黒づくめの女

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黒づくめの女

 彼女は、真っ昼間の住宅街にいた。  赤いまなじりに赤い口紅。その横顔は中々、美しく。  五百之木花王(イオノキカオウ)は、つかの間、目を奪われてしまったが。  夏の昼下がり、彼女は見るからに不審だった。  塀の外からじぃーっと家を眺めては、ふらふらと隣の家へと歩いて行く。それを繰り返していた。知人宅を探しているにしては、表札には目もくれない。  しかも。黒いワンピースに黒のストッキング、黒い靴。全身、黒尽くめの姿。見ようよって、それはまるで……。  ──空き巣の下見じゃねぇか。    花王は、小さくため息をつく。  お得意様への配達を終えたばかりであった。店を構える商店街まで、のんびり歩いていたところで、彼女と遭遇した。いや、しまったと言うべきか。    視線の先、彼女は、また別の家を堂々、覗き込んでいる。  そんな彼女に気づいたのだろうか。ウッドフェンスの隙間から豆柴が鼻面を出し、吠え始めた。ここのコタロウは、人懐こくて、吠えることなどめったにないのだが。それでも、彼女は平然と家の中を覗き続ける。  住宅街に響き渡る犬の声。と、家の中から年配の男性が出てきた。 「どうした、コタ。野良犬でもいるのか?」  コタロウは、門扉の前にいる彼女のことを男性に教えようとするが。男性は、少し離れた花王へと顔を向けた。 「こんにちは」  花王は、にこやかに挨拶する。たまに奥方の付き添いで店に来る、顔なじみである。コタロウとも何度か、散歩中に会ったことがあり、顔見知りだった。 「こらこら、コタも知ってるだろう。駅前の花屋さんじゃないか」  すまないね。そう言うと、男性はコタロウを連れ、家の中に戻っていった。すぐそこから、家を覗き込んでいる彼女をスルーして。  ここは、自分もそうするべきか。  花王は考える。  彼女が人間でないことは明らかだ。声をかければ、面倒なことになるだろう。最近、拾ったヤツにも手を焼いているのに。 『仲間が困っていたら、助けてあげて』  それが玉姫(タマヒメ)の最期の願い。でも、彼女の場合、仲間ではないのだから、ここで無視しても、約束を破ることにはならないはず、……多分。  そんなことを考えながら、通り過ぎようとしたところで。  ぐらり、と彼女の体が傾いて。  その瞬間。関わりたくないと思っていたのに。勝手に体は動いていて、伸びた手が華奢な体を支えていた。  ここで手を離して、捨て置くこともできたが。  ぐったり倒れた彼女は、ありえないほど軽く、そして、見るからに顔色が悪かった。 『あなたは結局、見過ごせないわよ』  柔らかな記憶の中、玉姫がふふふっと笑う。    ──助けりゃいいんだろ、助けりゃ。  微笑む玉姫につぶやいて、花王は彼女に呼びかける。 「……あら?」  腕の中、ぱちぱちと見上げる彼女に、花王は状況を説明し、事情を尋ねた。 「ここ数日、食事をとれなくて……」 「名前は? 何と呼ばれている」 「クロアゲハ」  彼女の身なりも、怪しい行動も。それでかと、花王は納得した。  民家を覗き込んでいたのは、庭に咲く草花(ごはん)を物色していたらしい。しかも日陰を好むクロアゲハが、日中の住宅街をうろついているなんて。一歩、間違えれば、夏休みの子供に捕まる可能性だってあるというのに。よほどの空腹とみえる。  これも何かの縁だろうか。 「一緒に来い。飯を食わせてやる」 「あなた、誰?」 「俺は、五百之木花王(イオノキカオウ)」  答えると、彼女は小さく笑った。 「ごめんなさい。そうじゃないの。言い方を間違えたみたい。私が見えるなんて、『あなたは、?』と聞くべきだったのね。お仲間ではないようだけど」 「通りすがりの花屋の店主だ」  花王は、心の中で『今は』とつけ加えた。
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