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4.妹
下半身の力が抜けてしまい、祐一はその場にへたり込んでしまった。
「祐一君」
近くのラブホの角で立ち止まってキョロキョロと辺りを見回していた義兄・達哉が、祐一の姿を見つけるなり駆け寄ってその肩を揺さぶった。
「義兄さん……あれ……」
涙に濡れる祐一が指差す先を見て、達哉は絶句した。
薄汚い雑居ビルの裏手、ゴミ袋が散乱する狭い袋小路で、結花は壁に手をついて男に後ろから貫かれていた。チューブトップのピンクのワンピースはずり下げられ、ただでさえ短いニット地の裾は腰まで捲れ上がっている。足首に真っ赤なレースのショーツを絡ませたまま、結花は動物のような声を上げていた。男はホストか、首元の安っぽいネックレスをこれでもかと波打たせる程に腰を打ち付けている。
あのピンクのミニワンピースは、花代が来ていたワンピースと同じブランドのものだ。十代の若い娘が着るなら可愛らしいが、30にもなろうという大人の女とその母親が着ても、ちぐはぐで痛々しいだけだ。それなのに、二人はしょっちゅう渋谷のその店に行って、お揃いで買ってく来るのだ。
「カイト、カイトぉ……」
道ゆくカップルが冷やかすようにクスクスと笑っている。結花は気を良くしたように派手な声を上げる。
項垂れて涙と鼻水を垂らす祐一の横で、達哉は冷静に動画を撮影していた。
「しっかりしろ。これで離婚できるぞ」
大きな乳を派手に揺らし、尻を丸出しにして男に抱かれている妹の破廉恥な姿を、達哉は眉ひとつ動かす事なく撮影した。
「に、義兄さん……」
夫婦のベッドでは大人しい妻が、別人のように喘いで乱れる姿に、祐一は今にも引っ繰り返りそうな胃袋を押さえるようにして体を丸めてしまった。
「あの顔、ドラッグを入れているに違いない。早めに手を切れ。私も君も、あんな狂った母娘に人生を踏みにじられていいはずがない」
極みに達して縺れながら崩れ落ちる二人の様子に撮影を止め、達哉は祐一の腕を掴んで立たせてやった。
「こうなったら、父親に回収させてやる」
達哉は画像を父・達夫に送信した。
逸彦は殺人現場となっている歌舞伎町のラブホを目指していたが、入り組んだ構造で立ち並ぶ小規模ホテルの乱立ぶりに、当該ホテルの入り口を探すのに手間取ってしまった。
と、現場から然程離れていないであろう雑居ビルの袋小路で、カップルが抱き合っているのが目に入った。
お盛んですねぇ、と心の中で揶揄したのも束の間、逸彦は足を止めた。
チューブトップタイプのピンクのミニワンピースが腰の辺りに丸まって、乳も下半身も丸出しで、男と向かい合ってネチネチとキスを交わしている女のその出で立ちが、何とも異様で不気味だったのである。
「11月だぞ……」
逸彦など、スーツの下に薄ダウンのベストを着込み、さらにウールのロングコートを羽織っていても寒くてたまらないほどだ。
路地の電柱に身を隠し、逸彦は何となく二人を観察した。
女の白く大きな尻に、赤い引っ掻き傷のようなものがある。たわわにはみ出している乳房にもだ。男が乱暴したのか? 女の手首にはしっかりと赤く縛られたような跡がある。それに剥き出しの腕には奇妙な湿疹……間違いない、ドラッグだ。女の太股には白濁した液体が伝い落ちて、離れた場所にも行為の生々しい臭いが漂ってくるようだ。もうさんざんここで行為に耽ったのだろう。商売女なら、次の客を考えて体を汚すことはさせない筈だ、だとしたら、素人か、素人の立ちんぼか。
周囲にケツ持ちのヤクザはいないようだ。
道の反対側で、サラリーマン風の2人が深刻そうに話をしている以外に人影はない。
「あのぉ、お取り込み中すみませんけどぉ」
逸彦が声を掛けても、二人は絡み合うのをやめようとはしない。逸彦は仕方なく、男の首根っこを掴んで引き剥がし、後ろの壁に叩きつけた。
女は焦点のぼやけたような胡乱な目で、目の前に現れた文学青年のような男前に釘付けになった。
「お姉さん、ヤバイ薬、呑んじゃってる? 」
すると、女は「イケメーン! 」と言いながら逸彦の首に両手を絡ませ、キスをしようと迫ってくるではないか。
「ちょ、ちょ、俺、愛する妻がいるんでそういうのは……」
腕を目一杯突っ張って女の頰を押し戻した時、背後から男が咆哮を上げて飛びかかってくるのが分かった。逸彦は後ろ蹴りに男を再び弾き飛ばし、女の手首を掴んだ。
「注射痕……まだ新しいね。俺、ケーサツだよ、ケーサツ。ちょっと応援呼ぶから待っててね」
スマホを取り出した時だった。
「深海、どうした」
丸川達夫が立っていた。
「丸川さん、この子シャブ食ってます。男の方は……」
男も相当頭がふらついているようだが、逸彦が服の袖を捲っても、注射痕らしきものは出てこない。
「聞いたよね、俺、ケーサツ屋さんだから、ちゃんと話せよ」
「……や、やってませんて。いや、ヤッたといえばヤッたけど……シャブなんてとても……この人、人妻で、先輩の客なんだけど、太客に取られて頭にキタって店で暴れて、で、俺が連れ出して……店に来た時から異様にテンション高くて、ちょっとヤバかったんすよ……で、堪んないから、ヤッてくれって言うから……ご奉仕ですよ、お客様へのご……」
最後まで言い終わらぬうちに、丸川のストレートが男の頰に炸裂し、男は吹っ飛ばされて気絶した。
裸のような姿の女は、丸川にしがみついている。
通りの反対側には、泣きながら胃の中のものを吐き続ける男と、その男を介抱する身なりの良いサラリーマン風の男がいる。この女の関係者か……話を聞いてみようと踏み出した逸彦の前に、丸川が立ちはだかった。
「早く現場に行け、じきにウチの連中がくる、ここは任せろ」
「ああ、じゃあ……お言葉に甘えます」
逸彦は丸川に全て預け、現場に急行することとした。
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