ウィハガルの一夜

1/1
前へ
/1ページ
次へ
ジェルウン半島を旅していた時の話だ。 ジェルウン半島とはイーガン国の南部に位置し、その半島の先端近くの湾に、西海の先にある大陸と半島に沿って東海に向かう航路の中継地があった。 だが、わたしがその地を訪れたときには、既にその湾は港として機能しておらず、人の気一つない廃墟であった。 やはり飛行艇の登場は、こうした街を衰退させてしまったか。せめて漁師町としてこの地にあるかもしれないと、淡い期待を抱いてここまで来たが、どうやら空振りだったようだ。 仕方ない、今宵は南にそびえる灯台に宿を求め、定期空路便の到着を待つことにしよう。 わたしは相棒の青毛のロバの背を軽く叩き、もうしばらくの辛抱だと言い聞かせ、再び歩き出した。 天翔る太陽は既に水平線と交わり、灯台からは大海に向かって青白い灯りを放ち出していた。 そうして、陽光が水平線と空にわずかに残る頃、目指していた灯台に辿り着いた。 「おや、客人とは珍しい」 初老の灯台守は、わたしの姿を見るなり、その内に招き入れてくれた。 灯台の内部は思ったより大きく、暖炉兼調理台の前に木のテーブルがあり、左手奥の方から山羊の鳴き声がした。 「北から来られたということは、ウィハガルの街を通ってきたのだね?」 「ジェルウン半島の港の名は、ウィハガルという名前だったのですね」 わたしは手帳を取り出し、その名を綴った。 「わたしはイーガン国内で語られている昔話の数々を集めている者です」 吟遊詩人カウラの使徒である腕輪を掲げ見せ、定期空路便の到着までの宿を請うた。 「吟遊詩人とはまた珍しい。定期空路便は、満月から二日後の正午だ。たいした物はないが一緒に食事でもどうだい?」 「ありがたくいただきます」 わたしはうなずき、鹿肉の燻製とドライフルーツを提供する。 「おお、ひさしぶりの鹿肉だ。地下にワインがあったから、それを取ってこよう」 灯台守は和やかな顔をし、地下にワインを取りにおりていく。 わたしは灯台守特性の魚のスープを温め、チャパティを手早く焼き、鹿肉の燻製を切り分け、ドライフルーツを皿に開けた。 「昨日作ったばかりの山羊のチーズだ。ワインのお伴にしよう」 たいした物はないと言いつつ、長旅のわたしにとって、そして灯台守にとっても豪勢な食事になった。 「カウラの導きに」 「エファルトの加護に」 吟遊詩人カウラと、西海神エファルトにお互い祈りを捧げ、食事をとりながら、わたしは請われるまま、イーガン国の近況を語り、一つ二つ流行の物語を爪弾く。 灯台守からジェルウン半島に伝わる昔話の幾つかを聞き出し、わたしは興味深い話を聞いた。 「ウィハガルの街が蘇る?」 「あぁ、満月の夜にな」 その満月はちょうど明日。 「……行くなといっても、客人のことだ、ウィハガルを訪ねるだろう」 灯台守はわたしの本心を見抜き、 「西海神エファルトの護符を持って行くといい」 胸にかけていたそれを外し、わたしに手渡してくれた。 「ウィハガルの境界は、そなたの身長とほぼ同じ高さで、一面に貝殻模様が彫られた石柱だ」 その石柱なら見覚えがある。古い航路と航路の中継地へと続く陸路の道標。その石柱を目印に、わたしはこのイーガン国内を旅しているのだから。 「吟遊詩人で、既にウィハガルを通り抜けて来たとはいえ、ウィハガルの満月の夜は危険だ」 吟遊詩人なら知っている話。 黄泉をはじめ、現世とは異なる世界に行けるのは夜の間のみ。そしてその入口は、人の住まいの境界となる碑や橋だったり、あるいは洞窟だったり地下道だったり、時にはありふれた扉だったりする。 そしてそういうところには、数多な禁忌がある。 そこで飲食してはいけない。 何か目的があってその地に赴いたなら、その目的を達成した後、帰還時に後ろを振り返ったらいけない。 境界の外に出るまで、時には境界の外に出てからも夜明けが訪れるまで、振り返ってはいけない。 そのうえ、異界の住人が、あの手この手でその禁忌を犯させようとそそのかしてくるのだ。 「ウィハガルに行くとなると、地図が必要だな。それから“あれ”を渡さねばならないな」 灯台守は待ちあがり、洗い場の手桶に食べ終わった皿をつけてくれるよう、頼まれ、わたしはテーブルの上を空にした。 灯台守は上の階から古い地図とボトルシップを手に部屋へと戻り、その地図をテーブルに広げた。 「ウィハガルの地図だ。ここが波止場、ここが役場、ここが西海神の神殿……」 わたしはその地図を頭にたたみ込む。 「街に着いたら、月が出るまでに波止場まで行き、このボトルシップを割り、中の帆船を海に浮かべてほしい」 「何故?」 「……今は答えられない。ただ、わしの言うとおりにしてくれ。そうすれば、蘇りしウィハガルから、客人の手で持つことが出来る何か一つ、持ち帰ることが出来よう」 そう言うと灯台守は、自分の寝室を自由に使って良いと言い残し、仕事場へと登っていった。 翌日の夕方、わたしは相棒のロバを灯台に残し、ウィハガルに向かうことにした。 昨日、灯台に辿り着いた時にはわからなかったが、この灯台からウィハガルの廃墟が一望出来でき、その境界とも云える石柱は、灯台から歩いてすぐそこにあった。 わたしは黄昏時まで灯台元で寛ぎ、水平線に太陽がすっかり隠れるのを見届けると、杖に魔法の灯りを灯し、わたしはウィハガルの境界の内に入った。 境界と言ってもしばらくは荒れた道が続く。後ろから相棒の不満げな鳴き声と、山羊の鳴き声が聞こえてくるが、廃墟が見える頃には、その声は聞こえなくなった。 灯台守の話はただの昔話だったのだろうか。行けども行けども廃墟が広がり、見せてもらった地図と廃墟の形状をたよりに、波止場を目指した。 そうして、陽光の名残と魔法の光が桟橋の名残を捕らえた。わたしは背嚢からボトルシップを取り出し、手頃な瓦礫で割り、中の帆船を取り出した。 帆船は掌いっぱいの大きさで、船首に乙女の像が据え付けられおり、高名な芸術家の作品ではないかと見受けたが、灯台守の頼み事に従い、それを海面に浮かべた。 帆船は難なく波間に漂い出した。 その様を見届け、わたしは街の中心に向かって歩き出した。 瓦礫を踏みしめる音を聞きながら、灯台へ戻ろうかと思い始めた頃、東の山並みから満月がその顔を表した。 それにしても、なんてやけに赤い月なんだろう。しばし月を見上げ、これまでの旅路を振り返る。 イーガン国王直々の命を受け、古い陸路を歩いてきたが、王が望むような昔話には出会えなかった。 ほうっと息を吐き出し、目線を元に戻す。だがそこには街があった。 わたしは目を見開き、その大通りを歩く。 建物の軒先に色とりどりのガラスのランタンが並び、大きく開け放たれた店から楽しげな音楽が聞こえ、美女達が通りを歩く船乗りや商人に甘い声をかけ…… どうやら、満月の月の出が街の蘇りの条件であったのだ。 わたしは蘇りしウィハガルにいる。気を引き締めてゆかねばならない。 フードを目深にかぶり、カウラに旅の無事を祈る言葉を呟き、街中心部に向かった。 街の大通りには、大小様々な金細工を並べる店に、色とりどりの布地を並べる店に、西海の向こうから運ばれてきた香料、東海の大陸の珍しい生き物と、目移りさせる商品の数々が店先に溢れ、そのどの店にも、イーガン国の古語や西海の先の大陸の言葉に、わたしも知らない国の言葉で商品の売買が行われていた。 さらに神殿の方向に進むと、切り分けた肉の塊から溢れる肉汁、油で香ばしく揚げた魚、湯気が溢れる汁物、小麦で練った皮に具材を詰め蒸した食べ物、みずみずしい果汁とワインで割った飲み物と、船乗りや商人、このウィハガルの住人らの食を支える市場が広がっていた。 出かける前に腹にいれてきたが、美味そうな匂いで腹の虫が騒いで仕方がない。 もし、ここが既に廃墟だと知っていなければ、市場の品々を求め、食し、たやすく禁忌を破っていたに違いない。 そのような禁忌を犯す前に、ここから立ち去りたいが、この街の有り様をこの眼でたくさん見聞きし、書き記さねばならない。それも、住人らにこの街が廃墟だと知られないように。 わたしは、人が集まる場所、それからウィハガルの豪商らの屋敷など、このウィハガルに関する話を求めて、街中を歩く。 それにしてもどの店に並ぶ品々は、イーガン国の王都の商店街に市場で並べられている物より、量も質も上だ。 そして人もまた多い。色鮮やかな衣裳を身にまとい、一夜の恋を囁く女に腕をとられそうになったり、船乗りだろうか、大股で歩く男達に喧嘩をふっかけられようとするが、身につけた護符のおかげなのか、わたしの身体にその手が触れようとすると、身体が自然と動き、その手が空を切る。 わたしは吟遊詩人らしく古い物語を爪弾き、慎重に禁忌を回避しながら、この街に関する情報を集める。 やがて、この街の歴史についての書の在処と、閲覧の許可を得ることが出来た。 ウィハガルの歴史書は役場にあった。回覧の許可を得た商人の名を出すと、その書を書庫から出してもらえるという。 しかし、その書に辿り着くまでに、月はすっかり中天に達している。急いで書を読み解かねばならない。 通り沿いの窓から月の位置を確認し、夜明けまでの刻を確かめた。 やがてわたしの前に書が山積みにされた。わたしは書を運んできた役人に礼を述べ、山積みの書を古い順に並べる。 やはり、王都図書館に存在する書が何冊かある。これらを机の隅に置いていく。その本は通りすがった役人に元の場所に戻していいと伝え、わたしは本の選別を続ける。 やがて、わたしの目の前に西海神の聖書と同じぐらいの厚さのある本が五冊残った。 わたしは、その本から王都図書館にも保管されていないウィハガルに関する記録を探す。 既に知っている話が大半だったが、やはり王都図書館に収集されていない記録がいくつかある。わたしはそれを次々と手帳に書き付けていく。 そうして最後の一冊を手にしようとしたとき、突如銅鑼の音が鳴り響き、役所の人間達がそわそわし出した。 「いったい、どうしたのだい?」 「波止場にエファルトの乙女が現れたのです。ああ、家に帰って荷物をまとめ、急いで波止場に行かねば……」 エファルトの乙女? 初めて耳にする言葉だ。その言葉を問おうとするが、役人はおろか、役所に来ていた者が、皆慌ててその建物から出て行く。 わたしに書を運んできた役人も、仕事を終えたいと目で語っていた。 波止場まで戻って、エファルトの乙女が何か確かめてみたい。けれど、カウラの腕輪が、わたしに異界の禁忌を思い出させた。 「役人殿、この書をここから持ち出してもよいであろうか?」 「カウラの使徒であるあなた様なら、この書を大切にしてくださるでしよう。どうぞお持ちになってください」 再び銅鑼が鳴った。銅鑼の音はどうやら波止場から聞こえて来るようだ。窓の外の大通りには、いつの間にかありったけの荷を持った人々が波止場に向かって歩いていた。 「さあ、銅鑼が鳴り止むまでに波止場へ」 役人が急かす。だがわたしが行く先は逆だ。 「我はカウラの導きの道を歩もう」 わたしはカウラの教えの一つを口にし、さらに続ける。 「そなた達に、エファルトの加護があらんことを」 どうやら、ウィハガルの夜が閉じようとしている。わたしは人混みの流れに逆らってでも、街の外に出なければならない。古(いにしえ)と現在(いま)の狭間をゆき、永遠への未来へ伝承を爪弾くカウラの使徒として。 わたしは書を背嚢に入れ、杖を手に人の流れに逆らって街の外の境界を目指す。 だが、護符の力があるとはいえ、人の流れに逆らって歩くことは困難。わたしは、人の流れに押し戻され、杖を失ったうえ、役所まで押し戻され、さらに船乗り達が集う酒場まで押し戻されてしまった。 ここまで来ると、波止場まであと僅か。エファルトの乙女やらを確かめられると思ったが、おそらくそれは禁忌の禁忌。どうにかして、この人の流れから脱せねばならないのだが、思うように歩けない。 汗が留めなく流れ、背に負った楽器の弦が哀しげな音をたてる。 「カウラの使徒殿、カウラの使徒殿!」 人混みの脇で呼びかけるその声。 声の主は、無くしたわたしの杖を手に持ち、掲げながら、人混みの端でわたしを呼んでいた。 「役人殿!」 人混みの流れに押されながら、その声の方に向かって歩く。すると、人混みに逆らって歩くよりも、人混みの端の方へ端の方へと移動するのが楽なことに気付いた。 これはカウラの導きであろうか。それとも役人の呼びかけのおかげでだろうか。わたしは人混みの流れから、ようやく脱することが出来た。 だが、街の外へ出るのは困難なのは変わらない。 わたしはこのまま、夜明けを迎えてしまうのだろうか。 「カウラの使徒であるあなた様は、エファルトの乙女の元に行かせるわけには行きません。どうかこちらに」 役人は建物と建物の僅かな隙間へとわたしを案内し、いつの間にか神殿の裏手へと案内された。 そこには、貝殻の彫刻が施された巨大な石柱。このような石柱、わたしがこの街にいる間、見たであろうか? ……いやない。 「カウラの使徒殿、この石柱は神殿の中庭に据えられたもので、灯台へと続く地下道の一つです。どうかこの地下道を使ってください」 灯台へと続く地下道? そんな話は何一つ聞いていないし、読んでもいない。だが、役人の双眼は虹色に染まっている。 虹色の双眼。それはカウラの依り代となった者の証。歴史的な出来事が起こるとき、あるいはその承認が現れたとき、カウラの依り代が現れるという。 そして今、わたしができることは、案内された地下道へ歩を進め、カウラの依り代から役人を解放させることのみ。 「カウラの導きに感謝する」 指し示された地下道の入口は狭く、背に負った楽器がどうしても邪魔になる。楽器を降ろし、持ち替えようとして気付く。既に修理不能まで壊れていた。 わたしの身の代わりになってくれたのであろう。壊れた楽器を石柱に立てかけ、弔いと感謝の歌を捧げ、わたしは返してもらった杖に魔法の灯りを灯し、残った荷を確かめる。手帳に筆記用具に手に入れた一冊の書。持ち帰るべき物はすべて揃っている。 わたしは地下道へと降りてゆく。 役人は、どうやらカウラの依り代から解放されたようだ。走り去る足音がだんだん小さくなる。 さて、わたしも帰ろう。 その地下道は水道も兼ねていたのだろう。細い溝に水が流れ、魔法の光を照らし返す。 ところどころ地上と繋がっているところがあるのだろうか。人々が謳うエファルトの聖歌に、子どもが愚図る声と甲高い声が、わたしの足音と混じり合う。 どれだけ歩いたかわからない。だが、鳴り響く銅鑼の音が、だんだん小さくなっていく。 そうしてどのくらい歩いたであろう。足元を流れる水の溝が、いつの間にかなくなって、これ以上進めないところまできてしまった。 依り代になった役人の話だと、この地下道は灯台のそばに繋がっていると語っていた。出口はどこだ。 右、左、異常なし。 残るは…… 斜め前方に細い隙間。 わたしは灯りのついた杖でその漏れ出す光に向かって突く。 パラパラと土の粒が落ち、その隙間からロバの鳴き声がした。 このロバの鳴き声は、わたしの相棒の鳴き声だ。灯台守が飼っている山羊の鳴き声もする。 わたしは無我夢中でその部分を突く。やがて薄いレンガが剥がれ落ち、足元に落ちてきた。 隠された地下道の出口が砕けた。落ちてきた土が、わたしを外へ出る足かかがりになる。小さな隙間だったそれは、人の頭ほどの空が見える。まもなく夜明けを告げる空の色だ。 わたしは全身を使って、その隙間に体当たりをする。 一度、二度、三度。 盛大に土を撒き散らしながら、その勢いのまま、夜明け前の空の元に転がり出た。 「外だ……」 青々した草と、馴染み深い相棒の鼻息と鳴き声がすぐそこ。 わたしを呼んでくれたロバを労おうとつないだ柱をみると、それは小さいながらも貝殻の彫り物が施された石柱だった。 「無事に戻ったか」 灯台守が湯気が立つコップを手に、わたしの元に歩み寄ってきた。 「飲まず食わずで疲れただろう。温めた山羊の乳に蜂蜜を溶かした物だ」 わたしは身体についた土をはらい、ありがたくそれを受け取った。 空は更に白さを帯びてくる。 「客人殿、こちらに来て見るがよい」 そうしてわたしは見た。瓦礫と化したその街の水平線近くに、帆船が一つ浮かんでいるのを…… 「エファルトの乙女が、ウィハガルの亡霊達を乗せてくれたのだ」 「エファルトの乙女?」 「わしがそなたに託した、ボトルシップの中の帆船の名前だ」 陽光が空を照らす。その陽光から逃れるかのように、帆船は水平線と一体化していく。 「ようやく、わしの贖罪が果たされた」 贖罪? 灯台守にたずねようとして、わたしは強烈な眠気に襲われた。 「これこれロバよ。客人殿は疲れが出ただけだ。ゆっくり眠…、腹いっぱい……、また……」 ことり。 わたしは眠りの底に落ちた。 それからわたしは丸一日眠りに眠り、体調が戻ったのは、この灯台に定期空路便が到着する日だった。 わたしは飛行艇が来るまで、灯台守に問われるがまま、ウィハガルの一夜を語った。 そうして灯台守は、わたしが知りたいと問うたエファルトの乙女、灯台守の贖罪について淡々と語り出した。 ウィハガル港として栄えていた頃、街の西海神エファルトの神殿には、数多の参拝客が訪れ、また商人達の商談の場として、夜を知らない神殿とも言われていた。 そんな神殿に、灯台守は産まれてすぐ捨てられ、ちょうど赤子を失ったばかりの給仕の女に引き取られ、すくすくと成長した。 ところが10才になるころから、その双眼が虹色に染まることが度々おこった。 「虹色の双眼、それは吟遊詩人カウラの依り代ですね」 わたしは地下道に導いてくれた役人を思い出しながら、相づちを打った。 「ああ、その頃はまだ、カウラの双眼は世間一般に知られていなかった」 虹色の双眼を気味悪がられ、灯台守の育て親は神殿の働き手として雇ってくれるよう頼み、事実上家を追い出されたという。 だが、虹色の双眼のことを知る一人の商人が、虹色の双眼者の言葉のそれは予言だと教えた。 「それが、エファルトの乙女が港に現れるという言葉だった」 そしてこの港町を支配地にと密命を受けていた一人の商人が、その予言を悪用することを思いつき、それを実行したのだ。 「エファルトの巫女姿にさせられた娘らは、船が港に着くなり、会う者、会う者に酒を振る舞い、民のほとんどの者はエファルト神殿からの振る舞いだと思い込み、その酒を飲み交わした」 だが、その酒には毒が仕込まれており、酒を飲んだ人々、それから巫女姿の娘達までもが次々と死に、港は騒然となった。 「カウラの依り代の言葉を意図的に歪めるとは……」 「エファルトの乙女とは潮目か変わる。を意味する言葉で、カウラの依り代と同じような意味を持つのだよ」 ウィハガルは働き手の担い手を多く失い、また疑心暗鬼が街全体を覆い尽くし、ある程度の財産を持つ者は早々に街から去っていった。 「そのうえ、満月の夜になると、毒酒を飲まされた者が蘇った。毒酒を飲まされる前日、そう満月の日の、街が一番栄えた頃の幻と共に……」 ちなみに毒酒を振る舞うよう指示した商人は、後々己の女房に殺された。なんで毒酒を振る舞わせた娘の中に、その商人の娘がいたらしい」 それ以上の真相は闇に消されたと、灯台守は言葉を続けた。 「そのような事件が起こらなくとも、ウィハガルの港町はその役目を終える時が迫っていた。そう飛行艇だ」 その事件の半年後、飛行艇の西海横断に成功し、更に半年もすると、海よりも空の航路へと移っていたという。 「わしはウィハガルの街に育てられた恩もあって、ウィハガルの亡霊をエファルトの海に還す為だけに、今日まで生かされてきた」 わたしは灯台守にかける言葉を失い、その代わりにその重い告白を手帳に書き記した。 刻は正午を迎えようとしている。空に現れた黒い点と、飛行艇独特の羽根を回す音が、この灯台に向かってくる。 「名残惜しいが別れの時が来た。飛行艇の中で食すがいい」 灯台守はそう言って、ウィハガルの地図で包んだ昼食を渡してくれた。 「これはウィハガルの……」 「わしにはもう不必要な物だ。カウラの語りの足しにしてくれ。客人殿に永遠のカウラの導きがあらんことを」 「……あなたにエファルトの永遠の安息が訪れますように」 わたしは灯台守の虹色の双眼を見つめ、心に刻み、相棒の青毛のロバと共に、ジェルウン半島の旅路から王都へと帰還した。 あのウィハガルの一夜から、どれだけの年月が過ぎただろうか。 もう一度ウィハガルへの旅をと願うが、あれからわたしは多忙の極みに陥り、未だそれが叶わないでいる。 だが、再調査として、かのウィハガルを訪れた使徒の報告によれば、ウィハガルに満月の夜に訪問しても、何事もおこらなかったと。 そして、あの灯台は朽ち崩れ落ち、野生化した山羊の一団が草を食むばかりで、その灯台を通る定期空路が先月廃されたという。 あのウィハガルの一夜は、時に幻ではなかったかと疑ってしまう。 けれども、灯台守に昼食の包みとして渡された古地図、それから返しそびれた護符に、ウィハガルから持ち帰った歴史書に書き付けた手帳。 それらが、あの夜の出来事は本物だったと証明してくれる。 お題:ショートショートnote 「告白水平線」から。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加