「幸せ」

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「幸せ」

 ***  ――まだ誕生日じゃないんだけど。  ベッドに寝転がりながら、携帯電話でメールの返事を打つ。スマートフォンよりも分厚くて小さい、片手で収まるサイズ。画面をスライドさせることでキーボタンが出てくる。タイムラグがあるのは当たり前で、返信が来るまで何度も問い合わせていた。  懐かしいな。二十年以上前だろう。夢と呼ぶにはあまりにも鮮やかで、記憶の欠片が溶けているのだとわかる。  眠りにつく寸前までメールのやり取りをしていた。翌日の朝練のことなんて考えもせず。寝不足で体が動かなくなるなんて全くなかった頃。  ――フライングしてまで一番に送りたかった俺の気持ちを汲んでくれ。  ――十二時まで起きてる自信がなかっただけだろ。  そう送りながらも、本当はとても嬉しかった。誕生日を覚えていてくれたこと。メールをくれたこと。フライングをしてでも一番にこだわってくれたこと。全部が嬉しくてくすぐったくて、でも素直に伝えられる性格ではなかった。  センターに問い合わせている途中で、着信が来る。え、電話? わざわざ? 「もしもし」 『誕生日おめでとー』 「だから、まだなってないって」 『俺が一番? 一番だよな?』 「フライングだからな」 『よし。じゃあ、これから毎年この時間にお祝いするな』 「は?」  突然の宣言に驚き、体を起こす。カーテンの隙間からは半分になった月が見えた。 『いいだろ。一時間得したと思えば』 「得なの?」 『得だろ。俺とお前の間でだけは、誕生日が一時間長いんだから』 「まあ、そうだけど」  でも、この一時間で何ができるってわけでもないじゃん。そう付け加えようとしたとき。僅かに早く声が届いた。 『今は何もできないけどさ。何年か後には、この時間もきっと一緒にいるだろ。そのときにちゃんと一時間多くてよかったって思わせるから』  いつもと変わらないやり取りのはずだったのに。機械越しの声はいつもより柔らかくて、「友達」ではなく「恋人」なのだと実感してしまう。  毎年お祝いすること。何年か後には、こんな時間でも一緒にいること。なんの不安も躊躇いもなく、当たり前の未来として語られるのが、嬉しくてたまらなかった。 『え、泣いてる?』 「……泣いてねー」 『まあ、もうちょっとの辛抱ってことで』 「――うん」  半年後には、二人とも上京しているはずだ。ここから通える大学はないに等しく、進学を希望するひとはみな都会に出ていく。それまではただの「友達」でいないといけない。ひとの噂が何より速く伝わるこの場所で、周りの目を気にする大人たちの前で、俺たちが「恋人」であることは許されないのだから。 『これから毎年誠一の誕生日は前日の二十三時からってことで』 「わかったよ」  おやすみ、と声をかけ合う頃には日付が変わっていた。 「……幸せ、だったのにな」  この先に何があるのか知らなかったから。自分たちの思い描く未来が簡単に壊れてしまうことに気づいていなかったから。いや、でも。あいつは何か気づいていたのかもしれない。気づいていたからこそ、強く未来を語って見ないふりをしたのかもしれない。  ***
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