9.資料係

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9.資料係

 清潔感があると言えば良い方の表現である、白いだけが取り柄の小さな会議室に通され、たっぷり20分は待たされた。  資料係をナメんなよ……と、女子社員がお茶を出して出て行った後、タブレットを駆使して調べ終えていなかった詰めの資料を探し出していた。 「あった……」  刑事総務課法令指導第二係、通称・資料係になって何が良かったかと言えば、資料の効率的な探し方が身についたことに他ならない。どう探せば欲しい資料が手に入るのか。正攻法では幾ら探しても出てこない垂涎の情報が、角度と探し方を変えるだけで簡単に手に入るのだ。しかも、警部の逸彦にはそれだけの資料を漁る権限がある。何かと苛立つことの多かったサイバー課との関係も密になった。 「お待たせしました」  逸彦は緩んでいた顔を引き締め、車輪付きのパイプ椅子から立ち上がった。絨毯の上をコロコロ音を立てて軽快に動く椅子に引き摺られそうになり、バランスを崩してよろけた逸彦に、達哉は左手を差し伸べた。 「すいません、こういうの、慣れていなくて」  はぁ、と言いながら、達哉は逸彦の向かいに座った。  長身、整った顔立ち、仕立ての良いスーツ、銀縁のオーダーメイドのメガネ……エリートを絵に描いたらこんな男が出来上がるのだろうという、プロトタイプとも言える人物である。 「御若いのに融資課の課長だなんて、優秀なんですね」 「いえ……で、ご用件は」 「新宿で、瀬古というヤクザが殺されましてね。だいたい昼前後に殺された可能性があります。昨日の昼は、どちらに」 「私は瀬古なんて知らない。お角違いでしょう」  客にはそんな顔はすまい。ピクリとも動かぬ口角を見ながら、逸彦はタブレットを操作して、昨晩現場近くでホストに抱かれていた女の写真を見せた。 「この方、お知り合いですよね」 「さぁ……」 「私、この女性がホストといるところに出くわしましてね。その時、道を挟んだ後方の電柱の陰に、あなたともう一人の男性が蹲っているのを、この目で見ているんですよ」 「人違いではありませんか。私のような人間など掃いて捨てるほど……」 「洲崎結花、旧姓・丸川。あなたの妹さんでしょ」  ズバリ言い当てられ、達哉はグッと唇を噛み締めた。 「一緒にいたのは、義理の弟、つまり結花さんの夫だ。私、刑事課の中でも資料集め専門でして、これだけ材料があれば身元調べ上げるのは訳ないんですよ」  勿論、久紀が内偵で得た画像が全ての線を結んでくれたのだが……。  そして更に、逸彦はタブレットにある名簿を見せた。金輪会系と思われる人物の口座リストである。殆どがみどり銀行で口座を作っている。名前は全てダミーだ。このリストも、久紀と鸞が手に入れた資料から手繰ったのだ。 「それが何か」 「背乗り、知ってます? ヤクザって実は口座作れないんですよ。あ、釈迦に説法でしたね。でも、この名簿、これヤクザのリストなんですよね。今、一人一人全力で追跡してますけど、いわゆる行旅死亡人でしょう」 「ウチでは必ず御本人名義の証明書を……」 「背乗り、ですってば。保険証も何もかも、既に死んだか失踪したかした人間のものです。これ、バレたらやばいですよね」 「別に、こちらは然るべく手順を踏んだだけで、悪いとしたら、ウチの行員を騙した相手の方でしょう」 「ウチの行員、ね。指示したの、貴方じゃなくて? 」 「馬鹿な。私は融資課です。そんな窓口業務に口を挟むわけがない」 「この絵図を引いているのが、おそらく瀬古です。本当に知らない?」 「知りませんよ」 「昼頃は何を」 「しつこい人だなぁ!」  逸彦はじっと達也の額の端に吹き出てきた汗を見ていた。タラリと、汗が込め髪を伝って落ちる前に、達哉は左手でハンカチを取り出して拭い取った。 「そうですよねぇ、でも、ボクもこれで御飯食べてますんで。で、昼頃は」 「ランチに決まってるでしょう」 「お店の名は?」 「……初めての店だから、忘れました。もういいですか、忙しいので失礼します」  慌てて立ち上がって出口へ向かう達哉を、逸彦が悠長に引き止めた。 「あなた、左利きなんですね」 「はい? 」 「いや、左利きなんだなぁ、と思って。妹さん、傷だらけでしたけど、大丈夫でした? 旦那さんの暴力とか? 」  すると達夫は顔を真っ赤にして声を張り上げた。 「祐一はそんな奴じゃない、悪いのは全部妹だ!! あいつは人妻でありながらホストなんかと……汚らわしい」  心の奥底から咆哮するかのように吐き捨て、達哉は出て行ってしまった。 「汚らわしい、か」  達哉は確かに左利きだ。咄嗟に差し出すのも、汗を拭くのも、椅子を引くのも、名刺を差し出すのも……ベルトの向きもだ。  今日はそれだけで収穫としよう。十分に揺さぶる事はできた筈だ。  逸彦は立ち上がり、少し社内の雰囲気を見て回ることにした。
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