。
別室で女性警察官と待っていた佑磨にココアを差し出し、逸彦は隣に座った。佑磨はこれから、少年課に引き渡される。未遂だし怪我人もいないから、大した事案にはならないが、話は聞かなくてはならない。
「この子の母親は? 」
「下のお子さんをご実家に預けてからいらっしゃるそうです」
「良かった、来てくれるんだ」
佑磨は虚ろな表情のまま、逸彦をぼんやり見た。
「誰に聞いた? 犯人の事。報道はまだされていない筈だよ」
「ずっとここの入り口を見張ってた。刑事さんが、煜を殺した犯人がもう直ぐ到着するって言ってるのを聞いた」
緊張感が無さ過ぎる……逸彦は舌打ちしたい気分になったが、理性で何とか抑えた。
「瀬古とは、いつから? ヤクザってことは、知ってたの? 」
伏せられた目から伸びる睫毛は長く、すうっと伸びた目尻にかけてのラインが何とも艶かしい。余りに色めいた高校生だ。
「ヤクザなのは、後で知った。父さんを脅すつもりで僕に近づいたけど、いつの間にか本気で愛してしまったって……彼とずっと、一緒にいたかった」
「家族を苦しめてまで? 」
佑磨は、ちゃんと両親に愛されて育っている。瀬古と両親を天秤にかけられるだろうか……。
「これでお父さんは罪に問われることになる。お母さんや弟君も、これから大変なことになるだろう。そんな目に合わせた奴を、君は愛してたと言える? 」
「でも……」
「瀬古は、そうやって君を夢中にさせただけなんだよ。狡い手を使ったんだ。瀬古が欲しかったのは、お父さんが持つ情報、それだけだ」
「嘘だ」
「嘘なもんか。相手は百戦錬磨のヤクザだよ。君のような子供に本気になるとでも思ったか? 君は、狡い大人の狡い手にかかって、夢を見ていただけだ」
佑磨の両目に、こんもりと涙が溢れてきた。
酷いと思いながらも、これを言わなくてはと、逸彦は心を鬼にした。
「君は、瀬古に利用されていたんだ」
佑磨はとうとう、机に突っ伏して声を上げて泣き出してしまった。
これでいい。これで、自分は騙されていたんだと証言すれば良い。
流石に心が疲れた……。
まだこれから、友と友の部下を救わなくてはならない。
その前に、多岐絵の声が聞きたい……。
逸彦は、新宿東署の休憩室のベンチに座り、バッテリーの切れそうなスマホを取り出したのだった。
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