22.師弟

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22.師弟

「せめての詫びに連れて行こうと思ったが……自分のバカさ加減を呪え」  安全装置を外し、指に力を込めた途端、赤いレーザーポイントが達夫の手首を捉えた。それが何かを瞬時に悟った達夫は咄嗟にコンテナの陰に身を躍らせた。  遠くで車が急停車する音がした。慌ただしく掛けてくる足音に、カチャカチャと金属音が混じっている。手錠を持った刑事だ、あの面倒な深海か、ウチの部下か……いや、霧生か。  コンテナの陰に身を潜める達夫の靴の爪先にも、レーザーポイントが照射された。完全に動きを見切られている。 「丸さん、もう終わりにしてくださいよ」  東京港を管轄する東京海上保安部の巡視艇が、フィリピン船籍の船名を大音量で連呼し、応答するように呼びかけている様子が聞こえてきた。 「手回しの良いこったな、霧生」  達夫は背面の腰ベルトにチーフスペシャルを捻じ込み、両手を上げてコンテナの陰から進み出た。 「教えたのはあんただろ」  花代を抱き起こした霧生久紀が、無腰で立っていた。 「自慢のG(グロック)19はどうした」  久紀は答えず、花代を庇ってじりじりと後退する。チーフスペシャルの射程から逃れるつもりか。  目の前の弟子は、無精髭に覆われ、疲れ果てて目の下にくっきりとクマを刻んでいた。ジャケットの下はノーネクタイで、安っぽい白いワイシャツはシワだらけだ。自分の動きを探って、あの街の地下に潜っていたかと、弟子の嗅覚の良さを、達夫は心の中で褒めた。 「残念だが、俺は行くよ」  取り立てて嫌疑のない船を、巡視艇が止めることも、中に乗り込むこともできないはずだ。恐らく船の周りを蝿のように群がって、牽制しているだけだ。  達夫はチーフスペシャルの銃口を向け、引き金を引く指に力を込めた。 「やめておけ。あんたに逃げ道はない」  無精髭に覆われながらも、やはり弟子は容子が良い。しかも、あの頃より数段逞しく、男臭くなった。良い顔だと、達夫は広角を僅かに上げた。 「もっと、おまえさんと組みたかったなぁ」 「よく言うぜ。さんざん俺らの手足を封じておいて……あんたの時代は終わった。ヤクザだってそんなにバカじゃねぇよ。この時代の生き抜き方をよく解っている。あんたのやり方は、まるで昭和なんだよ。マル暴がヤクザの事務所でタダメシ食らって圧かけたなんてのは、遠い昔のことだ」 「ちょっと出世すると生意気なことを言うようになりやがって」  ギリ、と達夫がチーフスペシャルのグリップを握り直した。 「道を開けろやぁ、霧生ぅ!! 」  赤いレーザーポイントが達夫の肩を照射し、シュッという音と共に銃弾が達夫の肩を掠め、チーフスペシャルが宙に飛んだ、  その隙に久紀は花代を抱え、コンテナの陰に引きずり身を屈めさせた。 「ここで待っていてください」  再びコンテナから飛び出した時、達夫の姿は消えていた。 「鸞、狙えるか」  ワイヤレスのマイク付きイヤホンで、久紀は叫んだ。 「ダメです、コンテナに視界を遮られました」  レーザーポイントで達夫を狙っていたのは、コンテナの上に伏せた姿勢で豊和M1500を構えていた鸞であった。久紀は駆け寄り、ライフルを背に担いでコンテナから下りてきた鸞を抱きかかえるようにして受け止めてやった。  鸞の姿も、普段の彼とは相容れない汚れ様である。安普請の黒いパーカーに黒いスキニージーンズは、共にコンテナの埃で真っ白になっており、無精髭こそないが、美しい顔にはしっかり泥が付いていた。 「追わなくてもいいんですか」 「ああ、今頃、男前の主役がきっちり押さえているさ」  ああ、と頷き、鸞はライフルを久紀に預けて、地面に座ったまま放心している花代の側に駆け寄った。 「奥さん、大丈夫ですか」  花代は焦点の定まらぬ瞳を宙に向けていた。  小型のレンタカーが、岸壁に沿うようにして止まっていた。ジャケットの肩口に鮮血を滲ませた達夫が、コンテナの森から抜け出て巡視艇にマークされている船に向かってよろよろと歩き出すと、その行く手を塞ぐように車から男が降り立った。  警視庁管区抱かれたい男第二位、警視庁刑事総務課・法令指導第二係、元捜一きっての面倒な奴、深海逸彦。 「もう、よしましょうよ。全部終わりましたから」  達夫は立ち止まり、運転席から降り立った逸彦を見て大きく舌打ちをした。 「はいはい、嫌われてナンボですから、刑事なんて……特にアンタのような警察官の面汚しには、幾ら舌打ちされたって構わない」 「おまえのような甘ちゃんに、何がわかる」 「わかりませんね。家族崩壊させて、子供の犯罪を隠すためにヤクザと手を組んで土地転がして投資して上前跳ねて、ついでにヤクザの同士討ちを狙う刑事の考えることなんて。もっと付け加えると、闇ブローカーに偽パスポート2名分作らせて、マニラの組織に渡りをつけて密航しようとしてますよね」 「言ってくれるねぇ」  達夫はジャケットの左脇に手をゆっくりと差し入れた。逸彦が動くより早く、達夫は小型銃のワルサーPPKを抜いて逸彦に向けた。 「あれ、それ支給品じゃありませんね。マズイですよ」 「道を開けろ、深海」  逸彦もベレッタ92を抜き、達夫の額を狙っている。 「俺は誰も殺しちゃいないぜ。おまえは捜一だろ、ヤクザのことはマル暴に任せて、回れ右して家に帰れよ、なぁ、新婚さん」 「そういう縦割り根性、古いなぁ……あんたは自分の息子を殺人犯にし、娘をジャンキーにした。それだけでも、償う要素は満載だと思うけどね」 「俺は……あんなもん、面倒でしかなかったよ。揃いも揃ってバカで、俺の足を引っ張ることしかしない。俺もクソな親父だが、花代もクソな母親だ」  その言い方に、逸彦は眉根を寄せて不快を顕にした。 「子供は木の股からは生まれない。あんたが花代さんを愛したから授かったんだろ、それも二人も。あんたなりに、3人を愛しているんだろ、本当は」  達夫の背後で、久紀と鸞に支えられた花代がじっと逸彦の言葉を聞いている。その目からは、一切の感情が消え失せていた。 「だから呼び寄せたんだろ、花代さんを」  達夫がフンと鼻を鳴らした、どこまでも不敵に。 「……面倒臭ぇなぁ」  達夫はワルサーを自分の顳顬(こめかみ)に向け、躊躇なく引き金を引いた。 「逃げるんじゃねぇ、クサレ外道がぁ!! 」  叫びながら逸彦が放った銃弾は、微かに達夫の手の甲を掠った。銃口が反れ、ワルサーPPKから放たれた銃弾は達夫の頭を超えた晩秋の空に、虚しく消えた。        四谷署、新宿東署、双方の決死の守りによって、成田組と六曜興業の全面戦争は何とか回避された。  後日、野上会の野上耕造が立会人となり、双方の大規模な手打ち式が執り行われた。  ここで新宿が火の海になれば、ただでさえ締め付けのきつい暴対法の下、極道は間違いなく全滅し、半グレや外国勢力に取って代わられたこの街は、本物の無法地帯となる……元々和解をしていた六曜は、一も二もなく野上に従い、成田組も野上の顔を立てることとなったのだった。  
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