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* * *
──夜明けを迎える頃、ようやく眠りが浅くなってきたところで、私は夢を見た。
シャンデリアが煌めく広いホールに、華々しいドレスを纏ったお嬢様達がエスコートされながら優雅に舞う。そんな光景は平民の私が見た事などないはずなのに、見下ろせば自分も艶やかなドレスを着ている事にも違和感を覚えなかった。淡いピンクのドレスは脇に白いフリルとレースをふんわりと広がるように使われていて、金糸で薔薇が蕾から花開いてゆくさまを刺繍されている。
どうやら、夢の中の私は現実よりもいくつか歳上らしい。身体つきが身に覚えのない美しさだった。
様々な貴族の令息らしき人達が私に声をかけ、ダンスに誘ってくる。私はひらりと断り、ホールの隅にある椅子へと向かって飲み物をとり、疲労の息をついていた。
そこに、お会いした事もないのに不思議とどこか懐かしさを感じさせる令息がやって来て私に向かって穏やかに話しかけた。
「ミモレヴィーテお嬢様、デビュタントのパーティーは楽しめておられますか?」
「はい、皆様お美しくて蝶か妖精のようです」
「このパーティーで最もお美しいお嬢様ですのに、謙虚でおられますね」
彼は手入れの行き届いた黒髪に深い緑の瞳が、僅かな影を落としていて私などより遥かに美しく見える。返答に困っていると、すっと手を差し出してきた。
「ミモレヴィーテお嬢様、私とダンスを楽しむ栄誉をお与えくださいませんか?」
私がファーストダンスは既に他の人──パートナーと済ませていたと、夢の中の私はなぜか認識している。
目の前の令息はご令嬢達から注目されていたらしい。羨む声に溜め息が、さざ波のように聞こえてくる。
「──はい、よろしくお願い致します」
恭しく出された手に自らの手を重ね、私は立ち上がった。あれだけ令息達からの誘いを断ってきていたのに、どうしてか目の前の彼と踊ることは自然に受け容れられた。
ホールの中央に歩んでゆくと、ゆったりとした曲に変わる。手を重ね、吐息さえ感じそうな距離で二人踊り始めた。リードが上手いというだけでは納得出来ないほどに踊りやすい。身体が軽くて、まるで広大な空に踊っているかのようだ。
「──ミモレヴィーテお嬢様、私は……」
熱を帯びた声音で彼が囁きかけてくる。どきりと心臓が脈打ち、私は彼を見つめた。互いの眼差しが絡み合う。
──そこで、夢は唐突に途切れた。
「……あ……」
目を覚ますと、大きな窓から差し込む朝日が眩しい。寝過ごしてしまった、と瞬時に思った。労働者の朝は早くて、夜明けと同時に起きてきて簡単な朝食をとり、すぐに働き始めるのだ。
けれど、今の私が居るのは侯爵様のお屋敷だった。ベッドで半身を起こして、どうすればいいのか分からずに辺りを見回していると、控えめにドアをノックする音が聞こえてきて、マルタが何かを抱えて入ってきた。
「ミモレヴィーテ様、洗面のお湯をお持ち致しました。お済みになられましたら朝食を運ばせて頂きますわ。本来ならば食堂で召し上がらますところですけれど、侯爵様が慣れないうちから一族と食事を共にするのでは緊張で味も感じないだろうとの仰せで」
「……あ、ありがとうございます……」
慌ててベッドから出ようとする。すると、マルタは「そのままで大丈夫ですわ。どうぞお楽になさってくださいませ」と制してきた。
「あ、はい……」
ベッドの中で身体を起こしたまま、マルタに手伝われて洗顔を済ませる。顔を洗うのにまでお湯を使うだなんて、貴族のお屋敷というのは本当に贅を凝らしている。
マルタが洗顔用具を下げて、朝食を運んで来てくれると、その思いは驚愕と共に一層強くなった。
複雑でいて芳しいスープに彩り豊かなサラダとドレッシングがかかったパンケーキにフルーツ、何かのジュースまで付いている。朝食といえばオートミールのお粥が当たり前だった私からすれば、まるで何かのお祝いで出されるお料理だ。
「──さ、お召し上がりくださいませ」
「は、はい……」
すっかり恐縮してしまっている私に気づいたのか、マルタが明るい声で「お召し上がりになられましたら、お母君様のお部屋に案内致しますわ。さぞご心配でしたでしょう。容態も安定なされたとの事ですので、少しですがお話しも出来ますよ」と励ますように話しかけてきてくれた。
「本当ですか?」
心のもやが一つ晴れて、気持ちが浮き立つ。我ながら現金なものだと思うものの、お母さんの事は心配で仕方なかったのだ。
「はい、侯爵様からもお許しを得ております。──さ、冷めないうちにお召し上がりくださいませ。朝食を済ませましたらお着替えをなされて、お母君様のお部屋にまいりましょう。お母君様も今頃朝食を頂いておりますわ」
「──はい!」
返事をして、カトラリーを手に取る。味わいからも、手の込んだ朝食だと分かった。朝だからか、どれも優しい味がする。
「お口には合いますでしょうか?」
「はい、とても美味しいです」
「それでしたら、ようございました。室内用のドレスは急ぎご用意致しましたので既製品ですが、どれも侯爵家に相応しいドレスですのよ。ミモレヴィーテ様には何色がお似合いになられるでしょう」
室内用、のドレス。ドレスにも用途に合わせて色々あるのだろうか。疑問に思いながら朝食を頂いて、食器を下げてもらい今度こそベッドから出て起き上がる。マルタがクローゼットを開けてくれると、数えきれないほどのドレスが並んでいて、私は驚きを通り越して目を疑った。
「今日はお天気もよろしいですし、淡いイエローのドレスがよろしいでしょう」
呆然と立っている私に、マルタがてきぱきとイエローのドレスを取り出して当ててくる。上品な光沢のある淡いイエローのドレスは茶色の糸で刺繍が施されており、白くて大きな襟にはイエローのレースが縫いつけられていた。見ると、袖口も襟と同じ意匠になっている。
「……あの、こんな高そうなお洋服は……もし汚してしまったら」
気後れしながら断ろうとする。すると、マルタは「こちらでもシンプルな方ですわ、これ以上質素にしてしまわれてはミモレヴィーテ様のお美しさが損なわれてしまいます。──さ、お着替えを手伝わせてくださいませ」と譲らなかった。
「御髪はサイドを結いましょう。髪飾りには真珠とシルバーのものを」
生まれてこのかた、ドレスはおろか髪飾りさえ付けた事もない。戸惑うばかりだが、従うしかない事は分かりつつあった。おとなしくマルタのお世話に任せると、鏡には見違えるような私の姿が映っている。
「まあ、何てお美しいのでしょう。ごく淡いブラウンの御髪にアメジストのような瞳のお色と良く映えてお似合いですわ。──失礼致します、少しお化粧も致しましょうね。眉を整えて、白いお肌をよりお美しく見せる為にチークを軽く、それとほのかなピンクの口紅を」
ここまで来ると、なされるがままだった。鏡の向こうの私が、私であるがままに別人の私になってゆく。
そうして完成した私をマルタが見つめて、満足そうに何度も頷いた。
「──これでよろしいですわ。お母君様のお部屋までご案内致します」
「ありがとうございます」
ようやく、お母さんに会える。お母さんは私のこの姿を見て、どう思うだろうか。きっと驚くに違いない。離れ離れの間も大切にして頂けていた事も分かるだろう。私としても、お母さんが適切な治療を受けて回復している姿を見たい。
マルタの案内で、お母さんのいる部屋へと向かう。初めて履くヒールのある靴は歩きにくいものの、お母さんに会えると思うと足取りは軽かった。
「こちらでございます。今は侯爵様も外しておられますので、母娘水入らずでお語らいくださいませ」
「はい、ありがとうございます」
しばらく歩くと、ひときわ重厚な扉の前に着いた。部屋からの音は聞こえてこない。ごくりと息を呑んでドアをノックすると、すぐに扉は開かれた。侍医の方だろうか、白衣を着ている。
「お話は伺っております、奥様のお嬢様でございますね」
「奥様……?」
「お嬢様のお母様の事です」
「お母さん……あの、お母さんの具合はいかがでしょうか?」
なぜ保護されただけのお母さんが奥様と呼ばれるのか。胸騒ぎがしたけれど、今はお母さんと言葉を交わしたい。侍医の方は私を安心させるように目を細めて笑顔になった。
「まだ貧血ですが、少しでしたらお話しも可能です。朝食もお召し上がりになられて、栄養を補う薬も服用なされました。──どうぞ」
「あ、ありがとうございます……お母さん、私よ。ミモレよ」
ベッドに半身を起こして休んでいるお母さんに駆け寄る。お母さんは私を慈愛に満ちた面持ちで迎えてくれて、胸がいっぱいになった。
「ミモレ、大事にして頂けていたのね。綺麗なドレスまで……」
「お母さん、私なら大丈夫よ。お風呂にも入れてもらえたし、お食事も豪華だったわ。──どう?
もう痛いところはない? 苦しくはない?」
「ええ、大丈夫よ……ミモレ」
「よかった……。──ねえ、お母さん。奥様ってどういう事?」
微笑みは消さずに、どこか遠い目になったお母さんに不安を覚える。何かを諦めてしまったかのような瞳だった。
そして、にわかには信じられない事を言われたのだ。
「お母さんはね、アムース子爵の長女として……このガラント侯爵家の侯爵様と結婚するのよ。ミモレ、あなたはこれから侯爵家で侯爵様の娘として暮らすの」
「……なに、言ってるの……?」
「……お母さんは、アムース子爵の長女として生まれて育てられたのよ。訳あって、あなたを身ごもってから町で平民として生きてきたけれど……アムース子爵家からも許されたの……」
「何で? だからって何で侯爵様と結婚するの?」
思わず口早に問いかける。お母さんは、私を見つめてから手を伸ばして、私の手を握った。
「もう、あの町には戻れないでしょう?──ミモレは賢い子だから、なぜだか意味は分かるわよね?」
「私が……精霊さんにお母さんを治してもらったから……?」
お母さんからの答えはなかった。無言こそが雄弁な答えだろう。お母さんは私を責めない為に黙って私の手を握り、俯いたのだ。
「──お嬢様、そろそろ奥様のお身体に障りますので……大丈夫です、私どもが看病しておりますのでお任せください。奥様とは、また明日お話しにお越しください。今日よりも長くお話し出来るようになられますでしょう」
「……」
侍医の方が声をかけてくる。医療について素人の私では、従うしかない。
「……お母さん、私……」
「……また明日ね、ミモレ」
朝から晩まで働いてきていたお母さんは強い人に見えていた。けれど今、お母さんは消えそうに儚く見えた。
──その半月後、侯爵様は正式にお母さんと結婚した。侯爵様の正妻は数年前に病で亡くなられておいでだったので、法的な問題は何もなかった。お母さんは侯爵夫人に、私は侯爵令嬢と呼ばれる身分になったのだった。
侯爵様には前妻との間に令息と令嬢が一人ずつおられた。この方々と、義理とはいえ兄妹になり──そこから、私を取り巻く全ては変わってしまった──。
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