キスはドラゴンより強し!?

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 その後、しばらくガブリエルが休むことはなく、キスで呪いが解けたと冗談のように言われた。だが、一か月もしないうちにガブリエルが連絡もなく休んだ。マリーは約束通り、ガブリエルの屋敷に向かった。執事に声をかけ、勝手にガブリエルの部屋に向かう。  マロンが不満げにドアを引っ掻いていたが、開けてもらえないらしく、ドアが傷だらけになっている。マロンはマリーを見上げて足にまとわりついてから去って行った。マロンはドアに体当たりをして開けさせてくると言っていたのに、様子が違っている。マロンが遠慮するほどガブリエルの様子がおかしいのだろうか。人の言葉が通じなかったらどうしよう。わずかによぎった不安を振り払い、ドアを二回ノックする。ある程度待っても返事がない。声が出せないこともあると聞いたことがある。そのせいだろうか。マリーはドアノブに手をかける。 「マリーよ。入るわね」  ドアの向こうからなにのものともつかない警告するようなうなり声が聞こえたが、かまわずドアを開ける。カーテンも鎧戸も閉ざされているのか真っ暗で何も見えない。なにかがうごめく気配がしたかと思うとドアが閉まった。ガブリエルが閉めてしまったらしい。 「なにも見えないじゃない。ガブリエル、どこにいるの?」  目が暗闇に徐々に慣れ始めたが、どこにいるのかまでは見当がつかない。またうなり声が聞こえた。 「話せないならうなり声でいいから場所を教えて。怖くないわ」  自分にも言い聞かせるように言うと、すぐそばで小さなうなり声が聞こえた。声のしたほうに手を伸ばすとざらざらとした何かに手が触れた。わずかに体温を感じる。 「ガブリエル?」  悲しそうな声がした。触れているのは首らしい。マリーはガブリエルを引き寄せてキスをする。それは明らかにヒトの皮膚ではない。ごつごつとして尖った堅いものが人の唇に変わる。闇の中で重ねたものが唇とは思わず、マリーは顔を赤くした。暗闇であった事に密かに感謝する。 「ああ、マリー……今回は特別酷いんだ……このままキスをくれないか?」  ひどく悲しげな声だった。最初に触れたのがどこかわからないが、そこもヒトの皮膚ではなかった。ほとんどドラゴンに変わってしまっているのかもしれない。そのことが彼にはつらくてたまらないのだろう。人に見せたくないように、自分でも見たくないのかもしれない。 「どこが変わってしまっているのかわからなきゃキスをしてあげられないわ」  闇の中でもガブリエルの迷いが伝わってきた。 「見ても嫌いにならない?」 「ええ。もし嫌いになるようだったら一緒に火山に身を投げてあげる」  ガブリエルは複雑そうに笑って、カーテンを細く開けた。光に照らされたガブリエルは手も足もドラゴンに変わっていて、尾や翼も生えていた。顔や首もうろこに覆われている。その姿はガブリエルの身体がドラゴンに変化しているというよりも、小型のドラゴンが彼の服を着ているといったほうが近いように見える。知っていなければ彼だと言われても信じられなかっただろう。 「まぁ、思ったよりずっとドラゴンね」 「想像の半分も驚かないね?」 「驚いたら傷つく癖に驚いてほしかったの?」 「そういうわけじゃないけど……」  マリーは手に口づけを落とす。手が戻るとガブリエルはほっとしたようにマリーの頬に触れる。 「ドラゴンの指はひどく不器用でみんな引き裂いちゃうから、やっと君に触れられる」 「はいはい」  マリーは適当に流して次々キスをしていく。キスだけで戻るのだからさっさと元の姿に戻してしまいたかった。 「ねぇ、素っ気なくない?」 「このままでいたいならゆっくり話に付き合うわよ?」 「イヤデス……」 「ほら、しゃがんで、顔と角がまだよ」 「ハイ……」  ガブリエルは大人しくしゃがんだ。どうせ情緒がないとか思われているのだろうが、ドラゴンの姿ではなおさらときめかない。瞼へのキスで完全に元に戻ったガブリエルはほっとしたように笑った。 「ありがとう、マリー。君のおかげで元通りだ」 「どういたしまして。お礼なら結婚してくれればそれでいいわ」 「まだダメかな」 「やっぱりね。今日よりもっとドラゴンになったことってあるの?」  ガブリエルは少し考えてから口を開いた。 「部分、部分ではこれまでもあったんだけど、同時に変わっちゃったのは初めてだと思う。一度意識が無くなって、目が覚めたら家具がバラバラになってたことがあるから、その時のことはわからない」  ガブリエルはため息をついて、長い髪をかきあげる。 「やっぱりやめない? 僕が意識をなくした状態で君を襲ったらと思うと怖くて仕方ないよ」 「叩いて正気に戻してあげる」  ガブリエルは何か言いたそうにしたが、マリーが引き下がらないと感じたのか、瀟洒な引出しから宝石のついた拳銃を出してきた。女性が護身用に持つには大きいそれは彼が騎士として所有しているものなのは紋章から知れた。 「これを持っていて。これは僕がドラゴンを殺した時にも使ったものだから威力は保証する。使い方を教えてあげるから僕の意識がないってわかったらすぐに撃つんだ。いいね?」  無理矢理握らされたそれはずっしりと重い。 「撃ったらどうなるの?」 「最悪死ぬけど、君を殺すよりよほどいい」 「なら受け取らないわ」  マリーは拳銃をガブリエルの胸に押し付ける。 「あなたを傷つけたくないの」 「僕だって君を傷つけたくない」  ガブリエルの目が揺れる。マリーは緑の大きな目でガブリエルの目をまっすぐに見据える。 「だったら意地でも意識を保ちなさい。私のシュヴァリエ・ラファランはそんな軟弱ものじゃないはずよ」  ガブリエルがまたため息をついた。彼がこんなに弱気で情けないとは思わなかった。 「君ねぇ、簡単に言ってくれるけど、呪いに抗うのって簡単じゃないんだよ? 抵抗し切れないで無様に叫んで変身するのを見たでしょう?」 「見たわ。それでもあなたならできるって信じているの。私の素敵なシュヴァリエが呪いなんかに負けるはずがないのよ」  マリーが真っ直ぐに見つめるとガブリエルの白い頬に赤みがさした。 「まったく……君って最高……」 「恋しちゃった?」 「言わない……」  ガブリエルが不意と顔をそむけた。 「それってウィと同じ意味だと思うんだけど?」  マリーが下から覗き込むとガブリエルは両手で顔を隠した。 「もうヤダ……僕の天使がかわいくない……」 「お生憎様。元々そんなにかわいくできてないわ」 「前はもっとかわいかったよ! ガブリエルーって一生懸命駆けて来たりしたじゃない!」  マリーは思わず吹き出す。 「いつの話よ! そんなことをした記憶はないし、ガブリエル、ボケちゃったんじゃない?」 「そんな年じゃないもん!」 「この際白状しなさいよ!」 「三十だよ!」  マリーが思わず言葉に詰まるとガブリエルはひどく傷ついた顔をして、顔を両手で覆う。 「やっぱり気持ち悪いよね……呪われたときから全然変わらないから隠してたんだ……」 「思ったより若いことに驚いただけよ。てっきり四十代だと思ってたから……」 「なにそれ、ひどくない?」  ガブリエルはひどく不満そう唇を尖らせた。年齢に対して驚かれたことより、実年齢より老けて見られていたことがショックらしい。 「確かに君が生まれた年に引っ越してきたけど、まだ紅顔の美少年だったよ!」 「自分で美少年っていう厚顔さに感動するわ……」 「僕が美男子なのは疑いようもないでしょ」  天使像のように美しい顔をぐっと寄せられてマリーは思わずガブリエルを押し返す。ガブリエルが美男子だというのは認めざるを得ない。 「美男子なのは認めるから! 近いわよ!」 「ゴメン」  マリーはふと息をつく。 「あんまり姿が変わってたから消沈してるのかと思ったけど、全然そんなことないのね」  ガブリエルは困ったように笑う。 「君のおかげ。いつもはあの日のことを思い出して、震えながら時が過ぎるのを待っているんだ。今度こそ戻らないんじゃないか。今度こそドラゴンになってしまうんじゃないかって……あの日、なんてバカなことをしたんだろうって……」  ひどく悲しそうにため息をついたガブリエルは遠い目をした。親友を喪いドラゴンを殺した日のことを思い出しているのかもしれない。 「ねぇ、心臓を食べたって言ってたけど、なんでそんなことをしたの?」 「憶測でしかないけど、その時にはもう呪いにかかってたんじゃないかな。怒りのままにドラゴンの胸を切り裂いた後、記憶が途切れてるんだ。気付いたら心臓を食べてた。まずくて、気持ち悪くて、食べるのをやめたかったのにやめられなかった。ドラゴンを殺したこと自体間違ってたんだよ、たぶん……」 「ドラゴンを殺したこと後悔してるの?」 「後悔、してなかったよ。昔はね。親友の仇を取ったんだ……ドラゴンを殺したんだって有頂天だった。でも、呪われたって気付いてからはずっと後悔してる。いつかドラゴンになって人々を襲ってしまう前に火山に身を投げなきゃって思うのに思い切りがつけられない。僕は愚かで卑怯な人間だよ……」 「ガブリエル……」 「君のキスで戻れるならもう少しここにいられるんじゃないかって期待してる。君を利用しようとしてるんだ。軽蔑して見捨ててくれていいよ。そうしたら心置きなく死ねる」  マリーは思わずガブリエルの頬を思い切り叩く。ガブリエルがそんなふうに思っていることに無性に腹が立った。 「ガブリエルのバカ! 私がいくらでもキスしてあげるから死のうなんて考えないで! いなくなるなんていやよ……」  マリーの頬を涙がぽろぽろ、ぽろぽろ零れ落ちた。ガブリエルは慌ててマリーを抱きしめる。 「ゴメン、ゴメンね……マリー、泣かないで僕の天使……本当は生きたいからこんなみっともないことを続けてるんだ。君がしっかりしてるから甘えが出てしまった。僕も君のそばにいたい」 「みっともなくても、情けなくてもいいからそばにいて……」 「うん……頑張る……」  泣き止むまで抱きしめられていて、マリーははたと気付く。ガブリエルは年上の大人の男性だ。そのガブリエルの胸に抱きしめられていていい年齢はとうに過ぎている。これまで近所のお兄さんくらいにしか思っていなかったが、急に異性として意識してしまい恥ずかしくなった。ガブリエルがいつもよりずっと赤裸々だったせいだろうか。 「な、泣き止んだから離して!」 「そう? ならよかった。ちゃんと服を整えたらお茶にしよう。広間か、温室で待っててくれる?」  ガブリエルは裸足でジレさえ着ていなかった。シルクのシャツも前は何ともないが背中が裂けていた。ガブリエルが壁際に立ち、あまり動かなかったのはそのせいだと思い至り、マリーはくるりと方向転換する。 「き、気付かなくてごめんなさい! 書庫に行くわ」  マリーは急いでガブリエルの部屋を出る。密室に二人きりでいたという事実にマリーは今更のように動揺する。階段を駆け下って書庫に行くとマロンが出てきた。 「ああ、マロン、私どうかしてるわ……」  マロンは慰めるようにぶなぁと鳴いて額をこすりつけてきた。その日はなぜだかお茶の味もわからなかった。
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