第九章 雅人、月へ

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第九章 雅人、月へ

あれから何週間か過ぎてもコズモスの関係はほとんど変わらなかった。 相変わらずどこかへ出かける時はいつも三人だった。 ある日次のライブの打ち合わせに行った。次のライブ会場は海辺の広場らしく、コズモス史上最も規模が大きいものになる。今日は企画から演出までのスケジュールを話し合うらしい。 ライブの企画は実咲の古い友人の広田康介という人がいつも担当をしている。 俺たちは彼を‘‘こうさん‘‘と呼ぶ。 「皆さん、お待たせしてしまってすいません」 いつも会議は雑居ビルの三階にある事務所の一室で行う。 三人はソファーに腰を掛け、こうさんと向かい合う。 「実咲も、今日はありがとうございます」 こうさんは俺達には大抵カジュアルな話し方をするが、たまに敬語を挟む。 俺を含めコズモスは彼の演出を気に入っていた。 彼の演出を一言で表せば‘‘独特‘‘だった。 聴いた歌詞をどう可視化するかはその人の感性による。 「前ならえの社会」 と聴いて、それは前例主義な社会、いつでも常識や周りの行動に合わせる社会と多くの人が想像するが、それを歌に合わせ実際に目に写るものにするのは非常に難しい。 「演出の方は後程検討します。さて、次は全体的なライブの構想ですね、今回は十曲ですね。どれも素晴らしい曲だと思うよ」 今回ライブで歌う曲はどれも過去にシングルやアルバムで出した曲だった。 「うん、曲はこの順番で行きましょう。この‘‘なつぞらの奇跡‘‘が最後でいいですかね」 ‘‘なつぞらの奇跡‘‘はドラムが強く出る非常に盛り上がる曲だ。 二人の男女がまるで駆け落ちのように鎖がついた社会から逃げるというストーリーの歌詞で、最後のクライマックスにふさわしい曲だとこうさんは言った。 「うん、いいと思う」 実咲はライブの企画書を机に置き、こうさんにそう言った。 優菜もそれに同意をし、今日のところは解散となった。 「今度のライブも面白くなりそうだね」 帰り道、俺と優菜の二人っきりになった。 「うん、悔いは残らないよ」 俺は思わず意味深なことを言ってしまった。最近もし今すぐにでも月に帰るとしたら・・・という想像をする癖がついてしまい、思わず口にしてしまったのだ。 「悔い・・・?どういうこと?まさか、どこか行っちゃうの?」 少し怖い顔で優菜を俺を問い詰めた。俺も口を滑らせたなと反省した。 「俺はこの三人でいたいと思ってるよ」 俺がそう言うと優菜は微笑んだ。 ある満月の夜、実咲に公園へ呼び出された。 公園のベンチに座り、二人で話したいことがあるらしい。 「どうしたの、?」 心当たりというか、いきなりすぎて困惑した声で言った。 あえて見当をつけるなら優菜のことかもしれない。 「今日は満月だけど体調は大丈夫なの?」 実咲は一度深い息を吐いてから言った。何か言いたいことを我慢しているようだった。 「この光を見ていると、この前言ったあの女性のことを思い出す」 「心がチクチクする」 俺はまだ月光が苦手だった。どうしてもクルルの事を思い出してしまう。 「そっか。それは月に行きたいってことなのか?」 こういう満月の辛い夜に実咲のキラキラした優しい目を見ていると本当に安心できた。 「うん、月の事が知りたい」 俺は自分の心に従って本当の事を話した。息を少し吸うと公園の木と実咲の香水の匂いがした。 「実は優菜と話し合ってね、月に行く列車のチケットを買ったんだ」 実咲がそう言い終わると、俺は何も言えなくなっていた。 月に行く列車のチケットは数百万円ほどし、主に役人しか利用できなかった。 そんな貴重なチケットを優菜と話し合って買ってくれた。 実咲の香水が鼻に入るのと同時に俺は実咲に泣き崩れてしまった。 あまりの勢いで実咲の真上ににある電灯は揺れ、光に集まったカナブンはビックリしたのか逃げてしまった。 「ありがとう、本当にありがとう」 実咲は小さく微笑んで、「いいんだよ」と優しく言った。気づいたら俺はまた狼になっていた。 出発日は8月23日ーライブの二日後だった。 その日はなかなか寝つけなかった。 あと20日後に月へ行ける。 それだけじゃなく、実咲と優菜への感謝と愛は膨れ上がり、寝るなんてことはできなかった。 こんな寝れない夜は嫌いじゃない。頭に過る色々な思いをただ、ただありのままに受け入れた。 次の日、三人はハイキングに出かけた。途中で寄った蕎麦屋で俺はほんの小さなお礼ということで生そばを二人に奢った。 「月で生まれたってことはさ、雅人は神様かなんかなの?」 実咲はそばをすすりながら、隣に座っている俺に訊いた。向かい側に座っている優菜も雅人を見て不思議そうな顔をした。 「うん、どうなのかな。月には悲しみも苦しみもない、さらに不老不死の世界だけど・・・‘‘死‘‘って呼ばれる生きることを大切にできる魔法がかけられている人間こそが神様なんじゃない?」 雅人は眉間にしわを寄せて言った。自分が仮に神様だとしても、地球で生きる人たちは‘‘神様‘‘以上に輝いているのだ。 「じゃあ私たちが月に行ったらどうなるの?」 優菜は疑問をぶつけた。 「生きるのを忘れちゃう、死がない限り生きることなんて無理なんだよ」 終わりがあるからこそ経過が輝く。 雅人はそう思っていた。
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