プロローグ

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 車は大通りへ出た。  ルーイ連邦・首都カミニ市の中心部まで続くクラスナ大通りだ。  堅牢な石造りの建物が並ぶこの街は、帝政時代の面影を色濃く残していた。その一角には、ここ10数年の間に急激に開発された“カミニシティー”があり、高層ビル群がひしめき合っている。  カミニ河が蛇行しながら首都を南北に分け、そこにかかるカミニ大橋の鮮やかな青のアーチが眩しい。  夏の盛りのいま、カミニは空気が乾燥していてよく晴れる。休日には橋から望む景色を求めて多くの観光客が訪れた。北を向けば運河に面した大統領府の豪華絢爛な宮殿や教会の数々、南を向けば深い森に囲まれたオゼラ湖がある。 「——お、また新しいパチキ屋ができたな」  運転手が身を乗り出し、呟いた。  通り沿いに軒を連ねる店舗のなかで、ひと際目立つピンク色の看板の前を車は走り過ぎた。カラフルにデコレーションされた巨大なドーナツが回転している。  運転手はでっぷりと太った腹がつっかえながらも、慣れたハンドル捌きで車線を変えた。 「その腹はパチキの食い過ぎか」  男がぼそりと言った。 「旦那、やっぱりあんたセイベル出身だね!」  赤信号で車を停めた運転手は、満面の笑みで振り返った。  興奮気味の運転手に合わせ、あんたもだろ、と男はルーイ語ではなくセイベル語で返す。 「そうだとも。いやあ、言葉が通じるのはやっぱり嬉しいもんだなあ。あんたを通りで見た瞬間にぴんと来たんだ、黒髪にその目の色!セイベルでもあんたほど純粋な銀色は稀だ。おれのじいさんはあんたに近かったよ。どこへ行っても目の色をめずらしがられたと、酒を飲むたびに話してたなあ。若い頃はルーイ中を転々として働いてたらしいからね」 「おれは幸い、ほとんど気づかれない。目が開いてないも同然だからな」 「確かにそうだ」  否定しろ、と思いながら男は細長い目をさらに糸のように細めて、陽気に笑う運転手を睨む。 「あんたは暮らし向きが良さそうだね。おれはこの通り、じいさんや親父と同じ、しがない出稼ぎだ」 「普段はタクシーなんぞ使わん。メトロがストに入ったせいで無駄な出費をする羽目になった。おれもあんたと変わらんさ、あちこち駆けずり回って稼ぐしかない」 「旦那も苦労したんだな、この街で——さあ、着いたよ」  運転手は大通りの路肩へ車を寄せ、停めた。  石造りの巨大な神殿のような建物がそびえ立っている。  通りの先にはカミニ中央駅がある。平日の朝、多くのビジネスマンが忙しなく行き交うなか、海外からの観光客も多く見られた。  運転手は札を受け取りながら、 「幸運を祈るよ」 「お互いにな」  男は軽く会釈を返し、車を降りた。  中央銀行の正面玄関へ上がる階段をせかせかと登っていくと、一番上の段まで来たところでふと足を止めた。  そっと背後を振り返る。  黄色い車体のタクシーはすでに走り去っていた。  見られているような気がしたんだが……。  男は小さく舌打ちし、建物のなかへ入った。
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