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由香と那月とは、入学後に書道部で出会った。
今では各学年のクラス数は五つと少なくなってしまったが、当時は七つあった。由香は私と同じ普通科に所属していて、隣の市から電車で通っていた。生徒は昔設けられていた学区に関わらず進学できるようになったばかりで、由香はその仕組みを使って進学実績の良かったうちの学校の試験を受けたのだ。
父親はどこかの商社でよいポジションにいるらしく、比較的裕福な暮らしをしていた。
彼女の母親は当時でこそ専業主婦だったようだが、以前は都会でキャリアを積んでいたらしく「女の子にも適切な高度な教育を」という思想を持っていた。そのため、彼女は隣の市の高校まで通うことになり、更には部活後には遅くまで塾に通う生活を送っていた。
運動が嫌いでない彼女が書道部に入ったのも、勉強との両立が取りやすいからという理由だったようだ。
一方、那月は理数科に通っていた。彼女の両親はともに医者で、彼女も当然のように医者になるために教育されてきたようだった。実際、彼女は天才的な頭脳を持っており、周囲から期待されているような学歴は手に入れられたはずだ。いつも一緒に行動していた私たち以外の人間から見ても、那月が難なく医学部へと進学することは、明白だった。
ところが、彼女は自分の持っているものに無関心なようだった。大学進学は目標達成のための通過点で、勉強もその手段でしかないと理解していた。
それは当然のことではあるが、当時の由香にはそれが気に入らなかった節がある。
那月が「国立大学の医学部がいいけど、難易度が」という話をした時のことだ。由香が鼻で笑いながら「私立大ならお金出して合格できるところもあるんじゃない?」と回答していたことがあった。那月は驚いたような顔をしていたが、何も言わず俯いた。
もちろん、万事このようなやり取りをしていたわけではない。
由香も那月も、通常はくだらない話題で笑いあうような仲だった。
進学や、将来の夢の話になる時だけ、由香は那月を目の敵にし、那月はそれに対して何も言い返さずにいた。
そういう時、私は一人静かに黙っていた。
夢の話をする二人をうらやましく思いながら、教師である父の言動から「自分は教師になるしかない」と思い込んでいた。ひとり親で、裕福でもない中、それが唯一できる親孝行だった。
今の自分なら「そんなことない」と考えるはずだ。
けれどその頃の私はいつも、夢について語り、ぶつかり、悩める二人を籠の中からずっと見つめていた。
晴天の霹靂、というものを実感したのは三年生になって半年ほど経ったころだった。
朝、なぜか学校の前には警察官が立っていた。特別教室が集う三号棟への経路は規制線が張られ、登校した生徒は教師の指示のもと、教室へ集められた。
教室で騒がしく、同級生と「何が起こったのだろう」という推察をした。
常であれば、一限の半ばに差し掛かる時間に、言いつけを破ってほかのクラスに行っていた同級生が帰って来た。
彼は私の顔をちらりと見る教室の隅へと寄り、軽く手招きをした。今まで大した話をした記憶はなかったが、彼に近づく。
彼は周囲との距離を確認すると、声を落とした。同級生の評価を鑑みるに、そういう分別のある人だった。
「宮坂が書道教室から落ちたらしいって、知ってたか?」
後頭部を殴られたような衝撃というのをその日初めて思い知った。私は言葉を探しながら、かろうじて「知らない」と絞り出した。
同級生が言うには、由香(苗字を宮坂といった)は前日の夕方に死んだのではないかということだった。
前日の夜にも両親から「帰宅していない」という申告があり捜索が行われたが、その時点で日は落ちており、教師たちは植え込みに倒れこんだ彼女を見つけることができなかったようだ。
「理系クラスからも抜け出して来たやつがいたんだけど、大谷地も登校してないみたいだ。もしかしたら、先に連絡がいったのかも。お前、連絡来てないか?」
大谷地というのは那月の苗字だ。
その段になって私は鞄に突っ込んだ携帯を取り出した。二つ折りのそれを開くが、なぜか電源が入っていなかった。
昨夜電源が切れたまま充電したからだろうか。起動させると、いくつかの着信履歴があった。それは、知らない固定電話からの電話だった。
その固定電話へとかけなおすと、五度ばかりのコール音の後、留守電に切り替わった。
「宮坂です。ただいま、電話に出ることができません……」
一日経って、事故だったはずのそれは、途端に事件性を帯びてきた。
由香の遺体には後頭部から殴られた痕跡があったのだ。
書道教室からは、前任の教師が花立として使用していた壺が消えていた。
また、彼女の亡くなった放課後、那月が書道教室へと入るのを見たという美術部の二年がいた。美術部の生徒は自宅で練習するためのキャンバスを取りに行った後、廊下で那月と挨拶をしたのだという。
その時間は、由香が亡くなった死亡推定時刻と一致する。書道教室から書道準備室はドアで一続きになっており、生徒の間では那月が事件に関わっていた——言葉を選ばなければ「犯人なのではないか」という噂が、たちまち駆け巡った。
その日はテスト期間の始まりで、各部活は活動日ではなく、特別棟に出入りする生徒は少なかった。教師も、テストの作成にいそしむかテストのない芸術科目の教師はすでに帰宅していた。
他の生徒に聴取する限りでは書道教室に行った者はなく、犯人にとっては幸運なことに特別棟という校内でも最奥の棟で事故が起こったせいか、目撃証言も証拠もなかった。
そして、その日を境に、那月は忽然と行方を眩ました。
由香の葬儀に参加した際、彼女と那月の両親が控室に入っていくのを見かけた。後日、二人の家族間で様々な協議が行われたと聞いたが、具体的にどうなったのかは定かではない。
私は残された。
どこかホッとしていた一方で、それからの学校生活は空虚だったと言える。
ほかにも友人はいたし、クラスの面々とも仲が良かったが、二年と少し、いっしょにいた友人がいなくなったのは張り合いがなかった。
事件から三か月経ち、半年経ち、街で古くから医者をやっていたはずの那月の一家は人知れずどこかへ引っ越していった。
新たな証拠が見つかることもなく、私たちが卒業を迎えるころには警察の姿を校内で見かけることもなくなった。
私は父の希望通り、地元の大学に進学した。教育課程を履修し、大学近くの高校で教育実習を実施し、教員免許を取得した。地元の高校過程の教員試験にも合格し、晴れて教師としての人生をスタートすることができた。
三校に赴任したのち、母校であるこの高校に帰って来た。
母校に戻ったといっても、哀愁の類が私の胸に去来したことはなかった。
思い出されるのは、朧気な青春の記憶——遠すぎるそれは酷く色あせていて、今となってはただの職場という認識が強かった。それでも、特別棟のその一角に足を向けようと思ったのは、佐々木さん、長岡さんの話を聞いて、当時の記憶が鮮やかになったからだ。
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