第六章 忘れられた時間

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第六章 忘れられた時間

今までずっと忘れていた。月に飛び立つ列車を見てようやく頭の片隅にあった記憶の‘‘切れ端‘‘が結びついた。 自分は月から来た。 恐らく月から地球までの列車に乗って、スカイマークステーションに降り立ったのだろう。一体何で忘れていたのか。自分が月から来たということがわかっても、なぜ地球に来たのか、月ではどんな暮らしをしていたのかは思い出せなかった。 固まってしまった体を動かすと、自分が大きな涙を流しているのに気がついた。なにがそんなに切ないのか。俺には本当によくわからかった。 「坊や、こっちへおいで」 まるで自分の心から聞こえてくるような女の人の声が聞えた。 目がぼやけてきたため、目を擦ってみると、白い大きなドレスを着た女の人が崖のフェンスの前に立っているのが目に入ってきた。 「坊や、この星は君のいるべき場所ではない」 女の人は髪をめくりあげ、俺と目を合わせた。 俺は何も言えずにただ立つことしかできなかった。 この女の人、どこかで見たような・・・ そんなことを思いながらただ立っていると、女の人はまた口を開いた。 「何をそう突っ立っているんだ、坊や。君の帰る所はもうわかったではないか」 そう言われても、ただ何もわからなかった。月に何があるのか。何故今の素晴らしい生活を捨てなければいけないのか。 「月には、誰がいるんですか」 本当に馬鹿げた質問だとは思う。もっと聞くべき事があったと思う。でも咄嗟に出た言葉がそれだった。 「君は・・誰だ」 女の人は鋭く俺を睨み、早口で言った。 「雅人です」 俺はなるべく大きい声で言った。 女の人は一度空を見上げ、「記憶を失ったのか?」と小声で訊き返した。 「はい」 俺はうなづいた。 「クララが待っている」 クララ・・・!? 女の人が発した一人の少女の名前は雅人の消えた記憶を呼び起こした。 思い出すだけで涙が出るような・・・ 月・去年の冬 「雅人さん!もう起きないと、お食事に遅れますよ」 お稲荷様と呼ばれる狐は毎朝雅人を起こしてくれた。 雅人は慌てて飛び起き、着替えを済ませた。 「雅人さん!名刺入れを忘れています!」 部屋を飛び出そうとした雅人に狐は名刺入れを渡した。 ぺコっとお辞儀をし、狐は姿を消した。 名刺には表裏監察長官と書かれていた。 「クルルさん、遅れて申し訳ございません」 華やかな雰囲気が漂う高級レストランに駆け込んだ雅人は深く頭を下げた。 「雅人、いいのよ。楽にしてちょうだい」 クルルは笑みを浮かべ、雅人の肩を叩いた。 雅人はもう一度「ごめんなさい」と言いクルルの向かい側に座った。 「久しぶりね、雅人さんお仕事は忙しいの?」 上品な言い方で雅人に尋ねた。実にクルルと会ったのは一カ月ぶりだ。クルルは幼い体つきだが王家育ちで、23歳にして‘‘表側‘‘の月の女王だ。 「まあ。平和のためと思うと疲れがふっ飛びます」 頭をかきながら照れくさそうに言った。 最初の食事が届くと二人は会話を止めた。貴族のルールというかなんというか。この時間だけは息がしずらかった。 「雅人さん?」 最初の料理のホタテのスープを飲み終わったクルルが笑顔で雅人に話しかけた。 雅人はついついクルルの笑顔に見とれてしまい、一瞬咳をした。 「今日一緒にハイキングでもいかがですか?」 背筋を伸ばしシャッキとしたクルルは雅人に訊いた。 雅人は「もちろん」と答え、コース料理を食べつくした。 「雅人さん、私どうも心配なの」 レストランを出て、馬車の中でクルルは下を向きながら言った。 「みんなは私に心配かけないように隠しているのだけど」 クルルは自信がなさそうに言った。 「裏の月との関係は大丈夫なの?」 クルルは雅人の目を見て不安そうに訊いた。 月は地球に表しか見せない。しかしその裏にはまた別の世界、別の国が広がっていた。 「それは難しいものです。裏の月との関係はハッキリ言ってよろしくない」 雅人はそうキッパリ言い切った。 「まさか戦争にでも?」 クルルは小さく恐ろしい声で呟いた。 「何人か‘‘ネズミ‘‘を送っていますが、なかなか結果はでてません。しかし戦争だけは絶対に避けなくてはいけません」 雅人は監察官として現状を伝えた。 クルルは難しい顔をし、窓から外の街並みを見た。 その後二人は小さな山小屋で馬車を降りた。 普段嫌なほどいるボディーガードや秘書をつけることなく、女王と監察官としてではなく。クルルと雅人しての時間を過ごしていた。 「夕日が綺麗ですね」 雅人はわざとらしく上品な言葉を使ってみた。 山の上から見る夕日は本当に燃えるようだった。 「そうね、雅人さん」 なんとも言えない顔をしてクルルも夕日のほうに目を向けた。 「地球も綺麗」 嬉しそうにクルルは地球を指さした。 風になびくクルルの髪に見とれていると、クルルは「エッチね」と取り乱した。 「雅人さんといるとなんだか懐かしい気分になる」 山道を歩きながらクルルはボソっと言った。 「なんかまるで自分といるみたい」 雅人は顔を赤くして、首をかきむしった。 「ソウルメイトですもの、君はかぐや姫で俺は狼人間」 雅人はクルルの目を見て言った。 「どちらも地球と月をとっても愛していた」 クルルも雅人の目を見つめた。
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