23.後のお祭り?

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23.後のお祭り?

 瀬古殺しは達哉の自供で幕となった。  菅原殺し、金輪会の金井と幹部殺しの実行犯も、それぞれ四谷署と東署の組対が一斉に検挙した。  後は送致の為の裏付け捜査と、書類の精査、諸々の後始末である。が、あくまで遊軍で、助っ人である逸彦は、裏固めに奔走する安居に塩を撒かれそうになりながら東署の特捜本部を後にしたのであった。  肩を揉みほぐすようにして桜田門に戻り、本店のロビーに立った。  ふうっと大きな溜息をついてエレベーターを待っていると、中からバケツを手にした鸞が降りてくるではないか。 「おまえ、こんなところで何してんの」 「ええ、まぁ……」  珍しく言葉を濁す鸞が、三角巾で隠した小さな顔を俯かせていると、遠くから怒号がした。 「桔梗原鸞! サボってないで、次! 」 「あ、はいっ!! 」  じゃ、と短く頭を下げ、鸞はロビーの奥のトイレに駆け込んでいった。  カツカツとヒールの音を轟かせて逸彦に近付いてきたのは、ここの薬物銃器対策課課長の竹内真理子警視であった。キリッと結い上げた髪も凛々しく、小柄ながら中々の圧を持つ美人キャリアであり、所轄の薬物銃器対策係の鸞にとっては本家の親分といったところである。 「お疲れ様です、竹内課長。何ですか、あれ」 「何ですかも何もないわよ。あの子、ウチの銃器対策隊から豊和M1500ライフル持ち出したの。一応隊長が許可したし、使ったのが同じ薬物銃器係のキャリアなら始末書程度だけど……隊長の酒井を誑かしやがったのよ」 「た、たぶらかすって……」 「今すぐライフルを貸してくださらないとぉ、悪いヤツを逃しちゃうんですぅ……って、手を握って涙を浮かべて」  お色気たっぷりの囁きを真似た竹内だが、皮肉にも可愛いとは言えない。美人なのだが、どう見ても、やはり男前であった。 「それでまんまと貸します? 」 「彼女いない歴38年だからさ、酒井のやつ。鼻血垂らしながらハイどうぞ、よ。だから罰として、始末書と警視庁全館のトイレ掃除。これで許されれば御の字でしょ。でも……」  竹内は少しトーンダウンし、逸彦に耳打ちをした。 「こうなると、キャリアとしての出世はもう、難しいわよ」  逸彦は思わず吹き出した。 「それは望んでないでしょ。あいつにとっては出世より、誰とどんな仕事をするかの方が大事ですから」 「それだけならいいわよ。あの子、マフィアのボスもデロンデロンに骨抜きにしちゃって、一年近くになるけど今だにちょっかい出されているみたい。監察対象にもなりかねないわよ」 「それは、心配? それとも、やっかみ? 」  井戸端会議の女たちのような竹内の話ぶりに少し苛立った逸彦の返しに、竹内は軽い蹴りで応じた。 「馬鹿ね。ヤツの強制送還の時、私はあの子に命を助けてもらってる……何とかして守ってやりたいに決まってるでしょ」  春先であったか、本庁の薬物銃器対策課と銃器対策隊と四谷署の組対が組んでの大捕り物があり、あの鸞が広東の荒鷲とよばれるマフィアのボス、レイモンド・タンを逮捕したことがあった。そしてそのボスの護送にこの竹内と鸞と夏輝の部下である警護班が付き従ったが、マフィアの洗礼を受けて何かと大変だったとは聞いていた。 「とんだアンドロメダなのよ」 「何すか、それ」 「魔物を惹き寄せてしまう美貌のお姫様」 「ああ……確かに」 「ヤクザ共の汚い手が鎖となってあの子の裸体に絡みついて……鼻血出そう」 「悪いシュミですねぇ」  奥のトイレの掃除を終えた鸞が、晴れ晴れとした顔で逸彦と真理子の元に駆け寄ってきた。逸彦と竹内は、何も話していない風を装って距離を取った。 「これで終わりました。酒井隊長のこと、もう怒っちゃ嫌ですよ」  三角巾を外して口を尖らせておねだりするように肩を窄める鸞。うむ、どう見てもこちらの方が可愛い……と思った自分を、逸彦は叱咤した。 「お黙りっ、二度とウチの酒井を(たら)し込むんじゃないよ」 「もぉ、ちょっとオネダリしただけなのにぃ」  鸞が上目遣いに拗ねた顔をすると、その破壊力に竹内が頬を赤く染めた。 「そ、そそ、それがダメなのっ!! 桔梗原鸞、色魔退散!! 」  ぷりぷりっと音を立てるようにして、竹内は踵を返して去っていった。 「あーあ、また怒られちゃった。え、色魔って言いました? ひっどーい」 「おまえなぁ……しかしまぁ、よく借り物のライフルなんか使いこなせたな」  ふうっ、と、鸞はビニール手袋を外しながら壁に寄りかかった。そんな何でもない仕草にも色気がある。いや、プロの刑事の色気とでも言おうか。お姫様モードの隙間に見せる真顔は、凄絶に凛々しい。こいつはまだまだ腹の底に色んなものを隠していると、逸彦の探りたがりの本能が刺激されてしまうのだ。 「本当はレミントンM700の方が僕には使いやすいんですけどね。自衛隊に忍び込んだら、もっとマズイでしょ」 「あ、あ、当たり前だっ!! 」 「今、僕のことスキャンしてたでしょ」  鸞が、その漆黒の艶やかな瞳だけをキョロっと逸彦に向けた。 「まぁな。おまえ、マジで何者だ? 頭は切れるし、潜入もお手の物、武器弾薬は大抵使えるようだし、腕っ節も強い。あ、桔梗原家が旧華族で朝堂の護衛役……ってのは、もう知ってるぞ」  すると、鸞はキスを迫るようにして唇を上向け、挑発するように顔を近づけた。 「僕は通りすがりの、あなたの未来の部下、ランランですってば」  その形の良い鼻をぐいぐいっと指で摘み、逸彦は「バァカ」と笑った。 「仕舞え仕舞え、そんなもん。あのなぁ、久紀はお前の腹の底にある弱音なんざ、とっくに見切ってると思うぞ」 「ですよね……だって、地下に潜るって、デパ地下巡るのとは大分違いますもん」 「そりゃそうだ」 「……人間の醜い部分を、嫌という程見ました、たったの数日で。丸川だって最初は真っ当な刑事だった筈です。娘と息子を庇って暗黒街に足を踏み入れて……で、まんまと呑まれちゃったんですよね。ガッツリ五体を組織に絡め取られていて、ズブズブなのが判明して……課長、辛かっただろうな」  逸彦は鸞の頭をぐしゃぐしゃと撫でてやった。 「自分の心配しろよ。どうせあのスカイツリーにも随分と会えてなかったんだろ」 「スカイツリー? 」  一瞬、姫の顔で首を傾げながらも、かつて逸彦が自分の兄・孔明と会ったことがあることを思い出したように、あ、と小さな声を上げて俯いた。 「分かっちゃってます、よねぇ」  2人が既に兄弟の一線を越えている事を暗に指している。  横浜のグローブ座で2人を見た時はまだ、辛うじて兄弟だった。暫く後に、再び町で見かけた2人は、肌を合わせた恋人同士の空気感にはっきりと変わっていた。 「まあな。血、繋がっていないんだろ」 「何でもお見通しだなぁ……兄は養子です」 「そう。子供の頃からずっと兄貴を? 」 「ええ、こう見えて一途なんですよ……僕が肌身を許すのは、生涯に兄ただ1人です」  両腕で自分を抱きしめ、鸞が身悶えするかのように眉根を寄せた。 「早く抱いて欲しいけど、こんな穢れを纏ったままじゃな……」  大胆な独白なのに、それがタブーというより必要で厳粛な儀式のようにも聞こえるのは、鸞の表情が苦しみに歪んでいるからだろうか。  久紀も今頃どうしているだろう……愛する人に、浄化してもらっているだろうか。  実際、逸彦は愛する多岐絵に救われている、浄化されて、エネルギーを注入してもらって、ここまで辿り着いた。  情けない姿を見せる事になるとしても、帰る場所は家族の元だけだ。  二人も子供に恵まれながら、丸川は何故、家族の元に帰らなかったのか。  みっともない姿を見せて、花代にありのままを受け入れてもらう事は出来なかったのか。 「うっかり自白させられちゃいましたね」  照れ隠しに逸彦の横顔に笑いかけて、鸞が息を呑んだ。足元に目を落とす逸彦に、鸞の真情を笑う気持ちが微塵もない事が、その引き結ばれた口元から伝わったからだ。 「……穢れてなんかいないよ、鸞は。大丈夫、事件の瘴気にも、街の瘴気にも、おまえは微塵も穢されていない」 グッと鸞が震える唇を噛み、逸彦の肩に顔を埋めた。 「係長、男前過ぎ」  姫様キャラなのだから素直に泣いてしまえと思うのだが、こういうところは男の子なのかと、今度は逸彦の方が柔和に表情を崩して……ハタと鸞を引き離した。 「そう言えば、トイレ掃除の後、ちゃんと手洗ったか?」 「あ、ヤバ……」 「穢れてる! 」  お色気は隠さない癖に、涙は頑なに見せようとせずにおどける鸞の頭を、逸彦は軽く小突いた。 「ちゃんと休めよ。お前に足りないのは経験だけだ。スキルはピカイチなんだから、しっかり充電して戻ってこい」  長い睫毛を少し湿らせて、鸞が華やいだ笑顔を見せた。 「もう、惚れてまうがなぁ、ですよぉ」  それはこっちのセリフだという言葉を必死に飲み込み、逸彦は引きつった笑顔で頷いた。この笑顔は目の毒だ、美しすぎる。 「僕は一生霧生課長についていくって決めています。でも、深海係長の事はだぁーい好きですからね」  うふっ、と首を傾げてウインクをして、鸞は便所掃除のダメージなど何もないかのような足取りで、バケツを揺らしながら去っていった。 「ちぇっ……いや、ちぇっ、じゃねぇし」  自分で自分にツッコミ、逸彦は捜査一課への帰投の報告を急ぐことにした。  
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