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6.キャバ嬢とホスト
定時に上がるべく署の本部に戻り、管理官に手応えだけ報告して帰ろうと、逸彦が取調室が並ぶ薄暗い廊下を通り抜けようとしたら、階段から刑事に腕を掴まれた背の高い派手な女が、突き飛ばされるようにして廊下の壁に両手をついた。
「やっだぁ、痛いじゃーん」
その真っ赤なタイトミニのワンピースに10センチはあろうかというピンヒールの真っ赤なレザーのロングブーツ、毛先をクルックルに巻いた茶髪の女は、派手な化粧ではあるものの、とてつもなく美しい顔立ちをしていた。
「おまえ……」
思わず名前を叫ぼうとした逸彦の口を、女は真っ赤なマニュキアをした手で塞いだ。
「ヤッバーイ、チョーイケなんだけどぉ……どうも」
小声で耳元で囁いた声は、間違いなくあの無自覚お色気爆弾こと桔梗原鸞であった。ざっくりと開いた胸元には、しっかりと谷間ができている。
「なに、手入れ? 」
鸞の背後の刑事に問うと、刑事はふう、と溜息をついた。
「いえね、金輪会のチンピラが未成年のキャバ嬢にドラッグ呑ませてラブホに連れ込もうとしてるって通報がありまして」
「そう……未成年には見えないけど? 」
「あ、チョー失礼、永遠の17歳ですぅ」
「すみません、ただの酔っ払いだったみたいで……注意したら帰します」
鸞の言う通りに他人のふりをして刑事に身柄を預けると、鸞はくねくねと酔っているかのように腰を振って歩いて行った。
鸞を連れてきたのは生活安全課の面々である。しかもその後ろから来たのは、ツルッツルのシルクの紺のシャツにレザーの細身のパンツという出で立ちで、胸ボタンを大胆にくつろげ、金色のネックレスを鍛え抜かれた体の上にキラキラ輝やかせている、顎鬚を生やしたいかにも半グレ上がりのホスト風な男……のくせに金縁のサングラスの下でとてつもなく男前な顔をわざと下品に歪ませるようにガムをクチャクチャと噛んでいる、霧生久紀ではないか。
「ケツ触んじゃねぇよ、てめぇホモか、この変態野郎。女とシケこもうとしてただけだっつってんだろーがよぉ」
後ろ手にがっちりと拘束する生安の刑事に悪態をつきながら、久紀は一瞬だけ逸彦に視線を走らせると、またガムをくちゃくちゃとさせながら取調室へと連行されていった。
署の建物から飛び出した逸彦は、裏手に回ってスマホを取り出し、多岐絵に一報を入れた。今日は帰れそうにないと告げると、多岐絵は何だか晴れ晴れしたような声を上げた。
「やだ、捜査? 」
「うん、ヘルプだけどさ……」
「凄いじゃん、もう絶賛解決しちゃいなよぉ!! やっぱり私の逸ちゃんはそうでなきゃ! 頑張ってねぇ!!」
亭主元気で留守がいい……確か昭和の頃にそんな標語があったなぁなどと遠い目をしながら、逸彦は通話を切った。
「ま、いっか。私の逸ちゃん、だし」
グフフと、口から笑みを漏らすと、後ろから肩を叩かれた。
「どうもぉ」
キャバ嬢とホスト……もとい、鸞と久紀であった。
「おまえら……何なんだよ、さっきの」
「ま、話せば長いんだけどさ……女房にイチャ電してねぇで、どっかでメシ食わねえ? 」
久紀は疲れた表情で髪をかきあげた。この男はどんなやさぐれた格好をしても様になる。一方の鸞は、姿はキャバ嬢だが、表情に影が無さすぎて、お姫様のお忍び感が隠しきれていない。
「見て見て、ほらオッパイ。ウチの瞳姉さん、ヘアメイクだけじゃなくてこういうのも作れるんですよ。ね、揉んでみて」
鸞はすっかり男声に戻して逸彦の手を大胆に自分の胸元に引き込んだ。
「おい、おまっ……本当だ、凄いな、これ」
大きく作りすぎな感もあるが、ちゃんと、乳房の質感があった。
「ね、凄いでしょ! ほら、課長も揉んでみてくださいよぉ」
胸を押し付けるようにして久紀の腕に絡みつくと、久紀は苛立たしげにそれを振り払い、さっさと青梅街道へと歩いて行ってしまった。
「あん、もぉ、ご機嫌斜めなんだからぁ」
「ま、それだけ込み入ってるんだろ」
「ええ……実は相当ヤバイです」
「ヤバイって顔してないぞ、おまえは」
「ええ? 十分ヤバヤバ感出しまくりですけどぉ」
「やめなさいって。ほら、あと10秒待たせたら暴れるぞ、あいつ」
「あ、はいはい」
カツカツとブーツの細いヒールを響かせて、鸞は軽快に走っていく。まぁ何て履き慣れた足取りかしらと驚く間も無く、3人は久紀が止めたタクシーに乗り込んだのだった。
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