桃色カッパとケマリ

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三日と三晩、雨は降り続いた。 嵐の去った後の鮮やかな青空に真っ白な雲がちぎれながら通りすぎていく。茅葺きの屋根はまだぽちょんぽちょんと水滴をこぼしていた。いつもは地面があるそこには、鏡のように水があって、たくさんの輪を作っていた。 てぃんと音をたてて、ケマリが曲り家の古びた縁側で鞠をついた時、家には誰もいなかった。雨があちこちの川を氾濫させて、家の周りも畑も田んぼも水に沈んでしまった。床下で止まった水が引くまでは家のことはどうにもならないからと、家のものは使用人を連れて、畑や田んぼを見にいってしまった。ざばざばと腰のあたりまで水に浸かりながら皆は家を出ていく。惜しげも無く衣服を濡らすことができるのはこの家が豊かな証拠だ。 ケマリは家の者たちが慌ただしく動いている間、玩具や人形が溢れるように置かれた座敷で鞠を抱いてじっとしていた。 やがて家が静まりかえるとケマリは鞠をもって座敷を出て、そこいらへんを見回ると、誰もいないと頷いた。そして、日当たりのよい縁側に陣どって、鞠をつきはじめた。 てぃん、てぃん。 いろいろな色の糸で刺繍のされた鞠を調子よくついていく。おかっぱの髪が揺れて、青白い頬に触れる。 じりっと、太陽がもう育つことのない裸足の足にあたって、しゃぷんと縁側の下の水が音をたてた。鞠を何度ついただろうか。 ぐえっとか、ぐあとか音が聞こえた気がして、ケマリは鞠を両手でつかむと、頭をめぐらせた。 何かがいる。 目を眇めて音のしたほうをみた。 妙なものが……浮いている。 洪水で流された動物かもしれない。にしてはそれは妙な色をしていた。桃色というには薄汚い、赤黒い色だ。ぷかぷかと漂いながら徐々にこちらに近づいてくる。ケマリよりもふた周りほど小さい塊は獣のようには見えなかった。つるつるとした肌は人のように毛がない。洪水で死んだ子供だろうか。 ぴくりともしないそれをどうしようかとケマリは考えた。ここはケマリの土地で家だ。守られているはずのここに不浄なものは入れない。だから、きっとあれは危険がないはずだ。しかし、気になる。鞠が転がらぬようにそっと置いて、ケマリは物干しの竿に手を伸ばした。大人が使う竿には子供のケマリの手は届かない、はずだが、するりと竿は抜けてケマリの手に落ちてきた。 なおも近づいてくる桃色の塊を、ケマリは竿でつついた。ぐるりと塊はひっくりかえって、背中が見えた。 「亀?」 大きなこおらだ。ケマリの知っている亀に似ているが、にしては大きすぎる。ケマリの座敷に置いてある銭と紐で作った縁起物の亀より随分大きい。 もう一度つつこうと竿を持ちあげると、しゃぷんと音がしてこおらがこちらを向いて縦になった。ぐるんとこおらがひっくり返って、半身を水につけたままこちらを見た。 空より青い目がぎょろりと動いた。 水の中に桃色の髪が揺れている。カカカカと音をたてて鶏のような黄色い嘴が動いた。 河童か。 ケマリは咄嗟に竿で河童をつこうとした。河童はいたずら者だ。ひとを水にひきこんで溺れさせて殺してしまう。ケマリは死ぬことはないが、ここを出ればこの家の人間は不幸になる。水かきのある手が竿をつかんで引いた。ものすごい力に体勢を崩されて膝をついた。竿が水に浮いている。 身体を起こした河童が、ケマリを睨んだ。カカカカと鳴る嘴から奇声が漏れ始めた。 「ケーッケケケケっシー」 水を滴らせながらすいっと水をかいて近づいてくる河童に、ケマリは顔をしかめた。ぬめぬめした雰囲気はあきらかに臭そうだ。 「きも」 河童の青い目がらんらんと輝いている。ケケケという奇声は止まらない。ケマリは手探りで鞠を握る。すっくと立ちあがり、鞠の乗った手を前に差しだした。ぐいっと手を引く。 「ケーッ」 水の中から飛び出した河童にケマリは鞠を投げた。ドゴッと音をたてて、鞠は河童の腹に当たった。綺麗な線を描いて手元に戻った鞠をケマリは受けとめて、てぃんてぃんと縁側につく。河童が飛びあがる度にケマリは鞠を正確に当て続けた。 しゃぷん。 河童が脚を円のように漕ぎながら水に上半身を浮かせた。赤黒く歪んだ顔には鞠の跡がついていた。黄色い嘴が荒く息を吐いている。 「ヒヒヒッ。ケーッケーッコ。シュー」 水に潜った河童が速度をあげて泳ぎはじめる。ケマリは目を眇めて河童の行き先を見さだめた。てぃんてぃんと鞠をつく速度がはやくなる。 差しだした手の上で鞠が光を放ちながら回りはじめた。 河童が縁側目がけて飛んできた。 ばしぃと音をたてて結界が立ちあがる。これが出るということは、この河童が邪な考えをもっているということだ。 「家守として、倒さねばならん」 ふわりと風が巻いて、ケマリの髪を揺らす。ばんと音をたてて河童が結界に手を叩きつけた。結界にヒビがはいる。 「ほう。破るか」 「ヒーッヒヒヒッケケケ」 カカカカと音を立てながら嘴が結界をつつく。ヒビが大きくなってパラパラと崩れはじめた。 ケマリはにんまりと笑った。 手の中の鞠は今や爆発しそうに光っている。 結界が破れるのと、河童が飛びこんでくるのどちらが早かったのか。 「ひっひと目ぼれしただ!結婚してけろおおおおおお」 狙いすました鞠をケマリは投げつけた。 「はあ?」 ぎゅるんと音をたてて河童は吹っ飛ばされた。 「絶対あきらめねええええええー」 回転しながら河童は遠ざかって見えなくなった。鏡のような水にボロボロになった鞠が落ちてぽちゃんと音をたてた。 茅葺の屋根から滴る水滴がいくつも輪を描いている。 「はあ?」 ばしゃんと水の音がして、ひとの気配がする。 「おとさん!なんか浮いでる」 「わらしさまの鞠だ。ボロボロになってだ」 「あんやーなにしたべな」 「竿もおちてるじゃ、わらしさまの仕業だべか」 「おめ、仕業どが言うな。家守さまが出てったらなんじょする」 「んだんだ、失礼があったらなんね」 「わらしさま、もしわげねー」 水の中で子供が両手を握ってくねくねとする。家主がふざけるなと、その頭をこづいた。 縁側に佇むけまりに誰も気がつかない。この家の一番ちいさい子供も先日けまりが見えなくなった。そうやってにんげんは育って、やがてけまりが見えなくなる。 がやがやと喋り続けるにんげんを尻目に、けまりは廊下を進み、手も触れずに座敷の中に入った。 たくさんの貢物の真ん中のふかふかの座布団に座ると膝を抱える。 桃色の河童は、あれは子供なのだろうか、妖怪といえど大人になれば、やはり見えなくなるのだろうか。 ケマリは膝に頭をつけるとそっと目を閉じた。
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