新居

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 先週のうちに引っ越しをすませるはずが、急遽出張が入り、休みを取ることができなくなった(おかげで、こうして周の休みに合わせられたのだが)。仕事が忙しいときは連絡を取らないことも多いので、伝えそびれていた。 「なーんにもないね」  家具もカーテンもない。空っぽの部屋に二人で寝転がる。白いフローリングの床は窓からの日差しを吸い込み、背中をじわりと温める。 「引っ越しは?」 「明日」 「え、こんなのんびりしてていいの? 準備は?」 「お任せコースだから、もう終わってる」 「マジで?」 「マジで」  ふっ、と周が笑う。 「誠一さんも『マジ』とか言うんだ」 「言うよ。言ったことなかったっけ?」 「んー、聞いたことなかった気がする」  そうだっけ、と片肘をつき周の前髪へと指を伸ばす。 「色変えた?」 「うん、秋色にしたんだ」 「もう秋なのか」  季節を先取りする周の時間は、鮮やかに過ぎていく。歳をとればとるほど時間は早く過ぎる。だからこそ季節を先取りすることになんの躊躇いもない若さを見るのは眩しい。俺は今の季節を味わうだけでいいと思ってしまうのに。十歳の差をこんなところで感じるとは。 「まだ八月なのに」 「明日から九月だよ」 「それでもまだ夏だろう」  最高気温は三十度を切らない。電気と水道だけは先週のうちに通していたので、エアコンをつけているが、そうでなければ十分もいられなかっただろう。 「誠一さん、そろそろ切らないとだね」 「周が切ってくれる?」 「もちろん。俺以外に切らせたら怒るよ」  空っぽの部屋にあるのは窓からの日差しとエアコンの冷気と、二人の話し声だけ。ほかには何もない。何もいらない。そう言ったら周は「いや、冷蔵庫も洗濯機もいるでしょ」って笑うのだろう。周のほうが現実的なのだ。 「……カーテンないよ」  頬に手を添えれば、困ったような、それでいて期待するような眼差しを向けられる。 「そうだね」 「そうだねって、向かいのマンションから見えるんじゃない?」 「俺は気にしないけど。周は嫌?」  きゅっと小さく尖った唇が、視線を揺らしながら解かれる。 「……キスだけなら、いいけど」  ありがと、と声とともに唇を落とす。ん、と触れ合った瞬間に周の声が零れる。薄く目を開ければ、瞼を閉じた周の顔。小さく眉を寄せているのが可愛い。  キスだけで終われるかな、なんて思っていたけど。誰にも見せたくないという独占欲のほうが大きくなった。  そっと唇を離せば、ゆっくり瞼が上がる。視線とも呼べない距離で、焦点の定まらない目が向けられる。 「周のその顔は、物足りないってこと?」 「っ、そんなことないし」 「本当に? 俺は全然足りないけど」  周の顔が一気に赤くなる。 「まあ、でも、ここカーテンないし。俺の部屋は段ボールだらけだし」 「……うち」  来る、とエアコンの風にも掻き消されそうな小さな声で周が言う。うん、と頷くと同時にもう一度キスを落とした。
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