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裏切りの果て【グレイス視点】
――――やったのよ。私からヒロインの座を奪った、あの女の一番大切なものを奪ってやった。
「……はは…はははは…………」
血濡れた短剣を手に、笑いが込み上げる。
「グレイスお嬢様、満足頂けましたか?」
「――――満足? そうね…………」
壊れたように笑い続けるグレイスの背後にセスが近づき、全てから守るように彼女を抱き締め、グレイスの視界をセスの手が塞ぐ。
「ゆっくりお休みなさい……」
その言葉を最後に、グレイスの意識はブラックアウトした。
♢
湿気を帯びた空気に、時折り血生臭い匂いが漂う地下牢に閉じ込められて、どれくらいの時間が過ぎたのだろうか。簡易的なベットがあるだけの空間。窓もなければ、明かりすらない闇で過ごす日々は、時間の感覚までグレイスから奪い去った。今が昼なのか、夜のなのかもわからない。
唯一外に出られるのは、裁判に立つ時だけ。
美しく輝いていたピンクブロンドの髪はガサガサとなり、陶器のように艶めいていた肌は、栄養が足りていないのか、カサつき薄汚れている。誰もが振り返る美貌は見る影もなく、グレイスの姿は、まるで老婆のように変貌していた。
始めは、抵抗する気力もあった。しかし、過酷な地下牢での生活は、グレイスから戦う気力を削いでいった。
――――明日、私の死刑が執行される。
つらつらと述べられた罪状は、ほとんど覚えていない。
どうでも良かった。これで全てから解放されると思えば、死刑も悪くない。
乙女ゲームのヒロインであるはずの『私』がこの世界から消え去る。
グレイスの脳裏に、アイシャが言った最後の言葉が浮かぶ。
『貴方は白き魔女でも、ヒロインでもない。ただのグレイスよ。私達が生きている世界は乙女ゲームの世界なんかじゃない!』
あの娘が言ったように、この世界は乙女ゲームの世界ではなかったのかもしれない。もう疲れた………
長きに渡る地下牢での生活に、気力も体力も底を尽きたグレイスは、考えること放棄する。遠くの方から聴こえる叫び声に、この断末魔を聴くのも最後かと思うと、笑いが込み上げてくる。
『明日の私も、あんな叫び声を上げるのかしらね……』と考え、自嘲的な笑みを浮かべたグレイスは、ゆっくりと瞳を閉じた。
♢
ガラガラガラガラ…………
「……うっ…んぅ……眩しい………………」
「グレイスお嬢様、目を覚まされましたか?」
「――――えっ!? セスなの?」
板張りの簡素な座席に横たわっていたグレイスは、聴き覚えのある声に身体を起こす。目の前には、ニッコリと笑うセスが座っている。
これは……、夢なの?
自分の置かれた状況が飲み込めず、グレイスは辺りを見回す。狭い箱型の空間に向かい合わせの座席が二つ。窓はないが、ガタガタと揺れる振動に、グレイスは簡素な馬車に乗っていると理解した。
「お久しぶりですね。地下牢生活はいかがでしたか? 最下層の生活も、なかなかのものでしょう?」
「セス、貴方が私を処刑場まで連れて行くのね。さぞかし、私を憎く思っていた事でしょう。平民出の女に、貴族のお坊ちゃんが、顎で使われていたのですもの。最期に、罵声でも浴びせに来たのかしら?」
「いいえ。違います……」
「じゃあ、何よ! 惨めに死んでいく私を笑いにでも来たの!!」
「それも違います……」
目の前に座るセスの顔つきが変わり、心底おかしいとでも言うように、ケタケタと笑い出す。
「何が違うって言うのよ!? 手枷に足枷までつけた私を処刑場まで連れて行くのでしょ!!」
「処刑場まで連れて行く必要なんてありませんよ。貴方を地下牢から勝手に連れ出したのは、私ですから」
セスは私を救い出してくれたの?
最後まで私の味方でいてくれたセス。
ドンファン伯爵を殺した後も、手足となり働いてくれたセス。
セスの言葉に、グレイスの心が期待で震えるが、次に続いた彼の言葉に、心が急速に冷えていく。
「あぁ。勘違いしないでくださいね。私は貴方を救い出した訳ではありません。ノア王太子との密約通り、戦利品を頂いたまでです」
ノア王太子との密約?
どういう事なの? 戦利品ってなによ?
「ふふふ。貴方はずっと私が忠実な執事だと思っていたようですが、私の本当の主人は、ノア王太子ですよ。今までの貴方の計画は全て筒抜け、まんまと罠にかかったのは、グレイス、貴方だったという訳です。白き魔女ですか? さきよみの力などない癖に、ドンファン伯爵に踊らされ、罪を重ねていく貴方は実に愚かで、美しかった」
狂気を孕んだ目をして饒舌に語り出したセスに恐怖を覚える。
「今まで言うことを聞いていたのも、わたくしを欺くため? わたくしを陥れるため、ノア王太子と結託していたと」
「えぇ。そうです。全ては、貴方を手に入れるためにね」
不気味に笑うセスを見つめ、グレイスは得体の知れない恐怖に背を戦慄かせる。
セスは、私をどうする気なの?
耐えきれないほどの恐怖感から逃げ出したくて、グレイスは後ずさろうと身動ぐが、狭い馬車の中、それも叶わない。
「私が恐ろしいですか? 恐怖に見開かれた瞳のなんと美しいことか」
グレイスの簡素なワンピースの胸元が、セスの手で引き裂かれる。
「グレイス、貴方は今日処刑された。もうこの世に貴方はいない……、手に入れた戦利品を私がどう扱おうが構わないでしょう? この世から消え去った貴方が頼れるのは私しかいない。貴方の全ては私だけのものだ」
仄暗い感情を宿したセスの瞳に、怯えた目をしたグレイスが写る。
私は死んだ……
そう……、私は彼の瞳の中でしか生きられない。
硬い背もたれに背中を押し付けられて、セスに唇を貪られる。痛みを凌駕するほどの熱が、グレイスの思考を停止させる。黒い炎を孕んだ瞳に見つめられ、グレイスの心の奥底に燻り続けた欲望があふれ出す。
あぁぁぁぁ、ずっと欲しかったセス……、何度、誘惑しようとも決して手に入らなかったセスが、私を貪る。
官能に支配された脳が、鮮明な記憶を呼び覚ます。
『セス・ランバン』
彼こそ、前世死ぬ間際まで攻略に苦戦した隠しキャラではないか。なぜ、今まで忘れていたのだろう……
悪役令嬢に付き従う忠実な執事だった『セス・ランバン』
あんなに熱中してやり込んだ乙女ゲームの中で、セスだけは最後まで攻略出来なかった。
あぁぁ、やっと彼を攻略出来たのね。やはりこの世界のヒロインは、『私』なのね……
セスに囚われて過ごす未来。
これが、ヒロインとして転生した『私』のエンディングなんだわ……
去来した幸福感を胸に、セスから与えられる甘美な愛撫に、グレイスは身を委ねた。
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