乙女ゲームの矯正力

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乙女ゲームの矯正力

 罠だとわかっている……  リンベル伯爵家を飛び出したアイシャは、辻馬車に乗り、街外れへと向かっていた。  リアムを心に残しながらキースのプロポーズを受けたヒロインの辿(たど)る結末は、バッドエンドだった。  もし、乙女ゲームのヒロインと同じ運命を辿るなら『アイシャ』は死ぬ運命なのだろう。自分が死ぬことで、グレイスは元のヒロインの立ち位置に戻り、存在しない『アイシャ』はこの世界から消え去る。  これが、この世界の矯正力なのかもしれない。  ただ、死ぬ運命だと分かっていても、リアムを見捨てる選択だけは出来なかった。  彼は私の特別な人……  本当イヤになる。  ご丁寧に地図まで同封してあるなんてね。  グレイスとの決戦を前に、アイシャは緊張からか、持っていた鞄を無意識に撫でる。  最期まで、リアムから貰った短剣を使う運命になるなんて皮肉ね……  グレイスと刺し違える事になったとしても、リアムを助ける!  決意を胸にアイシャは、街外れにある()ち果てた屋敷へと先を急いだ。 ♢ 『ギィィィ……』  朽ちかかった扉はいとも簡単に開いた。そっと家の中を覗き、誰もいない事を確認したアイシャは、足元に気をつけながら、廊下をゆっくりと進む。  外にも中にも、見張り一人いないなんておかしくないかしら?  侯爵家令息を監禁しているのだから、見張りが大勢ウロウロしていると考えていたアイシャだったが、人の気配すらしない邸内に違和感を覚える。  これもグレイスの仕掛けた罠なのだろうか?  しかし、たとえ罠だったとしても、アイシャの足を止める理由にはならない。元より覚悟の上だ。  壁伝いに慎重に歩みを進めるアイシャの目に、廊下の奥で揺らめく光が見え、ボソボソと話す人の声が耳に入る。  とりあえず、光が見える方へと歩みを進めれば、徐々に話し声も大きくなっていく。 「リアム様、悪く思わないでくださいな。貴方が、この世界のヒロインであるわたくしではなく、アイシャなんていうモブですらない女を選んだのが、間違いだったのよ」 「グレイス、アイシャに何をするつもりだ? まさか、傷つけるつもりなのか!?」 「いいえ。わたくし自ら手を下すなんておぞましい。あの女には、貴方の命と引き換えに、死を選んでもらうわ」  やはり、シナリオ通りだ。  アイシャが壁の影に隠れ、中の様子を伺へば、椅子に縛られ動けないリアムと、そんな彼の(あご)を掴み上向かせ、話しかけるグレイスが目に写った。そして、彼女の仲間と思しき数名のゴロツキと真っ黒な燕尾服(えんびふく)をまとった執事と思われる男が、二人の様子を後方から眺めている。 (まだ、気づかれてはいないようね……)  彼らからアイシャは死角となり、見えていない。  グレイスは乙女ゲームのシナリオ通り、アイシャに死を選ばせようとしている。  このまま無様に死ぬわけにはいかない。  今から街の憲兵の詰め所に行き、事情を説明し助けを求めるのはどうだろうか?  幸い、リアムはまだ死にそうには見えない。 『一人で来るように』  手紙の内容が、頭をよぎる。  万が一、憲兵を連れて来た事がグレイス側にバレたら、リアムの命が危険にさらされる。  一人でどうにかするしかないのか。  アイシャは、護身用の短剣を鞄から取り出すと、ゆっくりと歩みを進める。 「その汚い手をリアム様から外してくださるかしら。お約束通り、来ましたわ」  突然、室内に響いた声に、パッと顔を上げたグレイスが辺りを見回しアイシャを見つけると、ニタァと笑みを浮かべる。 「あの手紙を読んで本当に来るなんて、よっぽどリアム様を愛しているのね。初めましてアイシャ様。お話しするのは、初めてですわね」  グレイスが周りのゴロツキに合図を送ると、彼らとアイシャとの間合いが徐々に詰められていく。 「近寄らないでくださいね。わたくし、これでも騎士団で剣の修行をしていましたの。下手に近づいて怪我なんて、したくありませんでしょ」  アイシャの脅しに、間合いを詰めていたゴロツキの足が止まる。 「グレイス様、お約束通り一人でこの屋敷に来ましたわ。リアム様を解放なさいませ。貴方の目的は、わたくしでございましょ?」 「ははははははは……」  グレイスの高笑いが室内に響く。 「貴方、バカですの。本気でリアム様を解放すると思っているなんて、バカ過ぎじゃないかしら。解放する訳ないじゃない」  狂気にも似た笑い声をあげていたグレイスの表情が瞬時に変わり、憎悪を宿した瞳でアイシャを睨む。 「私はねぇ……、アイシャも憎いけど、リアムも憎いのよ。ヒロインである私を陥れたのよ。私と婚約したのも、ドンファン伯爵を(だま)し、私が『白き魔女』ではない証拠を掴むため。そのせいで、ノア王太子にまで疑いを持たれる結果になってしまった。私は、白き魔女なのよ。この乙女ゲームのヒロインたる白き魔女なのよ! だから、予知を完結させねばならない」  くくっ、くくくっと不気味な笑いをこぼし、呪詛のような言葉を放つグレイスは気づいていない。彼女の言葉を理解している者が、この場にはいないという事を。 ――――アイシャを除いて。  沈黙が支配する室内に、グレイスの言葉だけが響く。 「今までだって、全てが私の思い通りだった。私がデタラメを言ったとしても、必ず予知は当たったのよ。だから、今回も成功するわ…… 愛する二人は、ここで死ぬ運命なの。ヒロインたる白き魔女が予知したのだから、運命が(くつがえ)る事はない。さて……、どちらから殺して欲しい?」  狂気を(はら)んだ目をして、短剣を握ったグレイスがリアムの首筋に刃を当てる。 「貴方の愛するリアムが死ぬ所が先に見たい? そうねぇ、貴方が自ら命を絶つなら、リアムは後からゆっくり殺してあげるわよ」  常軌を逸したグレイスの高笑いだけが、静けさに包まれた部屋に響きわたっていた。
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