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明花の憂鬱
西薗明花は大きな窓と赤煉瓦が特徴の異国風のお屋敷で一人勉強をしていた。日ノ国の女子は中学卒業とともに結婚するのだが、成績優秀の彼女は高校に進学していた。
(全然、集中できないわ)
ため息をつき悲しみにくれていた。明花はバルコニーに出て、弐ノ国の貴族庭園風にした薔薇やローズマリーなど異国情緒溢れる庭を見下ろした。大陸の庭園師がわざわざ来日して剪定したと自慢気に母が言っていた。
「失礼します」
振り返ると、レースのカーテン越しに侍女が紅茶と焼き菓子をテーブルに置くのが見えた。今日はプティフールだ。見た目も可愛く一口サイズで食べやすい。浮かない顔を見られると母上に報告されるから、なるべく明るく声をかける。
「ありがとう。もう下がっていいわよ」
「はい。かしこまりました」
扉が閉まり侍女が部屋を出る。
「はあ」
また小さくため息をついてガーデンチェアーに腰掛ける。
(少し前まで蒼翼の婚約者だったというのに……)
幼い頃から時々パーティに顔を出す蒼翼に恋心を抱いていた。整った顔立ち、穏やかな話し方でありながら凛々しさもある。周りの女性達の憧れの方だった。だから、母に頼み込み、中学生になってお見合い話がまとまり婚約に至った。蒼翼はとても優しく、私を愛してくれていた――と思う。
でも蒼翼が進路を決める段階で、軍人になると決めたことで父は難色を示し、向こうの両親とも話し合いの末、婚約は解消する。
西園家は、元貴族であり、今は財閥系企業グループの一つで、主に貿易や造船などで成功した会社だ。他にもいくつか土地を所有して、莫大な資産があった。
明花は一人娘だったので、婿養子になって蒼翼に西薗家の会社を継いでほしかった。
「明花、残念だが蒼翼との婚約は破棄した。かつて貴族だった私たちのような一族ならば戦争で最前線に出て戦うことはないだろう。だが日路里家は違う、いつ命を落とすか分からないから諦めてくれ」と父は言った。
私はどうしても諦めきれない。いっそ駆け落ちしようか……。父を、困らせたら許してもらえるような気がしていた。そう考える間もなく、蒼翼は別の女と婚約するのだ。
それが東雲美和だ。
聞いたことない名だ。どこかの華族や病院の娘なら諦めもつくが、普通の家より貧しいと聞く。私にはまた次の縁談が待っている。今しかない、蒼翼と話がしたい。蒼翼の隣は私でありたい。
***
特殊部隊に配属された蒼翼は、現帝を警護するため帝都〈西の地〉にいた。とはいえ蒼翼はまだ学生なので任務に就いてはいない。表向きには特殊部隊に配属される事になっているが、ここにいる隊員たちは聖獣村で覚醒した人ならざる霊力を持った別名〈聖獣隊〉である。
軍学校では陸軍の戦術・戦略を学ぶ。〈西の地〉にある陸軍の課程が修了したら、次は海に近い〈東の地〉にある海軍学校に編入する。
陸・海軍の大まかな流れを学んだあと、聖獣隊は再び〈西の地〉に戻り帝を警護する任務に配属される予定である。
聖獣隊が帝を警護するのは始祖帝から始まった。聖獣隊は素性を知られないようにしなければならないので、一般の日ノ国の軍人とはほとんど接点がない。
朝、隊員達は起床すると素早く着替え、外で整列して点呼をとる。そのまま剣術・武術を訓練する。聖獣隊は他の軍人にはない特殊な訓練もある。霊力を向上するための秘技訓練だ。それは軍施設が破壊されかねないので結界を張り、細心の注意を払って訓練をする。
秘技訓練後、朝食をとり部屋に戻り歯磨きをして、授業が始まるまでの間、部屋で少しだけ休憩時間がある。
白虎に変化する白柳虎一が、寮の同部屋の蒼翼を見つける。軍学校を最上位の成績で合格した将来有望な同期の蒼翼。虎一は机の引き出しから取り出しコソコソ隠れるように何かを読んでいたので声をかけた。
「お! さては婚約者殿から手紙だな」
蒼翼に肩を組んで手紙を覗こうとしたがサッと隠された。
(チッ 秘密主義かよ)
「……まあね」
「どんな子だー? お前のことだ、たいそう美人な婚約者なんだろ?」
からかうと蒼翼は少し照れたように笑う。
「まだ、婚約者って言うには幼い娘だが、とても可愛い子さ。交代でお盆休み取れるから、今度どこか連れていきたい」
普段は厳しい訓練に耐え、冷静な奴だが、婚約者とのやりとりが微笑ましく思った。
「お盆に婚約者のためにわざわざ帰省するのか? 俺は逆に見合い話がうるさいからここにいるぜ」
「虎一はまだ結婚とかどうでも良さそうだな」
「はは、まぁな。お前はどうなんだ? 親に勝手に決められた結婚なんて、嫌だろ」
「あ、い―……や。相手の方こそ急に決められて困惑しているだろうと思う。僕は結婚が良いものになるよう努力するさ」
「相変わらず優等生だな。話は変わるが、我らの仲間、半獣が大陸を渡り災いを引き起こしている噂を聞くが知っているか?」
二人部屋。近くに人はいないが少し小声で話してみる。
半獣の歴史が始まって以来の信じがたい噂だからだ。蒼翼もゆっくり頷く。
「ああ、玄陸軍少佐から聞いた。もしそれが本当なら……」
その先は黙った。それが本当なら……聖獣隊の私たちの立場が危うくなる。国家を揺るがしかねない。そして、聖獣同士で闘う事になるのかもしれない。
玄少佐は聖獣村に行って、行方不明の者がいないか調べないといけないと言っていた。
このことは聖獣隊だけで内密に捜査することになるだろう――。
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