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5.若頭
現場は、先ほど女を保護した場所から指呼の間にあった。
既に鑑識作業も終わり、これから検視に入るというタイミングであった。慌ててビニールの靴カバーを履き、現場となっている三階の部屋に入ると、毒々しいほどのエロを強調した内装の部屋で、丸い回転ベッドの上に瀬古が大の字になって仰向けに倒れていた。
「稲田さん、オヤッさん」
3係時代の部下である稲田と菅が、逸彦の声に振り向き、笑顔を見せた。
「深海係長! 臨場されたんですね」
「久しぶり。あれ、安居姐さんは? 」
「安居係長なら下のフロントで防犯カメラ確認しています」
じゃ、後でいいか、と、逸彦は検視官達がイライラする前にさっと遺体の状況を見せてもらった。
「インテリの経済ヤクザである瀬古ともあろうものが、こんな昭和臭ぷんぷんの場末のラブホなんか使うかねぇ」
「ま、最近は色んな取引にこういうところを使う連中も多いみたいですしね」
「外傷は……あ、柵状痕」
「ええ、絞殺ですね。ただ、吉川線がないので、無抵抗の状態で腰のベルトで締められたか……注射痕とか小さなものは、検視と司法解剖を待たないと、どうにも」
「ああ、ベルトを外して首絞めて、また元に戻した……マメな犯人だね」
ベッドの頭の部分には、フロントにつながる電話と、行為に使うであろう色んなグッズが並んでいた。どれも使い捨てで、3つずつ置かれている。
「3つずつ……あれ、コンドームのカス、あった? 」
「いえ、シャワーは使った形跡がありますが、ゴミの類は全く」
「髪の毛一つ? 」
「落ちていません」
「ふうん……妙だね、2つしかない」
風呂場も改めたが、ただ濡らしただけ、という印象であった。どうも、第三者が行為があったように手を加えた感じが否めない。風呂場を俯瞰で眺めようと奥の壁に下がると、小さな突起が背中に触れた。
「これ……」
よく、こういう昭和建築の古いタイプのラブホは、掃除がしやすいように対になっている部屋同士は行き来ができると聞いたことがある。
「鑑識さん」
恐る恐る、その小さな突起を摘んで捻った。カチャリと金具が外れる音がして、壁に埋もれていた小さな扉が開いた。
「開いちゃった……どうもぉ」
と小声で断ってから中に入るとそこも隣室の風呂場で、中でアジア系の若い女性が掃除をしていた。突然現れたスーツ姿のイケメンにびっくりしてスポンジを取り落としてしまったが、警察手帳を見るとホッと一息をついた。
「ごめんね、驚かせて。ここ、いつ空いたの? 」
「わかんない」
「変なこと聞くけど……この部屋、汚れてた? 」
すると、女は英語交じりに大変な汚れようで割増料金欲しいくらいだと捲し立てた。シーツには血まで滲んでいて、気持ちが悪いと。
「大変なお仕事だね。ご苦労様です。頑張ってね」
有難う、と逸彦が礼を言うと、イケメンの笑顔に絆されたかのように女は表情を和らげて頷いたのだった。
「鑑識さん、ちょっと」
鑑識班の若手を呼び寄せ、逸彦は耳元に顔を近づけた。
「一応、サンプル取っといて。無駄になったら、今度差入れ届けるからさ」
すると、若手鑑識員は苦笑した。
「深海警部のカンは外れた試しが無いですからね。サンプル取って前科者リストのデータと照合します」
部屋に戻った逸彦は、何となく瀬古の下半身を調べるが、やはり行為があった形跡はない。だが、ん? とベルトを摘んだ逸彦が手を止め、自分のスラックスのベルトを外してみた。
「ちょっと係長、何やってるんです? 」
慌てる稲田をよそに、逸彦は暫くベルトを弄った後、その場にいる捜査員全員に聞いた。
「左利き、いる? 」
鑑識員の若手が手を挙げた。逸彦はしげしげと彼のベルトのあたりに顔を近づけた。若手が顔を真っ赤にして泣きそうな顔をした。それもその筈だ、こんな色っぽい場所で、抱かれたい男第2位が股間に顔を近づけてきているのだから……暫くして納得したように逸彦が顔を上げると、若手はホッとしたように息を吐いたのだった。
「瀬古って左利きだっけ」
「確認します……何か」
「うん……ペンだこが右手にあるから、右利きで間違いなさそうなんだけど、ベルトだけ……僕は右利きだけど、ほら、違うでしょ」
「成る程」
「安居さんからの指示は」
「いえ、野性のカンを働かせろとだけ」
「ウケる。ま、後は司法解剖次第か……ヤマさん、お待たせしてすみません」
「ったく、証拠拾うのも時間との戦いなんだぞ、深海ぃ」
気難しそうな検視官の山村の嫌味を肩を竦めて聞き流し、逸彦は部屋から出てフロントへと向かった。
フロントにいたのは、かつては強行犯一係の係長であった安居江威子という女性刑事である。40代で、確か高校生と中学生の子供が二人いる。柔道の元国体選手だっただけに、幹の太いがっしりした体格で、逸彦は何度も道場で投げ飛ばされていた。
「安居姐さん」
「おう、深海、お疲れ。折角子作りし易い所に飛ばしてもらったのに、因果だねぇ」
「もぅ、それ何とかハラですよ」
と挨拶を交わすうちに、安居は当該の映像を逸彦に示した。
「あれれ、大事なところが抜けてる? 」
「そう。瀬古が部屋を指定してフロントを潜った後、15分後に女らしき影が自動ドアのところに映っているんだけど、そのショットから午後1時までの括り、フロントカメラの映像が飛んでる」
「飛んでるって……そんな簡単に操作できます? 」
安居は古びたフロントデスクの上のパソコンを指差した。
「うわ、古……パスワードとか、設定できてます? 」
フロントのおばちゃんは、まさか、と首を振った。
「他のカメラは殆どがフェイク。ま、人目を偲ぶところだしね」
確かに、監視感の強いホテルに昼日中から入ろうとは思わないだろう。
「おばちゃん、今日はここを離れたことあるの? 」
文学青年系のソフトな男前に質問され、70代と思われるフロント係のおばちゃんは、相好を崩して頷いた。
「勝手口のゴミに火がついてるって電話があってさ、慌てて出たんだけどさ、カラスに散らかされてるだけで、何ともなかったんだよ」
「いつ頃」
「昼の1時頃かなぁ……」
「見る限り、瀬古の死亡時刻はそのくらいな気がしますけど」
逸彦が安居に耳打ちすると、うん、と安居は頷いた。
「おばちゃん、有難ね。また話聞かせてもらうかもだけど」
「あんたみたいな男前なら大歓迎だよ。いやぁ今日はさ、瀬古さんと言い、あんたと言い、男前に沢山会えて嬉しいねぇ。あ、瀬古さんは可哀想だったね」
「瀬古はお馴染みさん? 」
「この辺りの顔だからね。あの人が出入りするおかげで、立ちんぼの踏み倒しが減ったんだよ」
「他に男前には会った? 」
「ああ……いないね。チャラい男ばかりで目の保養にはならないよ」
ふうん、と鼻を鳴らし、逸彦はおばちゃんを凝視した。
「隠し事なしだよ」
「男前には何でも晒しちゃうのが乙女ってもんだよ」
ケムに巻くように笑って、おばちゃんはおせんべいの袋を豪快に開けた。
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