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25.それぞれの
瀬古が絡んだ土地開発に絡む不正は、都庁、新宿周辺の暴力団、ゼネコン、多数を巻き込んでの大疑獄に発展した。東京地検が捜査に乗り出し、警察庁でも内部腐敗に対する綱紀粛正とばかりに監察官が所轄を飛び回るという事態になってしまった。
四谷署では、副署長の鰐淵の懲戒解雇に伴い、人事異動が続いていた。その煽りで、あの桔梗原鸞が刑事課課長心得として新たに着任することになった。四谷署は大規模警察署に分類され、正式名称は刑事組織犯罪対策課である。刑事総務、強行犯、知能犯、盗犯、そして鑑識と、下に組織されているそれぞれの係も多い。キャリア組である鸞の階級なら、さして驚く人事ではないが、組対も人材に余裕があるわけではなく、鸞の抜けた穴は大きい。
「そんな仏頂面すんなよ。次の刑事課長が赴任したら、ウチの組対課に課長心得として戻してくれるって約束してくれたんだろ、署長が」
自販機の前で、鸞はコーヒー缶の飲み口を咥えたまま、頬を膨らませて自販機を睨みつけていた。
「おいおい、自販機が壊れちまうぞ、その可愛い睨みで」
二人がそんな人事を告げられたのは、六曜と成田の間を取り持って手打ちをお膳立てしてくれた野上会長宅に挨拶に出向いた帰りのことであった。
「だって、現場に出ちゃダメだって……つまんなーい」
「少しデスクワークして、色々勉強しとけ。ウチに戻ってきたら、存分に活かせるようにな。おまえなら、お茶の子だろ」
ジロリと、鸞が久紀を睨んだ。
「浮気、するつもりでしょ」
二人の後ろを休憩時間に入った女性警察官が通り過ぎていく。聞き捨てならない鸞のセリフに、キャアと黄色い声ではしゃぎながら駆け抜けていった。
「おい、よせって」
「課長のことだから、どうせ誰か可愛い相棒見繕って、その人とイチャイチャ捜査するに決まってるんですよ。もう、知らない」
ゴミ箱に空き缶を放り込んで、鸞はプリプリと行ってしまった。
「生理前か……ったく」
鸞が抜けて痛いのはこっちだと、久紀は思わずゴミ箱を蹴飛ばしてしまった。
法令指導第二係……通称・資料係は、定時に始まり定時に終わる。
さぁ、15分も自転車を漕げば多岐絵のハンバーグにありつける!
涎を啜りながら息巻いて帰投支度をしていると、一課長が顔を出した。
「そう露骨に嫌な顔をするなって」
丸川の人となりをリサーチして、わざわざ逸彦に白羽の矢を当てて特捜に捻じ込んだ張本人である。丸川をして『一課で一番面倒くさい奴をよこしやがって』と言わしめた事で、その神通力を自画自賛して憚らない。
「丸川達夫、死んだぞ」
その言葉に、逸彦は手にしていたスマホを取り落とした。
「送致の途中、刺された。大動脈をやられて、失血死だそうだ」
「マルヒは」
「瀬古の舎弟の生き残りだとよ。捕まる寸前に青酸カリ煽りやがった」
立っている為の筋肉が全て気を失ったかのように、ドスンと、逸彦が椅子に腰を落とした。
「それ、丸川にこれ以上歌われると困るヤツの差し金、てことは」
一課長は、苦虫を噛み潰したような顔で、逸彦の口を手で塞いだ。
「見ざる言わざる聞かざる……家族を守りたかったら、それ以上ババを引くような真似はするな」
スチールデスクに、逸彦は拳を叩きつけた。
「あ、勘違いするなよ。ワルは放っておいても尻尾を出す、じっとその時を待て、そう言う意味だ」
「一課長」
「俺が定年になった後は、お前が引き継げ。そん時の為に、一課の特等席を空けといてやる。いつでも刀は研いでおけよ」
この策士が、という言葉を呑み込み、逸彦は頭を下げて一課長を見送った。
今度こそ脱出だ! と意気込んでエレベーターの下ボタンを連打すると、チーンと肩透かしのような平和な音が鳴って開いた扉の中にいたのは、目の下にくっきりとクマをこさえて項垂れているド腐れ縁の親友・霧生久紀であった。
「何だよ、今度はお前か」
嫌そうな挨拶に、久紀はジロリと目だけを向けた。
「何、今上がり? 」
「まぁな。資料係は定時上がりだし、人間関係で神経擦り減らすこともないし……16階に行ってきたのか? 」
警視庁の16階には警備部警護課があり、久紀の兄である霧生夏輝が鎮座している。
「その前に、5階で竹内課長に頭下げて……」
因みに5階には四谷署の組対である久紀には親分にあたる組織犯罪対策課があり、鸞にトイレ掃除を命じた竹内真理子警視が手ぐすね引いて待っていたという。
「で、兄貴と一緒に12階方面にも顔を出し、礼を言って、地獄のランチ」
更に言うと、12階には警務部人事一課があり、四谷署の副署長の不正を暴いた監察官がおあす部屋がある。警務部といえばキャリア組でも超エリート集団であり、出世間違いなしな人物がいる場所である。所轄の一マル暴など、例え兄と一緒でも、身の縮む思いだったに違いない。
「御愁傷様……」
1階に着き、逸彦は『開』ボタンを押して久紀を先に出してやった。
「あ、鸞に会ったぞ、一昨日。便所掃除させられてたな」
「それどころじゃねぇよ。同じ署内だが、昨日付で別の課に移動させられた」
ははぁ、二人一緒だとまた何かやらかすとか、今回の不祥事の火消しの為とか……お偉方が考えそうなことだと、逸彦は溜息をついてコートの前をかき合わせた。
「でも、鸞の奴、ああ見えて大分参ってたな。いいインターバルだろ」
「まぁな。さすがに親父さんにもこってり油を絞られたらしいしな。あ、勿論兄貴と共に13階にもお参りしてきたよ」
13階には、鸞の父である警視副総監・桔梗原玄徳が鎮座している。
「そりゃ説教仕込みの楽しいデートだったな、愛しいお兄様と」
「アホ……更に午後は竹内警視殿の元、みっちり後始末の書類整理」
「楽しそうで泣けてくるよ」
二人は警視庁庁舎を出て、桜田門の地下鉄へと下る階段前に立っていた。
「久紀、聞いてるだろ……丸川のこと」
「ああ。兄貴から知らされた。あの人らしいよ。いつヤクザに染まってもおかしくない、そんな危うい線の上をいつでも歩いているような人だった」
「大丈夫か、おまえ」
心配する逸彦に、久紀は髪をかき上げてフッと笑った。憎々しいほどに男前すぎて、鼻白むほどである。
「俺はヤクザは嫌いだ。あの人にやり方は教わったが、全てが正しいとは思っちゃいない。あの人もヤクザは嫌いな筈だったが……家族にとっちゃ、ヤクザ以上の極道な親父だったろうな。まんまと闇に飲み込まれちまって」
「……ま、飲み込まれるタイプじゃないな、おまえは」
「当たり前だ。それに俺には、絶世の守護美天使がいる」
恥ずかし気もなく堂々と口にする久紀の肩を、逸彦は思い切り叩いた。
「そうだそうだ、とっとと帰ってイチャコラしやがれ」
「おまえもな。絶世の弁天様に宜しく」
存外に元気な友の様子に安堵し、逸彦は背中を向けて地下鉄への階段を降りていく久紀を見送った。
「おい久紀、落ち着いたら飲もうな」
暗がりから、おう、と威勢の良い返事が聞こえてきたのだった。
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