7.罠

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7.罠

「だからぁ、足を組むなって、目のやり場に困るだろ」  逸彦がそう言うと、向かいのベッドに座る鸞は楽しそうにわざと足を組み替えた。  3人はタクシーで、警視庁の縄張りから外れた埼玉県の県境にある地方都市、所沢市の所沢駅前で下りた。まずは久紀達が偽名で近くのビジネスホテルのツインの部屋を確保し、逸彦が適当に二人分の着替えと食料を駅ビルで買い込み、二人がいる部屋に入った。  久紀はとっととワイシャツとスラックスに着替えたが、鸞はまだ変装を楽しんでいる様子で、女装のままサンドイッチを頬張っていた。 「……内偵か」  グビリと缶ビールを一気に煽り、久紀は口を拭って頷いた。 「組対なんてのは、要は情報取ってナンボなんだよ。暴対法のせいで、奴らはどんどん地下へ地下へと潜っていく。追跡できなくなったらもう、こっちの負けだ。いいように町は荒らされて、外国のマフィアに食われて、ボロボロになる。上はわかってない……。金輪会の瀬古は、警察の誰かと繋がっている。情報を提供しあってウィンウィン、てな関係の相手が必ずいるはずだ。警察側の誰かから得る情報で、瀬古は投資に地上げに、経済ヤクザとして成功を収めたと言っていい。実は、瀬古が金輪会を見限り、六曜興業の高柳会長から直参の盃もらって組を構える話もある」 「成る程な……で、瀬古の相手を探ろうとして? 」 「ああ。まさか当の瀬古が殺されるとはな……ここのところ六曜の事務局長の菅原(すがわら)ってのが、瀬古とあの辺りで会っていると情報があった」 「それで、あのラブホ街を探っていたのか」  クソッと舌打ちをする久紀に代わり、鸞が話を引き取った。 「瀬古はもう、金輪会の金井には愛想を尽かしていて、自分の稼ぎを六曜に流しているとの情報を掴んでいました。多分、組んでいるのは菅原あたりだろうと、目星をつけていたんですけど。二人を結びつける決定打が無くて」 「で、ゴマの蝿とばかりに、誰かが嘘の通報をして、おまえらをとっ捕まえさせて追っ払ったと……よく身バレせずに済んだな」  すると、鸞がふくよかなバストを強調した。 「ここ三日、つけたり外したり……違和感なくなっちゃいました。身バレしないくらい徹底しないと、今、ちょっとヤバいんで」 「まさか……署内(ナカ)にも内通者がいるのか」  疲れ果てた顔をして、久紀が頷いた。 「マジか……劇団四季じゃないよな、新入りか」  逸彦の指す劇団四季とは、久紀と鸞の部下の春田、夏川、秋草、冬村の四人の事である。逸彦とも面識があった。 「ああ。あんまりこっちの動きが筒抜けなんで、ウチの課でメイク担当の瞳ちゃんに病欠取らせて、毎日違う場所で合流して姿を変えてもらうんだ。俺はともかく、鸞をここまで巻き込むつもりは……」 「おとっつぁん、それは言わない約束」  鸞が殊更明るく微笑み、久紀の唇を人差し指で塞いだ。  すまん、とばかりに目を伏せた久紀が、逸彦の無言の質問に答えるべく顔を上げた。 「逸彦、背乗り、わかるよな」 「ああ、ホームレスや借金で飛んだ奴の戸籍を買って成りすます、あれだろ。ヤクザはそうでもしないとお天道様の下で稼げないもんな」  ヤクザという身分がある限り、奴らは口座も作れず、土地売買も賃貸契約すらもできない。本来ならば、シノギというシノギは封じられ、ジリ貧になっているはずなのだ。 「ああ……俺らを通報して遠ざけたのは、おそらくその情報提供者だ」  久紀がゴミ箱を蹴飛ばした。 「お前のことだ、手ぶらじゃないだろ、久紀」 「……おばちゃんの話から、女と瀬古ともう一人の男の関係が分かった。女はいつも瀬古とは別々に入って、決まった部屋を使う。女が入ると、いつも顔を隠したヤクザ風の男が裏口から入ってくる。その時は部屋から瀬古が連絡をしてきて、裏口の鍵を開けるんだそうだ」 「そんなこと、話してくれなかったぞ」  すると鸞がサンドイッチのクリームが付いた中指を口に咥えたまま、上目遣いに逸彦を見た。女装したままのその仕草は、酷く廃頽的で……端的に言って、すこぶるエロい。 「だって課長、おばちゃんの心の恋人ですもん。死んだママンに似てるとかなんとか(たら)し込んで、数週間かけてこちら側に引き込んだんですよ」 「その、裏口から入ってくる男は、九分九厘菅原だとは思うんだが、三日張っていてもとうとう顔は拝めなかった」  とはいえ、おばちゃんが瀬古側ではないとも言い切れなかった筈だ。いつでも誰かがどこかで裏切る恐怖を背中で感じながら、二人は内偵を続けていたに違いない。 「隣りの部屋のサンプルは取ってある。菅原なら前歴でヒットする筈だ」 「深海警部ったら、流石過ぎて惚れそう」 「はいはい……ほら、飲めよ」  逸彦は2人に2本目の缶ビールを手渡した。  冷えた缶を額に当て、久紀は大きく息を吐いた。 「しょうがねぇなぁ、ほら貸してみろ、鸞」  真っ赤な付け爪のせいでプルタブを開けられない鸞のビールを逸彦が開けてやると、鸞は小さく礼を言って小指を立てて受け取り、頬に当てて喘ぐような溜息をついた。いちいち色っぽい。 「で、女の身元は」  プシュッとプルタブを開け、一気に煽った後、久紀は自分のスマホを逸彦に差し出した。 「ここのところ頻繁に金輪会がケツ持ちしているホスクラに入り浸っている。しかもこの女、瀬古に餌付けされている」 「餌付けって、シャブ漬けってことか。ん? これ……」  不明瞭な画面でアングルも全く違うが、体型とでも言うか、肉感的なボディの割に着ているものや表情が幼く感じるこのアンバランス感には覚えがある……。 「あ!! 」  逸彦は現場に着く前にこの女に会った事を久紀に話した。女がホストに嬲られ、ドラッグを呑んだかのような表情だった事、丸川が回収して行ったこともだ。その時に逸彦が感じた印象も、包み隠さずに話した。 「やはり丸さんが出てきたか……実は、瀬古は背乗りで得た戸籍で、手下を使ってみどり銀行に口座を作っている」 「口座って……ヤクザが作れるわけ……いくら背乗りでも難しいだろ」 「俺の頭の中の相関図に一人だけ、できそうな人間がいる」 「誰」 「みどり銀行本店融資課課長、丸川達哉」 「丸川……まさか」  逸彦の驚愕を、鸞が引き取った。 「ええ。課長の師匠である丸川達夫警部の、息子さんです」 「女の方も丸さんの関係者だ。大凡の当たりはついているが、ご存知の通り、その先の調べに踏み込む手段を断たれている」  警察のデータベースに手を出せば、内通者から敵に筒抜けになる、ということか。 「おいおい、お前の目の前にいるのは、天下の資料係(・・・)だぜ。任せろ」  画像を自分のスマホに転送し、逸彦は久紀のスマホを返した。 「惚れてまうがな、ですね」  鸞がからかうと、久紀は軽い拳骨を鸞の頭に落として笑ったのだった。  
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