思い出せない

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思い出せない

 海は中学3年まで、夏休みになるとおじいちゃんのうちに行っていた。  その度にいつも貝を獲る岩場にお味噌汁用の貝を獲りに行った。  海はいつも岩の近くで白く波立って、淡い緑色から深い緑色まで様々な美しい様子を見せてくれる。  その岩場に行って、そうやって海を見ていると、何か胸がモヤモヤして、何か大切なことを忘れる気持ちになるのだが、思い出そうとしても何も思い出せない。  結局は貝を獲るという実際の問題を解決すべく、一生懸命に貝を探して、おばあちゃんにお味噌汁を作ってもらうために持って帰るのだった。  おばあちゃんも大分年を取って、最近、お母さんとお父さんは、心配だから同居するように話をしているのだが、おばあちゃんは『海の近くが良い。』と言って同居を断っている。  海も中学3年生からは受験の勉強があって、おじいちゃんのうちにいかなくなった。高校生になるとアルバイトに一生懸命になって、おじいちゃんのうちにいかなかった。  おばあちゃんは一人でずっと暮らしていたが、ある日、新聞配達の人がいつも新聞を取りに出ているおばあちゃんがいないことを気にして、おばあちゃんの様子を見に家に入った。田舎なので普段から鍵はかけていなかった。  新聞屋さんの話だと、おばあちゃんは寝床に寝たまま目をつむっていたという。  すぐに救急車と、いつものかかりつけのお医者さんの電話番号をおばあちゃんの枕元にはってある紙で調べて電話をしてくれた。  お医者さんは急いで来てくれたが、もうその時にはおばあちゃんは何時間も前に亡くなっていたことが解った。  眠ってすぐにいつも薬を飲んでいた心臓の発作で亡くなったようだ。でも、顔は穏やかで、本人も分からないうちに眠るように亡くなったはずだとお医者様は言ってくれた。  大学生になっていた海は、葬儀に出席するため、父と母と一緒におじいちゃんちに久しぶりに行った。  お葬式には沢山の地元の人が参列してくれた。大抵がおばあちゃんの顔なじみのお年寄りだった。  その中に、この辺では見慣れない風貌の、若い、海と同じような年ごろの人が焼香に来ていた。  色々と福祉でお世話になっていたので、役場の人だろうか。  スラリとした風貌で薄茶の髪、緑っぽく見える瞳、白い肌。  地元の人とは思えない。  海の胸の中で、あの岩場にいたときのようなモヤモヤが生まれた。  でも、思い出せない。そりゃそうだ。知らない人だもの。  父母もその若者をじっと見つめている。二人共なんとも言い難い顔をして見つめている。  焼香が終わり、若者が親族席を見て一礼をした。  その緑色の瞳をした美しい眼からは、涙が一筋流れていた。 【了】
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