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次の日も早朝から浜辺に繰りだした。今日も快晴だ。惜しみなく降り注ぐ日光に反応して、ガラス瓶の中で生まれた気泡がきらきらと躍っている。
俺は砂の上に寝転ぶ。広大な青に身を委ねていると、自分の存在がその一部になってしまうかのような錯覚にとらわれる。
日の出から日没まで。太陽が許す限りの時間、俺はこうやってこいつに光を宿し続けていた。こんな生活を始めて、もう何日目になるだろうか。
早めに取った夏季休暇を費やした東奔西走が、徒労に終わった。意気消沈した俺がその旅の最後に選んだのが、幼少期を過ごした海辺の田舎町だった。中学生の時分以来、実に二十年ぶりの帰郷だった。
目的は神頼みだった。この町の高台に、子供の頃に遊び場にしていた小さな神社があった。その場所に祀られた神様に俺は縋ることにした。どうせなら自分のルーツに近い場所で願いたい気分だった。
参拝を終えた俺は、境内の片隅にある古ぼけた自販機に気がついた。それは珍しい瓶ラムネ専門の自販機で、サマーライトという名前の馴染みのない瓶ラムネが一面に並べられていた。
俺は気まぐれでその瓶ラムネを購入した。500円という謎に強気な価格設定だったが、息子の大輝への土産として奮発した。小学生にあがってすぐの夏休みだというのに、ずっと家の中で過ごしているアイツに、せめてもの夏の風情を届けてやろうと考えたのだ。
だが、そのラムネは一風変わった代物のようだった。
束の間の回想から舞い戻った俺は、瓶ラムネのラベルに表記された説明文を読み返してみた。
〈サマーライトについて〉
・夏の光を十分にあたえてからお飲みになることでほうじゅんな夏のたいきを味わえます
・夏の光がみちる前にかいせんするとサマーライトとくゆうの味わいは楽しめません
・すえながく続く後味が特ちょうです
・消ひきげんは夏の終わりです
初めは子供向けのジョークか何かだと思った。おみくじ付きのソーダとかドラキュラになれるガムとか、遠い昔に夢中になった覚えがある。
物は試しにと、俺はサマーライトを日の光に当ててみた。すると、奇妙な現象が起こった。無色透明なガラス瓶の世界に、きらきらと炭酸が生まれ始めたのだ。
瓶ラムネは、栓の役目を果たすガラス玉を落とすことで、充填された炭酸が弾けだす。密封された状態で、こんな風に無数の気泡が生まれることはないはずだ。
サマーライトが日光だけに反応していることは、間違いないようだった。日陰に移動すると発泡は消え、照明や懐中電灯といった人工的な光にもサマーライトは無反応だった。
俺は夢中でガラス瓶の世界を眺め続けた。その様子は掛け値なしに綺麗だった。蠱惑的だと言ってもよかった。いつからか俺は、こういう現実離れした何かを求めてすらいたのかもしれない。
飲んだ者は夏を味わえる――その謳い文句に、この夏を賭けることにしたのだ。
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