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その夜、ガブリエルが貸してくれた画集をめくっていると珍しくリリーが部屋に遊びに来た。リリーはおっとりしていてすらりとした美人でいわゆる理想通りのマドモアゼルだ。マリーはそんな姉と比べられてばかりいたせいで、いつの間にかリリーを嫌いになってしまっていた。本当は大好きだったはずなのに嫌いになってしまったという事実が胸をきしませる。できたらそんな自分を知りたくなくて話さないようにしているのに、リリーは話せば以前と同じに戻れると思っているのかたまに部屋にやってくる。
リリーはマリーの気持に気付いているのか、いないのかさえわからない。
「ねぇ、マリー、私、来年、花嫁になることが決まったの」
リリーはどこか悲しそうに呟いた。姉に恋人がいると聞いた記憶がない。
「会った事もない、顔も知らない伯爵様と結婚しなさいってお父様が……あなたのラファラン伯爵みたいな方がいれば断ることもできたのでしょうけど、私にはなにもない。美人ってだけで選ばれたのですって……嫌ね」
リリーの頬を涙が流れ落ちる。リリーは政略結婚の道具にされることが決まったということなのだろう。美人の娘をいかに有用に使うか父はずっと考えていたのかもしれない。貴族の結婚は大体が政略結婚。顔も知らぬ相手に嫁ぐのも珍しいことではない。けれど、急に身近になったその事実にマリーは動揺する。姉のことが心底嫌いなわけではない。
「リリー……」
「マリー、私、みんなのせいであなたと距離ができてしまって悲しかったの。仲直りしてくれない?」
マリーは思わず唇を噛む。リリーはちゃんとわかっていてくれた。だから、たまにしか部屋に来なかったのだろう。
「リリー、私、本当はあなたが好きよ。たった一人のお姉様だもの。仲直りしましょ」
リリーに抱きしめられて、そっと抱き返す。ほっそりとして背の高い美人な姉。それゆえに有利な政略結婚の道具にされてしまう。なりたかった女性の姿はこういうものだっただろうか。自分もいずれ同じようにどこぞに嫁がされる。父と家を継ぐ弟のために。女は道具でしかないのだろうか。道具であれば賢い必要はないから、本など読むなと言われてしまうのだろうか。その事実にマリーは言い知れない怒りを感じた。自分の未来は自分で掴み取る。
「マリーは賢いんだもの。自由に生きるのよ……」
「ええ……」
その時、脳裏をふっとよぎったのはガブリエルの顔だった。結婚を逃れることはできない。それはわかっている。であるならばガブリエルと結婚するのが、一番都合がいい。彼なら本を好きなだけ読むのを邪魔しないし、身分的にも申し分ない。父も満足するだろう。愛がなくても結婚できるならラファラン伯爵たるガブリエルはうってつけだ。
「マリー、花嫁の介添えをしてくれる?」
「もちろんよ」
「あなたがそばにいてくれるなら頑張れるわ」
儚く笑ったリリーはやっぱり美しくて、マリーは複雑な感情を抱く。自分に与えられなかったものを持っているリリー。自分が持っているものを持っていなかったばかりに選ばれてしまったリリー。何が正解かわからない。
数年ぶりにゆっくり話をしてリリーは去って行った。マリーはふとため息をつく。リリーは十八になったばかりだ。ちょうどの年齢ということだろう。十八までが父の与えてくれる猶予期間と思ったほうがいいのかもしれない。マリーはあと一年半で十八になる。父が相手を選ぶまで残された時間が短いと取るべきか、長いと取るべきかはわからない。
父はガブリエルに選ばれるように度々言ってくるが、選ばれる気がしない。ガブリエルがなぜ独身なのか聞いたことはないが、結婚する気があるとも思えない。いっそ明日直接聞いてみようと決めて、ベッドに入った。
画集の表紙を飾る金の文字がわずかに光る。
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