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辻占往還
小学校の裏に赤目ばばあが出る。だから大抵の子は裏門を使わず、幅広の通学路に面した正門から歩いて帰る。
「赤目ばばあって何?目え赤いの」
「子供をさらうばあさんだよ」
「捕まったらどうなるの?」
「あの世に連れてかれるらしいぜ」
「なんで小学生さらうのよ」
「自分の子を亡くして気が狂っちまったんだって」
「ここに通ってたの?」
「下校中車に轢かれて……」
「可哀想」
「目が真っ赤なのは犯人を恨んで流した血の涙のせいだとさ、怖えー」
同じ班の子たちが怖い話で盛り上がる中、一人だけ床と睨めっこし、箒を動かすのに集中するふりをする。
「そこっ、サボるんじゃない!真面目にやってる広瀬を見習え!」
痺れを切らした先生がカミナリを落とし、みんながぞろぞろ持ち場に戻ってく。
「痛っ……」
上履きを踏ん付けられた。
「じゃま。ボーッと突っ立てんなよ」
くすくす笑いを交ぜた陰口に俯く。上履きの白い部分にはくっきり靴跡が付き、「4-3 広瀬守」の字が汚れていた。
すれ違いざま山田くんが呟く。
「親に書いてもらってんだろ?だっせえ」
カッと顔が火照る。
「先生さようならー」
「またねー」
掃除が終わるがいなや班の子たちは解散し、速攻教室を飛び出してく。僕はわざとタイミングをずらし、のろくさランドセルを背負って階段を下りる。
赤目ばばあは怖い。けど、もっと怖いものがある。
きっかけは授業参観。僕んちはお母さんが来てくれた。思えばプリントを持って帰った時から嫌な予感はしていた。
案の定お母さんの存在は波紋を呼んだ。教室の後ろに並んだ保護者の中で、悪目立ちしてるのは否めない。
「あの人誰の親?すごい厚化粧」
「浮いてるよねー」
同級生の陰口や他の保護者のチラ見に構わず、お母さんはニコニコ笑っていた。うちと同じ笑顔だ。ちょうど国語の授業中で、出席番号順に作文を読む事になっていた。
「次、広瀬」
「は、はい」
上擦る声で返事をする。ぎこちなく起立したものの、緊張と恥ずかしさが相まってなかなか声が出ない。
「ぼ、僕のお母さん。四年三組広瀬守」
初っ端突っかえた。まずい。びっしょり手汗をかいて原稿用紙がふやける。周りから漏れる忍び笑いがいたたまれない。
ああ、早く終わってほしい。今すぐ地震が来て、教室の床が抜けちゃえばいいのに。
「頑張って守!」
飛んできた声援に振り向けば、お母さんが口の横に手をあて、朗らかに笑っていた。
「あ……」
爆笑の渦が教室を包み、先生が苦笑いする。
「気持ちはよくわかりますが授業中はお静かにお願いしますね、広瀬くんのお母さん」
「すいません、うちの子の晴れ舞台なものでうっかり」
お母さんが照れる。だけど全然反省してない証拠に、目が合うとこっそり手を振ってきた。
憂鬱な回想を断ち切り、裏門を抜けてこぼす。
「……死んじゃえばいいのに」
いじめられるのはお母さんのせいだ。そんな妄想してたせいで、接近の気配を察するのが遅れた。
「誰?」
今日もまた裏門を出る。
こないだ声をかけてきたのは眼鏡のお兄さんだった。探し物を手伝ってほしくて呼び止めたみたい。あんまり必死に頼み込むもんで可哀想になって、十字路までの約束で付き合ってあげた。
本音を言えば、大人のひとが一緒なら赤目ばばあもおいそれ近寄れないだろうと踏んだのだ。
前回はお兄さんがいたから何とかなった。今回は僕一人で不安が膨らむ。
ぎくしゃく進む途中、切羽詰まった声がした。
「行っちゃだめ。戻ってきて」
周囲の空気が張り詰める。斜め後ろの電柱に真っ赤な目をしたおばあさんが隠れていた。
赤目ばばあだ!
絶対振り返らないと決め、ひらすらアスファルトを蹴る。目の前を影が塞ぎ、咄嗟にブレーキをかける。
行く手にポツンとたたずむのは、黒いランドセルを背負った男の子だった。
「はあっはあっ」
おそるおそる後ろを見れば、赤目ばばあはどこかに消え、夕焼けの住宅街が広がっていた。
「助かった……」
間一髪命拾いしへなへなへたりこむ。お礼を言おうと向き直り、既に遠ざかってるのにぽかんとした。歩くの速い。
次の日も次の日も同じ子を見かけた。四日目、勇気を振り絞って声をかけた。
「何年生?」
男の子が立ち止まり、不思議そうに僕を見る。
「僕は四年三組の広瀬。君は?三年生かな、五年って事はないよね」
他のクラスに友達はいないけど、同学年か少し下っぽいと推し量る。男の子は無表情に口を開き、また閉じ、おもむろにランドセルを下ろす。
何してるんだろうと突っ立って観察すれば、ごそごそ中をひっかき回し、自由帳と鉛筆を取り出す。
男の子がぱらぱらページをめくり、白紙に「4-2」と記す。
「と、隣のクラスかあ」
気になるのはそこじゃない。ひょっとして口が利けない?
「裏門から帰るのなんで?」
「……」
「一人が好きなの?」
そっけなく頷く。
「そっか……」
普通に意思疎通できるあたり耳はちゃんと聞こえてるっぽい。筆談の理由にはあえて触れず、一方的に喋り散らす。
「二組の柊先生すっごい声でっかいよね、こっちまで聞こえてきたよ。怒りっぽくてちょっと怖いかなあ。叱られたことある?」
首を横に振る。
「ないか、真面目そうだもんね」
久しぶりに人と話せて嬉しい。僕は色々な事を話した。校長先生が朝礼で話した二宮金次郎の逸話、隣の小学校の子が変質者に襲われかけた話。
「先生は友達と一緒に帰れっていうけど、そんなのいないもん」
ふてくされた独り言を聞き咎め、男の子が目を細める。自然と歩調が揃い、心強さが増す。
歩きながら鉛筆を動かし、追加分の文章をこっちに見せる。余白には「一しょに帰る?」と書かれていた。
あれから赤目ばばあは現れない。帰り道は心が弾む。教室じゃ一人ぼっちだけど、下校時間は友達が一緒。
クラスメイトに無視されたってへっちゃら。下駄箱に別の上履きが突っ込まれてても気にしない。
「じゃあまた」
僕たちは十字路で別れた。男の子が向こうの道に消えるのを見届け、ゆっくり手を下ろす。
男の子は賢かった。難しい算数の問題をすらすら解いた。反面ゲームの話題には疎く、僕が挙げるソフトのタイトルは殆ど知らなかった。
「えっスーファミないの?」
頷く。
「いまどき珍しいね。クリスマスや誕生日におねだりして買ってもらいなよ」
『おばあちゃんがきびしいんだ』
「お父さんお母さんは……」
まただんまり。複雑な家庭で育ったのかも?深くは突っ込まず、並んで歩いて帰る。
「うちにきなよ。一緒に遊ぼ」
思いきって誘ってみれば、『考えとく』と書いて返し、はにかむような笑顔を見せた。
ほどなくロープで囲われた空き地が見えてきた。露骨に顔をしかめ、にわかに歩く速度を上げる。
「ここ苦手」
『なんで?』
「虫いっぱいだし犬のフン落ちてそうじゃん」
具体的な理由を聞かれると答え辛い。ここに来るたび息が苦しくなって、なんだか急き立てられるのだ。
「はやくいこ」
首を傾げる男の子の手を引っ張り、殺風景な空き地を通り過ぎる。友達の手はひんやり乾いていて、女の子みたいにすべすべで、ちょっとだけドキドキした。
心の支えは帰り道だけ。教室は息が詰まる。最近じゃ先生まで僕を無視する。
ある日のこと、男の子が自由帳を落とした。
「大丈夫?」
反射的に拾い上げ、不気味な落書きの数々に凍り付く。自由帳のページを埋め尽くしていたのは、真っ赤に塗りたくられ、体のあちこちが欠けた人たちだった。
くまのぬいぐるみを抱っこした女の子、サッカーボールをヘディングする片足の少年。お世辞にも上手とは言えない絵から異様な生々しさが伝わってくる。
実際に見て描いたような。
ものすごい勢いでひったくられた。
「ご、ごめん」
へどもど謝る僕をよそに、自由帳をギュッと抱き締め、顔を強張らせる男の子。
「それ何?おばけの絵?」
憮然と黙り込んだままノートに何か書き込む。好奇心に駆られ手元を覗く。
『そこにいる』
戦慄が駆け抜けた。
反射的に前後左右を見回す。誰もいない。何もない。夕焼け空の下には等間隔に電柱が並ぶ住宅街が広がり、男の子が立っているだけ。冷たい風が自由帳をめくり、おばけたちが行進する。
「君は誰?」
一緒に帰るようになって長いのに名前を知らない。赤目ばばあを怖がって生徒が近付かない裏門を、何故平然と通れるのか。
「ま、前にテレビで見たことある。北東の方角は鬼門っていって、幽霊や魔物が出入りするんだって。裏門が鬼門にあたるなら、そこを通るのは死んだ人だよね」
ランドセルの皮ひもを掴んであとじさる。男の子は無言で立ち尽くす。
僕の友達は幽霊だった。
後のことはよく覚えてない。次の日から男の子を避け、一人で帰るようにした。
あの子は誰だったのか。なんで僕に目を付けたのか。ひとりぼっちでいたから?
頭の中をぐるぐる回る色んな考え。あの子は赤目ばばあの息子じゃないか?裏門を出てすぐ車に轢かれ、成仏できずにさまよってるんだろうか。
靴脱ぎ場ですれ違うこどもたちが囁き交わす。
「知ってる?裏門に出るんだって」
「マジ?」
「黒いランドセルしょった男の子のユーレイが……」
やっぱりそうだ、あの子の事だ。固唾を飲んで耳を澄ます。水色のランドセルを背負った女の子が、八の字の眉で嘆く。
「その子ね、お父さんの同級生だったんだって。長いことさまよってて可哀想だよね」
詳しい話を聞きたい一方、知らない女の子に声をかける勇気は持てず、諦めて裏門に回る。
錆びた門の向こうは静まり返っていた。幽霊の姿が見当たらずホッとしたのも束の間、一人で下校するのを考え気が重くなる。
「……よし」
靴裏で地面を蹴り付け、前のめりに裏門を通過。大丈夫、誰もいない。今度こそ無事に着けるはず―
「待ってえ……行かないでぇ……」
掠れた声が追いかけてきた。その場で硬直し、ランドセルの皮ひもを握る手がじっとり汗ばむ。
振り向くな。
見ちゃだめ。
見たらきっと後悔する。
早歩きで引き離す僕に、声の主が哀れっぽく追い縋る。
「もどってきて……お願い……」
人違いです。僕じゃないです。あなたの子供はあの子でしょ。声を大にして叫びたい気持ちが膨れ上がり、こらえきれず息を吸った直後、思いがけない光景を目の当たりにする。
進行方向の電柱に隠れるようにして例の男の子が立っていた。手には自由帳。
「っ……!」
後ろには赤目ばばあ、前には幽霊。挟み撃ちに立ち往生を余儀なくされる。向こうには雑草生え放題の空き地があった。
赤目ばばあが迫ってくる。男の子が虚ろに見返す。
「そっちに行っちゃだめ!」
痛ましい絶叫に次いで、直に心臓をなでられたような悪寒が貫く。
驚きに目を剥いて見下ろせば、赤目ばばあの腕が胸をすり抜け、こっち側に突き出てる。
そっか、幽霊は生きてる人間にさわれないんだ。心配して損した。
待って、じゃあなんで君にさわれたの。
男の子がだしぬけに自由帳を開き、眼前に突き付けてくる。
「僕にはこうみえる」
ページ一杯に描かれていたのは、首にぐるぐるロープが巻き付き、顔が醜く膨れ上がった誰か。背中の真っ黒い四角はランドセル?
「気付いてへんの。死んどるよ」
誰もいない裏門、一人ぼっちの帰り道、探し物を手伝ってくれと寄ってきたお兄さん。
空き地にさしかかった途端押し倒され、ランドセルの中身がなだれでた。
「スーファミ?何年前の話や」
下駄箱に入ってた知らない靴、僕だけ無視する先生。班の子たちはどこ?靴脱ぎ場で帰り支度をする女子の下駄箱には「山田」の名札。
「柊なんて先生おらん。二組は鈴木先生や」
ロープの切れ端が不安定に揺れる。それは僕の首から垂れていた。
「守」
赤目ばばあに呼ばれた。
「私がわからない?」
腕から胸が生え、男の子を捕まえる。
「なんで一人で帰ったりしたの、知らない人に付いてっちゃだめって言ったじゃない。本当にごめんなさい、迎えに行ってあげてればあんなことには」
真っ赤に泣き腫らした目。すっぴんの顔。歯の抜けた口。視線の先にいるのは僕じゃなくて、諦めに似た表情を浮かべた男の子。
最初から勘違いしていた。
この人が追っかけてたのは僕じゃなくて、僕の先を歩いてる男の子で。
僕の姿は見えなくて。
透明人間と一緒で。
「ごめんね。許して」
「守ちゃうで。よその子や」
「ごめんね。ごめんね」
知らないおばあさんだとばっかり思ってた。なのに今、ハッキリかわかる。
死んじゃえばいいなんて言ったバチが当たった。
『行方不明の小学生、絞殺遺体となって発見
五月二十六日午後六時頃、飼い犬の散歩中の男性が近所の空き地に倒れている小学生を発見した。
被害者の身元は広瀬守くん(十)と判明。死因は窒息死。近くにはランドセルが落ちており、遺体の頸部にロープが巻き付いていたことから、警察は変質者の犯行と見て捜査を進めている。
守くんは前日午後三時半頃、第二小の敷地内で目撃されたのを最後に消息を絶っていた』
両親の死後引き合わされた拝み屋の祖母曰く、自分には強い霊感が備わってるらしい。
「幽霊の辻を知ってるか」
「知らへん」
「昔からね、辻にはよくないものが吹き溜まるっていわれてるんだ。幽霊の辻は二代目桂枝雀の為に書き下ろされた新作落語で、ある男が知人の手紙を預かり、堀越村を目指して歩いてる所から始まる。道に迷った男は通りすがりの老婆に案内を頼むものの、その口から飛び出すのは水子池に獄門地蔵、父追い橋などの不吉な地名ばかり。水子に引きずり込まれるぞ、地蔵の首に噛み付かれるぞとさんざん脅された男はすっかり震え上がるも、老婆が言うような怪異は結局何も起こらなんだ。最後、幽霊の辻にさしかかった男の前に若い娘が飛び出すまでは」
「幽霊と間違えたじゃないか」と怒る男に対し、「そうじゃないとでも思った?」と娘は問い返し、闇夜に紛れるように辻の奥に消えていく。
「わかったかい。辻は彼岸と此岸の境目なのさ」
祖母の教えが正しいなら、父と母も辻の向こうに行ってしまったのだろうか?
守は十字路をこえられない。事件現場の空き地は辻の手前に位置する為、どうしてもそこから先へ進めない。
従来の正門を避け、裏門から帰る選択をしたのに深い意味はない。しいていえば喧騒を離れ、一人になりたかった。
群れて帰る同級生など意に介さず校舎を回り、錆びた門を抜ける。
「守?」
疑い深げな声に顔を上げれば、貧相な老婆が立ち塞がっていた。
「人違いです」
即座に否定したものの納得せず、執拗に付き纏われた。
「さ、帰りましょ」
「一人でだいじょうぶです」
「今日の晩御飯は守の好きなハンバーグよ、いっぱいおかわりしてね」
会話が成立しない。完全に狂ってる。その後新聞を調べ、三十年前に起きた殺人事件を知った。
「おはよ。学校には慣れた?」
「ぼちぼち」
「引っ越してきたばかりで大変でしょうけど困ったことがあればなんでも言ってね、相談にのるわよ」
「ほな先生、裏門のおばあさんのこと知っとる?」
「付き纏われてるの?」
「聞いてみただけ」
「あの人はね、気の毒な人なのよ。三十年前の事件がきっかけで一旦遠くへ引っ越したんだけど、最近また戻ってきたとかで噂になってるの」
「なんで戻ってきたん?」
「悪性の腫瘍が見付かったのよ」
守は自分の死に気付いてない。故に今もまだ裏門から下校し、辻を越せずに消える堂々巡りに陥った。
自由帳を筆談に用いたのは一人で喋ってると誤解されたくない心理に加え、訛りを恥じる気持ちも多少は噛んでる。
「ここにのっとるんはみんな友達。元の姿なんてわからんさかい、見たまんま描いた」
自由帳を眺める少年と向き合い、ロープを巻き付けた幽霊が俯く。
『教えてくれればよかったのに』
「言うてもわからん」
『人さらいの赤目ばばあは?』
「ただの作り話やろ。僕が聞いたんは裏門ユーレイの噂。何十年も前に空き地で殺された男の子が浮かばれへんで友達さがしとるとか、自分が死んだことに気付かず行ったり来たりしとるとか」
事件から三十年以上経った。
その間学校と辻を往復し続けた守の記憶は混濁し、強い霊感を持った自分でなければ知覚できないほど、魂の輪郭が薄らいでしまった。
落ち着き払って語る少年に縋り付き、雑草に埋もれた老婆が咽び泣く。
「ごめんね守、全部お母さんのせいだね。私が代わりに死ねばよかった」
少年の顔が苦しげに歪む。
「そんなこと言わんといて」
守が頼りなく立ち上がり、痩せ細った肩を掴む手に手を重ねる。老婆が潤んだ目を瞬き、呆けた表情でこちらを仰ぐ。少年は大きく深呼吸し、堂々と顔を上げて言った。
「僕のお母さん。四年三組広瀬守」
他人の喉と口を借り発した言葉が、絶望に暗む心を照らす。
「僕のお母さんはカホゴです。正直うざったい時もあります。それにはちゃんと理由があります。僕はおそくにできた子どもで、元気に育ってくれるかどうか、みんなとっても心配しました。目をはなしたらすぐいなくなっちゃいそうで、それが怖くて今でもうるさく言っちゃうのよ、と本人は笑っていました。しょうがないお母さんです。だけどきらいになれません」
一呼吸おき、吐き出す。
「五年になったら自分のものには自分で名前を書きます。お母さんには手出しさせません、親ばなれの第一歩です。りっぱな大人になるので見ていてください」
授業参観でトチらないように何十回も練習した。最初から最後まで、作文の内容はしっかり覚えてる。
あの日読み上げられなかった続きを心を込め朗読し、慄く母の目をまっすぐ見詰める。
「じゃあ、また」
老婆が顔を覆い泣き崩れる。我に返った少年が筆箱を開け、自由帳に消しゴムをかける。
首に巻かれたロープを消す。足を消す。下半身を消す。真っ白にする。
あれから守には会ってない。
「ねえねえ知ってる、裏門ユーレイの噂」
「引っ越したんでしょ?」
「引っ越したって何よ、地縛霊じゃないの?」
「前はヤな感じしたけど最近はフツーフツー、どっか行っちゃったっぽい」
「例のおばあさん来なくなったね」
「死んだ?」
「入院したんじゃない?」
「成仏したのよきっと」
「勝手に殺すな」
「ユーレイの話!」
「誰かお祓いしたとか?」
玄関の靴脱ぎ場にて、姦しい女子を尻目に靴を履く。中の一人が顔を上げ、少年の背に問いかける。
「また裏門から出んの?」
「今日は正門」
「珍しいね」
「待ち合わせんでようなったから」
「友達いたんだ?」
驚き半分からかい半分の言葉に肩を竦め、人ならざるものが見える少年は笑った。
「辻の向こうに引っ越してもた」
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