Less LIKE, More LOVE.

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"Less LIKE, More LOVE." どこかで見たペンキ塗りの英語を思い返す。いまの僕の感情は、愛なのだろうか。好きなのだろうか。 どんな仕草も愛おしい。 使われている漢字を鑑みると、「愛」とも取れる。 何をしているのか気になる。 つまりアンコントローラブルな環境下にいることを許せない。支配欲が優っているがゆえに「好き」とも取れる。 自分はどうしてこう厄介な人間なのだと嘆く。一緒にいたいのだ、どんな時だって。一緒にいないときにそう思う。 でも、1人の時間だって欲しい。誰にも気を遣わず、自宅で静かに向き合っている時間を求めている。一緒にいる時にそう思う。 異性と飲みに行ってもよいが、誰と飲みに行っているのかは教えてもらいたい。帰ってきたタイミングで連絡は欲しい。「行ってもよい」っておかしいよな。相手は僕のものではない、相手のものだ。 頭では全部わかっている。たくさんの本を読んだ、たくさんの記事を読んだ、たくさんの動画を見た、たくさんの人の話を聞いた。 だからこそ、きっとこれは「好き」なんだと、自分でも気がついている。でも「好き」と「愛」の区別を自分の中でしてしまったからこそ、「好き」と「愛」の違いを理解してしまったからこそ、誰かに対峙するときは「愛」でありたいと感じてしまう。 なんでこんなにカッコ悪いんだろう。なんでこんなに愛おしく思うのに、この焦がれが伝わり切らないんだろう。なんでこんなに自分以外の誰かについて思考を巡らせているんだろう。なんでこんなに好きだって思うのに、これは愛じゃないんだろう。 「好き」が減って、 「愛」が増えたらいいのに。 そうすれば、もっともっと楽になるのに。 何もかも、こんなに辛く重い感情にならないんだろうに。 もしかして。そうか。 僕がこうして「ここ」に書き殴っているのと同様に、きっと君はどこかの壁にペンキで書き殴ったんだね。 制限があったから小さく描かれた絵と、 その上に書き添えられた好意へのヘイトと愛への切望を。
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