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…それにしてもあんなに目立たないよう大人しく後ろに引っ込んで静かに何もかもをやり過ごしてたのに。やっぱり結局異分子として上から目をつけられてたのかと思うと、この19年間の努力は何だったんだ。と無力感が湧いてこないでもない。
高橋くんはフォークを手に取ってパスタを器用に巻き取りながら、さくさくと説明を続ける。
「そういうタイプは幼少時から常に疑念とか不満を持たせないよう、ある程度自由を与えて人との関わりを最低限に少なくさせて。周囲の人間にあまり影響を及ぼさせ過ぎないよう常に気を配らなきゃいけないんだって。だから、実はずっと要観察状態だったんだよ。俺があそこに行く前から君は」
…そうだったんだ…。
事実を何とか飲み込もうと黙ってその台詞を噛み締めてるわたしに、彼はふと柔らかな眼差しを向ける。
「でも大人たちから気を配られて育った甲斐あって、言うほど集落にめちゃくちゃな不満とか居心地の悪さは感じてはいなかったでしょ?最初に会ったとき、割と自慢げに胸張ってたよ純架。ここの外の荒れ果てたこの世の終わりみたいな場所と違って、ここは何でもある満ち足りた住みやすい土地で。ここに辿り着けたあなたはラッキーだったね、みたいなこと言われた気がする」
「忘れて。それは」
思わず天を仰ぐ。だって、集落の外が全く滅んでなんてなくて毒も放射線もない、物資も豊富で人が溢れる幸せで豊かな世界だって知らなかったんだもん。その時点での反応を今でも持ち出すのは『なし』でしょ。
わたしのその返しに、高橋くんは笑みを引っ込めてちょっと生真面目な表情を作る。
「いや、からかうとかじゃなくてさ。無意識に多少の居心地の悪さとか馴染めなさは感じてたとしても、ここの外に生きられる場所はないんだと考えたらまあ悪くない。くらいの感覚ではあったんでしょ?ストレスでぎりぎりに追い詰められてて、死んでもいいから海に飛び込んで逃げたい。とまでは考えたこともない。一生ここで暮らさなきゃいけないと腹を括ればやっていけないことはない、って感じだったよ。だったら遠藤さんたちの尽力はちゃんと実を結んでたんだな、って」
「え、もしかしてその言い方だと。過去にその系統の子を宥めるのに失敗して騒ぎになったことでもあんの?」
神崎さんが興味津々で話に割って入ってくる。それはわたしも知りたい。…ていうか。
「もちろん、自分が生まれる前のことまでは絶対に言い切れるわけじゃないけど。大人たちからもそういうトラブル聞いたことないよ。集落に馴染めない子が脱走未遂起こした過去の事件なんて、本当にあるの?うちの母なんてそんなの知ってたら。とてもじゃないけど黙ってられそうもない人だけど。…否定的な意味でかもだけど、あんたは絶対ああなるんじゃないよ。とかことあるごとに言い聞かせてきそう」
「はは、純子さんなら絶対そう言うね。集落じゃその名前はタブー、とかいうお約束は君のお母さんには通用しそうにないし」
そうなの?どんな人なの純架ちゃんのお母さん、と目をぐるっと回して問いかけてくる神崎さん。余計な方向に関心を誘ってしまった。
高橋くんの口振りからして興味を持つのは無理ない、って感じだったかも。だけどこの話きっかけに本筋じゃない方に話が逸れても何なのでわたしがうーん、と適当に濁していると。高橋くんがすかさずちゃんと流れを元に戻してくれる。
「今集落にいる大人たちの年代だともう、あの土地の常識に疑問を感じて外を見に出ようとした住民の話を見聞きしたことのある人はいないんじゃないかな。けど遠藤部長が言うには、大昔には稀にだけど外へ脱出を試みる人は時折出たらしいよ。だって、ほら。初期の住民は海は普通に泳げるものだって当然知ってたわけだからね」
「あ。…そうか」
わたしはぽかんとなって納得した。
「戦時中にあの土地に連れてこられて。まだ戦争は終結してない、戦局は好転してなくて外は相変わらず危険だってずっと言われて、外部の様子をまるで知らされずに情報を全部シャットアウトされ続けてたとしても。何年も経つうちに本当は日本は今どうなってるんだ?って疑問を持つ人絶対に出てくるよね。今の時代のわたしたちの比じゃないと思う」
何しろ、ほんの数年前までは普通にリアルタイムの日本で暮らしてて、空襲から身を避けたり食糧を分け与えてもらうために安全な場所に避難してきたに過ぎない人たちだったんだ。
いくら係累の少ない身寄りのない避難民を優先的に選抜したとは言っても、外にまるで知り合いや縁のない人は少なかっただろう。あの人はどうなっただろうとか、自分の出身地や元住んでた場所は無事かとか。静かになって生活が落ち着いて、食うに困らなくなってきた頃にはそれぞれ気になり始めるのが普通じゃないだろううか。
高橋くんも真剣な顔つきで重々しく頷く。
「いくら言葉でまだ終戦してない、外は危険だって言われても。実際に降伏後はぱたりと空襲が止んだはずだし、この辺は主戦場から遠く離れてるとはいえ。何かしらの変化の気配を感じる人たちが出てもおかしくないよね」
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